月というものは壮大な太陽系にある衛星の一つとしての捉え方、昔から信仰の対象でありながら日常生活の中でも
月明かり、暦替わりなど切っても切れない身近にありながら手の届かないもの神秘的なもの。新月、半月、満月な
ど大雑把な見方になるが日本には昔から十五夜、十六夜(いざよい)、十七夜(立ち待ち月)、十八夜(居待ち月)、十九
夜(寝待ち月)、二十二夜、二十六夜などと月齢に名前が付けられ、一番馴染の在るのは中秋の名月、十五夜。
さて二十二夜待ちは木下 順二作の物語。二十二夜にの人たちが酒や肴を持ちより慰労会をする場面に繰り広
げられる人間模様を描いたものだ。私はこの種の音痴、故に有名なものなのかどうかも知らない。
八雲町で森の劇場を構え演劇や町づくりそして国際交流に力を入れ活動している、『劇団あしぶえ』がこの演目をリ
ニューアルして公演することになり、その初日が今日だった。二十二夜待ちの公演は第1回八雲国際演劇祭(H13
年)ではなかったかと思われるから、それから13年も経っていることになる。
前回観劇したのは安寿と厨子王だったがメインキャストが代わっており、劇団のイメージもリニューアルされたよ
うに映った。劇場の主宰者でもあり演出を担当の園山 土筆さんの解説は、喜劇だから方に力を入れないで、しっ
かりと笑って欲しいとのことだった。
二十二夜は満月から欠けてきており歪な形の月、夜もかなり更けてから月が出てくる。十五夜のころは宵の口には
月が出てくるので、宴会を伴う集まりには夜遅く、しかも夜を押して朝まで語ろうということも目的になっていた
のではないかと推察される。場所によっては女性だけが二十二夜に集まり、男性は二十三夜に集まるというのもあ
ったそうだ。
二十二夜に村民たちが酒肴を持ちより宴会をしていた。そこにならず者が乱入し傍若無人な振る舞いをする。村人
たちは隙を見て逃げ出すが一人の老女が取り残され、それを迎えに来た若者と3人が一夜を過ごすことになる。
夜中に何度も同じことを頼む老婆を大切にする若者の姿を見ていたならず者の心の中に、肉親の温かさを蘇らせる
という粗筋だ。物語の要所々はコメディー・タッチがちりばめられており、笑いをとるから喜劇に見えるが、その
底流には人の心を埋め込んだ実に後味のいい芝居だった。
演劇に全く興味を持っていなかった私がこうして何度も芝居を観るなんて、人生には岐路となる何か不思議なもの
が時折顔を出す。