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たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

「自分さえよければ」という考え方~第3の立場~

2011-12-04 16:24:22 | 交流分析
12月になったとたん、急に冬が到来したという感じで…ま、今日は少し暖かい…
iPhone4Sのカメラがきれいになったので、デジカメいらずです。

今朝、持病がある義母の調子が悪いと言うので様子を見に行ってきました。
ここのところ、毎日のように連絡はとっているのですが、心労がたたっているようで…普段、口が元気な人だけに心が弱っているのを見るとせつない感じがします。こんな風に親密になれるというのも、義母も私も年とったんだな~(笑)


「自分さえよければいい」と言う人、そういう行動をする人って、結構いますよね。
そして「自分を大切にしているからだ」「好きなように生きている」ともいいます。

でも、これは本当の自分として生きていないのです。

「自分さえよければ」は、裏を返すと、「自分はよくない」という気持ちの表れなのです。
自分がよくないからこそ、自分さえ…なのです。
そこに気づかないか、見ないふりをしているのです。

潜在意識の中にその不満を埋めて見ないようにしてしまうと、他人は関係なくなります。
すると、他人に迷惑をかける事になり、結果、他人から認めてもらえず、また不満が多くなってしまうのです。苦しむ生き方だと思います。

交流分析の人生態度の第3の立場「I am OK、You are not OK」は、自分が悪いという事を認めないで、相手がすべて悪いと決め付けてしまう生き方。この「I am OK」は、意識上のもので、潜在意識95%では「I am not OK」なのです。

私は、「自分さえ…」という考えの人に対する時には、「あ~自分が嫌いなのね、かわいそうだな」と思うと、腹も立たない感じです。

本当に自分を大切に好きなように生きている人は、意識してもしなくても、他人とうまく関わり、周りがハッピーになるように自然となるものです。
第1の立場「I am OK、You are OK」は、真の自分と向き合う事で可能になる生き方です。そして楽に堂々と生きられる方法です。

許すこと~ミニスクリプト~

2011-10-04 21:23:07 | 交流分析
やっぱり、一応完結の「ミニスクリプト」までは記事にしないと…

「ミニスクリプト」とは、人生脚本のミニ版という感覚です。

人生脚本を根底から変えていくのは、かなりの熟練を要するというので、このOKでないミニスクリプトに気づき、それをOKミニスクリプトに書き換えることで、OKでない人生脚本にも変容を与えていこうとするものです。
もちろん、OKの人生脚本には視点を合わせていません。

その中で、前回書いたドライバーに気づくことが大切になってきます。

OKでないミニスクリプトは、自分を駆り立てるドライバーがあり、そして、頑張っているドライバーを止めてしまうストッパー(これは無意識の禁止令)によって結果、自分はダメだという感情に落ち込んでしまうのです。

前回の例でいうと、ドライバーが「一生懸命やれ」で隠れた禁止令(ストッパー)が「健康であるな」だとします。

たとえば、仕事を一生懸命やりさえすれば、認めてもらえる、ストロークがもらえると駆り立てられるように頑張っているとします。
いつも一生懸命の人は、周りにとってはそれが当たり前になっているので、いつも認めてもらえるわけではありませんし、ストロークがもらえるわけでもありません。

とすると、隠れた禁止令「健康であるな」がストップをかけ、体調をくずしたりします。
そうすると、心配されたり、声をかけてもらったりとストロークがもらえます。

あ、やっぱりこれだと無意識で感じてしまうわけです。
もちろん自分では、病気になりたいわけでもないのですが、これがストロークをもらえる手段だと無意識の禁止令が働いてしまうのです。

でも、最終的には、頑張った事は評価されず、病気になって「大丈夫?」というストロークは、本来欲しいものではないはずです。なので、やっぱり自分はダメだと落ち込んでしまうのです。

そこを変えるためには、ドライバーに気づき、そこに「許し」を与えてあげるという事なのです。

ドライバーが「一生懸命やれ」ならば、「一生懸命やったのなら楽しんでもいいんですよ」という許しです。
ドライバーはいつまでも一生懸命することしかできません。
「~してもいいんですよ」という許しを自分に与えることです。
そこから少しずつの脚本の変化がおとずれるのです。

私も最大のテーマは、「許し」です。他者も自分も許すことです。
先ず、自分から「許し」を与えることで変わることができると思うのです。

無意識の中の健康

2011-09-29 20:15:13 | 交流分析
交流分析士2級の試験ようやく終わりました。
といっても、最後までまとめていないのは、中途半端なので、書いておこうかな~

前回は、拮抗禁止令の中の「ドライバー」について書きました。
「ドライバー」は、なんとなく自分の行動とか、考え方なんかで、思い当たるところがあるのではないかと思います。

禁止令は、何度も言いますが、無意識なので、自分でもわからないものです。
その禁止令を乗り越えたいためのドライバー…

たとえば、「健康であるな」の禁止令を持っている人が、ドライバーは、「一生懸命やれ」だったとします。

何事も駆り立てられるように一生懸命してしまう人が、遂には、病気になってしまう・・・よくあることのように思いますが、何か頑張り過ぎると病気になってしまう人は、禁止令に「健康であるな」が隠れているかもしれません。これは、無意識なので本当はわかりません。

実際、身体の内部、心臓や肝臓など、意識して動かしているわけではありませんよね。
これこそ、無意識です。
無意識で動いている内臓が、不具合もなく動いているとしたら、まさに感謝だと思います。
自分の身体は、無意識に、正常に働くように調整しているのです。

禁止令が、「健康であるな」であれば、無意識のうちに体調が悪くなるのは、当然のような気がします。

食についても、栄養、栄養と取り沙汰されていますが、本来は、粗食で十分健康でいられるそうです。
この飽食の時代、心に何か足りないものがあると食べ過ぎてしまうそうです。なんとなくわかるような気がしませんか。

ちょっとそれてしまいました。
最終的には、ドライバーに気づき、それをどのようしてよい脚本に書き換えるかの「ミニスクリプト」について書きたかったのですが…

次回にします…

自分を駆り立てる命令~拮抗禁止令~

2011-09-22 20:26:11 | 交流分析
試験間近になってしまったというのに、ブログにはまとめきっていないとは…

■拮抗(きっこう)禁止令…養育者の言語によるメッセージ

拮抗禁止令は、子どもが言葉を話すようになって(~3才)、親からの命令を受け取って自分の自我状態にファイルしたものです。

親の命令といっても、ほとんどが危険を回避する命令や、しつけなどなので、多くは、肯定的な(良い)脚本に用いられます。(ここは親としてちょっと安心)

とはいえ、親も人間ですから、日々、聖人君子ではいられません。
ネガティブな感情からのメッセージを発していることもあります。

その中で、親からの否定的なメッセージを、繰り返し言われ続けると、子どもはなんとか親の気に入るようにしたいと思い、何が何でもそれをしなければというような、駆り立てられるような気持ちになります。

そして、大人になってもその駆り立てられる命令に従ってしまいます。
それが、ドライバーといわれるものです。

ドライバーは、「完全であれ」「他人を喜ばせろ」「一生懸命にやれ」「強くあれ」「急げ」の5つです。

これは、自分が身に付けた無意識の「禁止令」があまりにも苦しいので、それを乗り越えたいとの本人の欲求が隠れています。

ちなみに私は、めっちゃせっかちだったので「急げ」かと思いきや、よく考えて先生にシェアしていただいたら「他人を喜ばせろ」でした。
「急げ」は、多かれ少なかれ、皆、持っているものだそうです。
そういえば、「早くしなさい」は小さい頃、誰でも言われると思います。


自分のドライバーはどれでしょうか?
必要以上に駆り立てられるものがあったらそれが自分のドライバーです。

ドライバーは、禁止令が隠れています。
駆り立てるように行動しても禁止令がじゃまをして、結果うまくは働かないもののようです。

ドライバーを知るところから、禁止令に気づき、苦しい脚本を書き換えることが可能になるのです。

自分でもわからない弱点~禁止令~

2011-09-16 15:01:37 | 交流分析
人は、人生脚本を、子供の頃の親の影響を受け、無意識に書いているということを書きました。

自分を振り返ったり、子育てを振り返ると、ちょっとゆううつになってしまいますが、親だって人間。
完璧な人間なんてひとりもいないはずです。
私の持論ですが、完璧だったら「神」であろうから、人間として生まれてこないのだと思っています。

だから、誰しも、「生きにくいな」と感じる瞬間ってあると思うのです。でもそれが普通です。
その自分のわからない弱点に気づくこと…

その弱点を気づくために人生脚本を分析します。
以前書いた禁止令とドライバーですが、交流分析協会としての順番が違うようなのですが、内容は同じです。

■禁止令…養育者から非言語(言葉ではなく態度や感情)によってネガティブなメッセージを受け取ります。

■許可…養育者から非言語(言葉ではなく態度や感情)によってポジティブなメッセージを受け取ります。(許可のほうが基本的に多い)

子どもは、母親のお腹にいる時から言葉が話せない時期(~8ヶ月)までに、母親の言葉を聞いたり、母親の感情を無意識に受け取っています。
胎教が大切だというのもここに働きかけるからです。

でも、母親(養育者)も人間なので、毎日おだやかで居続けるというのは、難しいものです。ネガティブな感情は、親となった養育者でも必ずあります。それでいいのです。
(親はやさしくなければならないとか、ネガティブになってはいけないと思うと、もっと深い問題になってしまいます)

禁止令は、どのネガティブを受け取るかによって人それぞれ違います。同じ対応をしても、ある子にとっては、「存在するな」であるかもしれないし、違う子にとっては、「重要であるな」かもしれない・・・

それは、まだ意識もはっきりしていない胎児または乳児が決めているので、大人になっても、なかなかわからない無意識の領域です。

なんだかわからないけど、苦しい気持ちがある時、また、苦しいかどうかもわからないもやもやとしたものがある時は、この禁止令が働いているかもしれません。

ここに気づくのは至難の業?のようですが、このあとに続く、拮抗禁止令に気づいて、少しでも肯定的な脚本に書きかえるヒントをつかめればと思います。

絶頂期からなぜ転落の道へ~人生脚本~

2011-09-09 19:55:47 | 交流分析
人生脚本とは…

「人生早期に養育者の影響で発達し、現在も進行中のプログラムをいい、個人の人生の最も重要な場面でどう行動するか指図するものである。」とエリック・バーンが述べています。

人間は、みんな自分の人生の脚本を、幼い頃(人生早期)に書いているのです。
え~幼い頃って、人生なんてわからないのに、そんなもの書けるの?って思いました。

でも書いているのですね。
人生態度の時にでてきた「幼児決断」です。

だから、間違って認識したことや誤解、思い込みなども無意識の中にすり込まれているのです。しかも人生の重要な局面でその行動がでてきます。

どうしていつもここで失敗するんだろう?
普通の生活をしていたのに、なんで破滅的な行動をしてしまうんだろう?
幸せの絶頂から、なぜ転落してしまう方向を選んでしまうんだろう?

なんてことに思い当たることがあれば、歪んだ人生脚本を書いているのかもしれません。

「人生態度」のところで書いたのですが、誰でも乳児期に傷つく感覚を持っています。なので、みんな少なからず、歪んだ脚本を持っています。苦しい脚本です。

その歪んだ脚本に気づき、理解することで修正することが可能になります。

よくポジティブシンキングでありなさい。とか、
あるがままでいなさい。とか、
愛と感謝が重要だ。とか

言われますが、歪んだ脚本に気づかないと、どれも「きれいごと」としかうつらないようです。
でも歪んだ脚本は、無意識の中にあるので気づくのがとても難しいのです。

生きていくのに苦しいな~と思ったら、それに気づくために、後述する「禁止令」「拮抗禁止令」「ドライバー」があり、楽になる修正の脚本に書き換えていくことが可能となるのです。

否定的なほうが安心~心理ゲームの罠~

2011-09-07 12:51:05 | 交流分析
分析が苦手と思っていた私ですが、交流分析を深く学ぶほど、わかりやすい理論だと感じています。人の心の不可思議さを知るためにもとても有効だと思います。

なぜこんな行動をとってしまうのか、なぜこんなことを言ってしまうのか…

人生に抱えるほとんど問題は、子供の頃の体験からうけた感情であるということです。
それは、子供の頃にうけたストロークの影響です。

親の愛情(ストローク)をもらいたいために問題を起こし、否定的ストロークでも欲しがるということは前回書きました。
子供の頃、否定的ストロークばかりもらい続けると、それに慣れ親しんでしまい、嫌な感情になるけれど、逆に安心もするのです。ここが不可思議なところです。
なので、大人になってもその慣れ親しんだ否定的ストロークが欲しいために心理ゲームを仕掛けるのです。もちろん、無意識なので、本人はまったく気づいていません。

近くに、良いストロークを受けつけない人っていませんか?
なぜか、つっかかってくる人っていませんか?

慣れ親しんだ否定的ストロークが欲しくてそのような態度になってしまうのです。
ダメだとわかっていても、あとで自己嫌悪になるのはわかっているのだけれど、そのほうが安心なのです。あ~不可思議です。

そのような人とは距離をとることが一番の解決と言われるのですが、本当は、その相手はあなたに助けて欲しいのです。
ストロークをもらいたいのです。
もちろん良いストロークが欲しいのですが、それをもらい慣れていないので、苦手なのです、反発したいのです。

他人の場合、距離をとっても問題ないかもしれませんが、親子など近い存在では、距離をとるだけでは、相手も自分自身も解決にはなりません。いつまでも苦しいような違和感があり、幸せは感じられません。

では、どうすれば…

・ゲームの罠にはまらないこと。
・あくまで肯定的ストロークを与え続けること。

問題行動や、否定的な言葉を言う相手に肯定的ストロークを与え続けることは至難の業です。
でも、それが自分自身の成長の機会なのかもしれません。

前回は、メインテーマ?の「人生脚本」だったのですが、うまくまとまられず、長くなるので、分けて投稿しようと思っています。

なぜいつも同じようなケンカになるのでしょう~心理ゲーム~

2011-09-03 20:18:35 | 交流分析
交流分析、明日の復習…

人は欲しいストロークがもらえないと、否定的なストロークでも手に入れようとします。周囲の人達と繰り返し不快なやりとりをして飢餓状態から脱します。

いつも同じようなパターンでケンカが始まり、お互いに嫌な気分で終わる・・・このような関わりを繰り返ししてしまう事を、交流分析では、「心理ゲーム」と呼んでいます。

代表的なものに「キック・ミー」他あります。

なんだかゲームというと楽しいような気がしますが、不快な感情になるものです。
近い存在(親子・兄弟・夫婦・上司と部下など)で多くみられます。
なんでいつも同じようなことで、もめているんだろう~なんてこと、誰でも経験があると思います。きっと心理ゲームの罠に、はまっているのです。

このゲームには、「仕掛ける人」と「乗る人」がいます。
ゲームを仕掛けるということは、仕掛ける人がストローク不足であるということです。

でも、人はなぜ、そこまでしてストロークが欲しいのでしょうか。

以前、書いたことがあるスーザンの記録映画にもあるのですが、赤ちゃんの時から「無視や無関心」などのノーストロークでは、精神的な成長はもちろんですが、身体的な成長もできない、生きていくことが困難なのです。

たとえ大人になっても「無視や無関心」が続くと、強烈な無価値感を感じ、自分は存在するに値しない人間だという感情をよび、生きていくことが辛くなるのです。
この感情はどうしても回避したい…ですから、否定的なストロークでも求めてしまいます。

でもこのゲームは繰り返し、終わることがなく否定的ストロークがたまっていくばかりです。
「これはゲームだ」と気づいた側がゲームをしない決断をすれば終わることが可能です。

自分の近くにゲームを仕掛ける人がいたら、「あ~ストロークが欲しいのね」と冷静に受け止め、肯定的ストロークで返してみる(たとえば、ありがとう)な~んて言ってみたら面白いかも・・・ゲームにならないでしょう。

あ、こっちのゲームだったら面白いかも…仕掛け人がどんな反応をするのか楽しむゲームに。

I am OK、You are OK ~人生態度~

2011-08-31 22:26:01 | 交流分析
人生態度とは、自分と他人をどのように感じているかなど人生に対する基本的な立場の基になっています。
人生態度は、乳児期から幼児期にかけて養育者とのかかわりによって培われます。

人は生まれてすぐは、母親(養育者)が信頼のすべてです。母子一体の関係です。
成長につれて、「ダメ!危ない!」など母親からの言葉や態度から、母子分離の時期がきます。
母親は、危険なことや悪い事を教えるために厳しい対応をします。
それって当然ですよね。

でも、母親と自分はすべて一緒だと思っている乳児にとっては、「え?」という戸惑いとともに、ある意味ショックをうけます。
大きな意味では傷つくという感覚。もちろん無意識の領域です。

でも、この母子分離ができなければ、大人になれないし、この体験は必要なものです。
ということは、人は誰でも必ず心に傷を持っている。
な~んだ、そうなのか…と。だったらみんな同じ。

人は養育者との小さなやりとり、大きなぶつかり等を経験しながら「こういう時はこのように生きよう、感じよう」と人生態度を決断するのです。
これを「幼児決断」と言います。もちろん、幼い子どもなので、誤解も多いはずですが、大人になっても苦しんでいる感情は、この頃に歪んで認知されたものもあるようです。

私は、この幼いころに抱えた苦しい感情に気づき、癒やすことが、現在の苦しみも癒やせると思うのです。

___________________________

以下が人生態度の4つの姿勢です。

●第1の立場(自己肯定・他者肯定)
私はOKである。あなたもOKである。

●第2の立場(自己否定・他者肯定)
私はOKでない。あなたはOKである。

●第3の立場(自己肯定・他者否定)
私はOKである。あなたはOKでない。

●第4の立場(自己否定・他者否定)
私もあなたもOKでない。
_____________________________

これを四角を4つにわけて表したものを「OK牧場」というのですが、ここをつっこむと話が長くなるので…

もちろん、第1の立場にある時が安定した心の状態というのは良くわかると思います。
講座の中で話がでたのですが、基本「私はOK」の立場でいる時は、他者を否定することはないはずですが、ここの第3の立場の自己肯定は、表面上なのだろうという結論に私は納得しました。他者を否定している時は、どこかで自分を否定しているからです。

先ずは、自分がOKになることが重要。つまりとにかく徹底的に自分に向きあい、癒やすこと。
この人生態度は、参考になりました。


存在認知~ストローク~

2011-08-16 13:41:18 | 交流分析
前回の裏面交流を、講座の没頭で復習し、みんなでかなり苦戦をしたあと、「ストローク」に入りました。

「ストローク」とは、「撫でる、さする」という意味があるように、「身体的なかかわり」、「言葉のメッセージ」、「態度、表情などの非言語メッセージ」など、人とのすべての関わりにおいてのことをいいます。

以前ストロークについて少し書きました。交流分析ストローク肯定的ストローク

◆肯定的条件付ストローク…
「○○ができたからえらいね」のように条件があってほめる言葉や態度など。

◆肯定的無条件ストローク…
「生きててくれてありがとう」などのように存在自体を尊重する言葉や態度など。

◆否定的条件付ストローク…
「○○だからあなたはダメ」のように条件があって否定的な言葉や態度などをする。

◆否定的無条件ストローク…
何の理由もなく、殴ったり、否定的な言葉を言うこと。

もちろんこの中で「肯定的無条件ストローク」をずっと受けていられれば、心はいつも安定します。
でも、普段の生活の中では一番少ないかもしれません。
条件付は、子育てや、人の育成などによく使われると思います。

子どもは、親からのストロークが欲しくて様々なことをします。
肯定的ストロークがなかなかもらえないと、いたずらをしてでも手に入れようとします。
たとえ否定的ストロークでも。

この習性は大人になっても無意識に子供の頃の環境やストロークの受け取り方などを引きずっています。これがあとからでてくる「人生態度」にも影響してきます。

無意識なので、自分でもわからない事ですが、大人になってもストロークを得るために以下のストローク経済の法則に従っている時があります。とても不思議なのですが…

「ありがとう」を言い損なったり、「素敵ね」と言われても「いえ、たいしたことないです。」なんて言ってしまったり、仲間に入りたいのに、言えなかったりしたことってないでしょうか。
あるとすれば、以下の法則に従っているといえます。

【ストローク経済の5つ法則】
1、ストロークを与えてはいけません。
2、ストロークを求めてはいけません。
3、欲しいストロークでも受け取ってはいけません。
4、欲しくないストロークでも拒否してはいけません。
5、自分にストロークを与えてはいけません。

この法則は自分の中にあっても気づかない無意識の領域にあるのもですが、この法則は拒否することを選ぶことができます。
もし、何かに気づいて苦しい思いをしているのであれば、解放してあげましょう。
以下のように意識的に変えてストローク上手になりましょう。

1、与え上手になろう
2、求め上手になろう
3、受け取り上手になろう
4、断り上手になろう
5、自分を誉め上手になろう

ストロークは、受け取るだけではありません。与えることも重要です。
人からのストロークは、自分の思うように簡単にもらえないとすれば、簡単な方法があります。
自分に与え、受け取るのです。誉めて受け取る事。
習慣にするとストローク上手になります。