たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

ゲシュタルト2

2010-11-02 20:47:27 | ゲシュタルト
先月ゲシュタルト2回目の勉強会がありました。
ワークの前に理論を少し勉強しました。
ゲシュタルトセラピーから見た4つの神経症的な状態です・

■鵜呑み・・・自分の中で消化せずに思い込む。
「~でなければならない」をわけのわからぬまま思い込んでしまう。「男は強くなければならない。」「女はやさしくなければならない。」など…納得していないので、葛藤が起こります。

■投影・・・自分の気持ちを他人に預ける。 
たとえば、「あの人は私のことを嫌っているに違いない」と思うような場合、本当は自分が相手を嫌いなことが多いようです。

■反転・・・他人に感じている感情を自分に向ける。
誰かに対する怒り、恨みなどを自分に向けてしまうのです。リストカットなど…自殺は「反転」の最たるものだそうです。

■無境界・・・自分と他人の考えは同じ。
たとえば、自分がおいしいものは、「これ絶対おいしいよ」などと押し付けてしまうなどです。
自分がおいしいものはみんながおいしいと思う…
日本は、「無境界の社会」だといいます。みんな一緒、みんなとおんなじが大好きです。

深層心理は、考えではなく感じることでわかってきます。
自分が見ている世界は、自分だけが感じている自分だけの世界です。
まわりの誰もが影響しているわけではありません。
自分が選択して感じているだけなのです。

ある人が冷たい態度をとる・・・というのは、自分が感じている世界なので、相手の世界ではどのように感じているかは本当のところわかりません。
それは、投影かもしれない、反転かもしれない・・・

わからないのであれば、そう、気に病むことはなにもないのです。
相手の気持ちなどわからないことをあれこれ考えても、何も解決しないのです。
わかっているのは、「今、ここ」の自分の気持ちです。
まあ、それすらも、無意識の領域のことはほぼわかってないのがほんとですが…

だとすれば、楽しい、幸せだという世界を自分が選択すれば、毎日楽しいのでしょう…
それができないのはなぜか…

人間には、楽しいことが続くわけがないという「鵜呑み」があるのです。
幸せを感じてしまうと、なぜか不安になる…それも続くわけがないと思い込んでいるのです。
そうすると、自分の目の前は不安の世界で見てしまいます。

あ~もったいない…
人間ってどれだけ不安や不幸が好きなんだろう…

ゲシュタルトでは、感覚を重視します。
不安やストレスは感覚だけを感じて開放してあげましょう。

感じること。考えること。

2010-09-23 11:15:45 | ゲシュタルト
養成講座の課題のようなタイトルですが、「ゲシュタルト」です。
ゲシュタルトだから、何か書くのはやめようと、ノートもペンも持たずに岡田先生の講義を聴きながらワークを受けてきました。
最近、感じることに重点を置いていたはずだったんだけど、やっぱり
勉強会では、考えてしまった…

見えているもの、自分が感じていることの区別。
岡田先生の言っている意味はとてもよくわかったのだけれど…

たとえば、今、「イスが見えます」これは自分が見えているもの。
そして「蒸し暑くてちょっと不快だな」と思っているのは自分が感じていること。

これはイスという物体なので、見ても何かを考えないのですが…

相手が人間の場合…

「相手の方を見て見えているものを言って下さい。」「今感じていることを言ってください。」
二人組でのロープレがありました。

「目が見えます。」であれば見たままですが、「やさしそうな目が見えます。」と言えば、それは、考えて評価しているということです。
一見、「やさしそう」とは感じているように思うのですが、考えているということなのです。

その時自分が感じている感覚は、「寒い」かもしれないし、「うれしい」かもしれない…

見えているものと感じている感覚を区別する意味。
現代人は、考えることばかりしているので、本当の自分の感覚に鈍感になってしまうのです。
感覚の中にいると、心は開放されます。

感じているのか、考えているのかを意識するだけでも違います。
「ゲシュタルト」の「今、ここ」の感覚、大事にしたいと思います。


こだわりを捨てる事

2006-11-24 16:47:30 | ゲシュタルト
だいぶ、秋も深まって寒くなってきました。家の前のもみじもホントきれいに赤く染まってきました。

連日のように、若い命を自ら絶ってしまう報道には本当にやるせない思いになってしまいます。

こだわりを捨てる事。とても難しい事です。
仏教で、このこだわりは「執着」といって忌み嫌う事だそうです。

ゲシュタルトセラピーを勉強していると、今ここの感情を味わうという事をよくします。だいぶその意味がわかってきたように思います。

もし今が、辛かったら、苦しかったら、その感情だけをずっと味わいます。
そして身体の感覚をも味わいます。暑い、寒い、頭が重い、等。。。

その時に、なぜこんなに辛いのかを、理屈やなにかで納得しようと考え始めると、憎しみや恨みなど負の感情が増えてどんどん苦しくなるのです。
それは自分を傷つけているから苦しいのです。

人はよく、「傷ついた」とか、「傷つけられた」とか言います。
たとえば心無い人が言った言葉に傷ついた、または裏切られたというような事があっても、本当に魂が傷ついているのは相手のほうです。
でも相手は、平気な顔をしている、としても、それは心が気付いていないだけで、魂はかなり傷を負っています。傷がたくさんある魂は、幸せからは遠ざかっています。

言われた人は傷なんかついていないのです。
でも、同じ思いをさせてやろう、憎い、恨むなどと考えると、その時点で今度は自分の魂が傷つくのです。
そしてこだわりが生まれ、苦しんでしまいます。

今、悲しい気持ちでいるとしても、傷はついていないのだから悲しい気持ちだけをじっくり味わって他の事を考えない、無理にポジティブに考える必要もありません。こだわらないと魂は癒されます。
ゲシュタルトの不思議はここかなと思ったりします。まだまだですけど。。

自分の魂は傷つけないように大事にしたいな~ピッカピカに磨きたいですね。




またまたゲシュタルト

2006-11-14 10:44:02 | ゲシュタルト
納期に追われながらも、イベントや勉強会に参加していましたが、その事も書けずに日々が過ぎていってしまいました~~
「落ちてます」と書いた後なので、ずっと落ちたまんまみたいですが、もう遠い出来事のようになって忘れてしまっています^^;

このまえの日曜にかねてから参加したかったゲシュタルトアソシエイツの体験セミナーに参加してきました。
さすがに日曜は書くぞ!と思っていたのですが、う~~ん、また一日また一日とたってしまいました。

その日は、丸一日、ゲシュタルトに浸って、癒されてきました。一日勉強しているはずが気分が楽になり、まるで疲れを感じませんでした。なんだろう~不思議な感覚なのですが。。。
勉強なのに何も考えないでいいのです。自分の感覚だけを感じていればいいのです。

ゲシュタルトの「今・ここ」を大切にする意味がわかってきたように思いました。
過去の出来事や過去に感じた事は、今ここには存在しない、未来もまた存在しない。。。
今ここの感情だけを自分の五感で味わう中で、今の心の中を表に出していくというセラピーです。

人は物事に理由づけをしたり、理屈で何かを考えて納得したがるようなところが多くあるはずです。
そして仕事ばかりをしていると、考える事しかしていなくて、感覚を感じる事をしなくなっているほうが多いようです。
それが、知らず知らずのうちに疲れがたまったり、心がわからなくなったりしてしまうのです。

ゲシュタルトセラピーでは、悩みを事細かに話す必要はまるでないのです。もちろん、話したい欲望があれば、話してもかまわないのですが、それよりも、今ここの感覚を味わう事を重視します。
理屈ではなく、感覚で行うので、人間本来のというか、自分本来の姿になれるので、らく~な気分になれるのです。

もっともっとゲシュタルトについて書きたいのですが、「感覚」を言葉にするのってかなりむずかしい。。。
今度、具体的なワークの体験をお話しします。

やっぱり感覚的なゲシュタルトって私に合っているのかな~と感じて帰ってきました。

ゲシュタルト療法3

2006-09-19 15:15:35 | ゲシュタルト
先週ゲシュタルトの3回目の勉強会がありました。

やっぱりゲシュタルトは興味深いです。ますます傾倒してしまいそうです。

ゲシュタルトは、「今ここ」の感情を重要視するので、過去にあった出来事や、将来くるかもしれない出来事には関心をもたなくていいのです。
一時間前の出来事はもう変えられない、そして一時間後に起こる出来事はわからない。。
変えられない、わからない事にこだわりすぎる事が、心を疲れさせてしまうのです。

今回も、ワークが中心で実際のカウンセリングを目の当たりにしたのですが、まず悩みの詳細は聞かない、知る必要がないというところからはじめます。

そして、手や足の動き、顔の表情など、身体が語っている部分を見つけ、そこで感じている思いを聞いていきます。
イスを向かい合わせにして、思いを伝えたい相手が前にいる事を想定し、思いを口に出す。。。
反対のイスに座って、その相手に自分がなって、その人の気持ちを想定して口に出す。。。
「今ここ」の感情を吐き出す事によってクライエントは、すっきりとした気持ちになっていくのです。

クライエントによって方法は違いますが、色々な角度からの思いを口に出す事によって自分の中の何かが変わるのでしょう。体験した人は不思議と口では言い表せないすっきりとした感覚になると言っていました。
ん~~見ているほうも不思議でした。

不思議な感覚のゲシュタルトですが、ロジャーズでも、事柄より感情をひろう事を学んできました。
目に見えない感情をひろい、その気持ちに寄り添うとはこういう事なのかな~~

フィードバックの時に色々でたのですが、ファシリテーターの心構えのひとつについて大事な事を教えていただきました。
カウンセラーもそうですが、クライエントと一線を引く事。感情移入はしてはいけない事だといいます。
確かに、辛い思いを語っているクライエントに共感することは大切ですが、カウンセラー自身が同じように辛くなってしまっては、カウンセリングになりません。
ここが難しいところだと思いました。

感覚で行うゲシュタルト、まだまだ勉強が必要なようです。

ゲシュタルトの祈り

2006-07-05 21:37:32 | ゲシュタルト
今、少しゲシュタルトにはまって(?)いるかな?
以前、「グローリアと三人のセラピスト」というビデオを見た事がありました。その時は、ロジャーズオンリーの勉強だったので、パールズのカウンセリングが、なんか攻撃的だった事に少々ショックをうけていて、ゲシュタルトはこわい(?)なんていう先入観がありましたが、色々勉強しているうちに、クライエントによるカウンセリングなので、様々なケースがあるのだとわかりました。
ここで、ちょっとパールズの「ゲシュタルトの祈り」という言葉を紹介します。
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「ゲシュタルトの祈り」
私は私のことをする、あなたはあなたのことをする。
私はあなたの期待に沿うためにこの世にいるのではない
あなたは私の期待に沿うためにこの世にいるのではない
あなたはあなた、私は私
それでもしお互いが出会うなら、すばらしい
もし出会えないなら、しかたない
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ゲシュタルト療法では、あまりにも有名なこの言葉が、先日お世話になった岡田先生の訳だった事を知って、改めて読み返していました。
最後の「しかたない」を私は、あきらめの言葉だと感じていましたが、ようやく最近この「しかたない」の意味がわかったような気がします。

たとえ、自分の好きな人がいたとしても、こちらの思いは、こちらのもの。相手が同じ思いを持つという事はわからないし、こちらがコントロールできるものではない。。。自分が選ぶ考え、相手が選ぶ考えは、違ってもしかたない、むしろ違うのが当たり前で、それが同じ方向に考える相手に出会えたらそれは、すばらしい事なのだな~と。。。

あきらめるという事は、自分の感情を抑えてしまう事です。また、相手に自分と同じ思いを要求するのは、無理な話です。そのどちらも、自分を傷つけ心を疲れさせてしまいます。
それでも、最終的にはすべてを選んでいるのは自分自身であって、誰のせいでもないのです。

ゲシュタルト療法2

2006-06-15 16:24:53 | ゲシュタルト
昨日は定例の勉強会でした。前回のゲシュタルト療法の2回目です。
今回は、ワーク中心でした。自分の夢から入るワークです。

夢ってだれでも見ますよね。たいてい脈略がなく、なんの意味があるのかな?なんて思ってしまいます。
ゲシュタルトでは、その意味は考えないというのです。分析とかもしないのです。
夢の中は、すべてが自分の心の中にあるもの。自分ではそんな事考えもしていない事柄であっても、実は心の中にあって、本当は、自分自身に気づかせたいメッセージを持っているというのです。

このワークでは、最近見た夢や、何回も繰り返しみる夢をもとに行います。
先ず、その夢の内容を話し、そのあとで、実際にその夢の中にいる自分を体験しながら、ファシリテーターが声をかけていきます。
人、物、景色、その見ているものにどんなふうに感じるかを聞いていきます。何て言っているかも聞いてみます。そしてどんどん進んでいくと不思議と自分の心の中の気になる事、たとえば悩みのようなものにいきあたるのです。

たとえば、じゃまなイスがあったとします。そのイスをどのように感じるかをワークしていくと、そのじゃまなイスは実は自分の気にかかっている人間であったりします。
そしてそのイスとの対話によって、自分はこんな思いを感じているんだ、という気づき、その感じている事を、言語化しても、身振り手振りで動いても、大声をだしてもいいのです。感じたままを自分の体の外に出します。そのあと、そのイスとはこうしていきたいというような前向きな感じになっていくのです。そして何かこだわっていたものが、スーっと溶けていくような感覚になるようです。
それが、ゲシュタルトでいう、地と図の反転です。
私は、見ていただけでしたが、すごく不思議な感覚でした。

悩みなどを何も言っていない夢の状況から、自分の中のこだわりを見つけ、ルビンの盃でいえば、どちらか片方にしかみえていない図が、こだわりをなくす事によって、図と地が反転する。。。そして楽になれる。。う~~ん、奥が深い。。。

不思議だけれど、とても興味深くて、私も是非このワークをうけてみたい気持ちになりました。7月に違う場所であるそうなので、体験してみようかな~~

ゲシュタルト療法

2006-05-31 12:29:20 | ゲシュタルト
なんだか五月晴れもあまり見られないませんでしたが、もう5月も終わってしまいますね。
今日は晴れだからいいか~~
前倒ししておきたい仕事があったので、ここにも顔を出さずにいました。

何から書いたらいいか。。。先日ゲシュタルト療法の勉強会もありました。
ゲシュタルトとは、全体や統合などを示すドイツ語です。意味を書くとよりわかりにくくなってしまうので。。。。
「ルビンの盃」という絵は誰でも一度は目にした事があるのではないでしょうか。上の画像です。
二通りの見え方があります。盃に見えたり、向き合った顔に見えたりと。まったく違うものですがひとつの絵です。
ゲシュタルトには、図と地の反転という基本的な考え方があります。意識されずに地となっていた部分が、意識をもって図になっていく過程を重要視し、気づきを大切にします。

以前書いた、諸富先生の本の中のアサーショントレーニングについて書いていませんでしたね。
ゲシュタルト療法のひとつのワークです。

自分の心にある「私は~~できない」という思いをすべて書き出してみます。
たとえば、「私は、自分をアピールできない。」
       「私は、他人にはっきりと物をいう事ができない。」などなど。。。

書き出してみると、思い込みをたくさん抱えていて、それにがんじがらめになっている事に気づくと思います。
その思いを今度は、「私は~~していない」に変えていきます。
そして心の中で何度もつぶやいて自分の中に起こるかすかな変化に気づいてみます。
多くの人は、言い訳や言い逃れであって本当は、自分がそれをしたくないからしていないのだと気づくというのです。

そしてできるなら、「私は~~してみたい」と変えてみます。そしてまた、心の変化を見つめていきます。

できない事ができるようになるかといえば、必ずしもそうではないと思いますが、自分の心が少しでも変化できれば
がんじがらめになっているこだわりのような心も楽になれるのではないかと思います。
そして見方が変わると、まわりも変わる。。良い空気が良いメッセージをはこんでくる。。。あれ?シンクロニシティのようになってしまった~

とはいえ、自分を振り返ると、なかなか、思ったように心をコントロールできないです。でも、少しずつ、ほんの少しでも心が変わるなら、良しとして、勉強ガンバロ!!