ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

井上ひさしさんが残して言ったもの 原爆の日に想う

2010-08-06 16:04:27 | 心・身体・癒し

今日は8月6日。65年前の今日、広島に原爆が投下された日ということは皆さんご存知ですよね。

今朝のテレビでは各局が、広島の慰霊祭を取材していました。

65年経って初めて国連の事務総長さんと、アメリカの在日大使館の大使が出席しましたが、被爆者の方々へのインタビューを聞くと「よかった」という声もあれば、「遅すぎた」という声もありました。

単純に良し悪しを語れないところに、65年という長い年月を原爆の後遺症などで苦しんできた多くの被爆者の方々の恩讐を見たのは私だけではないと思います。

先だって亡くなった作家であり劇作家の井上ひさしさんが書かれた戯曲に「父と暮らせば」という、比較的短い作品があります。

広島の原爆をテーマにしたものです。

図書館に勤務する主人公は、ひっそりと一人暮らしをしています。年齢的には結婚を考えてもいい年頃なのですが、結婚する意志はまったくありません。

あるとき彼女のところに幽霊になった父親が現れました。

そこから舞台は始まります。

彼女と父親の会話から、父親は広島の原爆で亡くなったことがわかりました。そして彼女は生き残ったことも・・・

父親は娘に結婚して幸せになってほしいと願っています。被爆し亡くなったひとのためにも、生き残ったひとに幸せになって欲しいと願っていたのでした。

しかし、娘は違っていました。被爆し亡くなったひとのことを思うと、自分だけが幸せにはなれない、なってはいけないのだと強く思い込んでいたのでした。

それは被爆して間もなく再会した、友人の母親とのやりとりがひとつの原因と思われました。

その母親が彼女と再会したとき「なぜあなたが生き残って、娘は死ななくてはいけなかったのか」と激しく詰め寄り、彼女を糾弾したのです。

娘は「自分は生き残ってはいけなかったのだ」と自分を責めるようになりました。

実はそれだけではありません。原爆が投下されて火の海と化した市街地。そこに暮らしていた父と娘の悲劇がそこにあったのです。

舞台は原爆によって庭の石燈篭が倒れ、そこにたまたまいた父親が体を挟まれ逃げることができなかったことを教えたのです。

火の手が間近に迫っています。娘は必死に石燈篭をどかし、父親を助けようとしますが燈篭はびくともしません。

父親は言います「父さんのことはいいから、早く逃げろ!」と……娘は生き延びました。

しかしそれは苦悩の始まりでもありました。自分は父親を見捨てた娘、本当は生き残ってはいけなかったのだと、ずっと自分を責め続けていたのです。

しかし、彼女のことを好きだという男性が現れました。

彼女も好意を寄せ始めました。「でもやっぱり駄目、私は幸せになる資格はないのだ」と、ひとを愛することを禁じ続けていたのです。

幽霊になって戻ってきた父親はそんな娘に言います。

「たくさんのひとが亡くなった。そのひとたちにも夢や希望があった」
「だから生き残ったお前が、そのひとたちの分もしっかりと生きて幸せにならなければいけないのだ」
「そうじゃないと、何のために父さんはあのとき死んだのかわからない」と…

この舞台を観て初めて私は、生き残ったひとも命が続く限り苦しむことを知りました。

それまでは、原爆の犠牲になったひとのことだけを思い、気の毒、可哀想 無念だったろう・・・それくらいにしか思っていませんでした。

しかし、現実には原爆投下は生き残ったひとたちをも苦しめ続けていたのです。

実はこれは後日談があります。

戯曲を書いていたとき、仲間のひとりが大地震をテーマに作品を書きました。プロの劇作家に何度も何度も駄目だしをされながら、その友人は書きました。しかし、最後は書くことをやめました。友人の思いが、どうしても伝えたいという思いを劇作家は汲み取ってくれなかったからだと言います。

そのとき傍にいた私には、友人がトコトンこだわり、結果書くのをやめた理由がよくわかりませんでした。

でも、井上ひさしさんの「父と暮らせば」の戯曲を読み、舞台を観たとき、はじめて友人の心の奥底にある深い悲しみを知りました。友人は阪神淡路大震災を経験していたのです。

阪神淡路大震災でも6千人以上の方が亡くなりました。「父と暮らせば」の父親と同じように、家屋の下敷きになり救出できず、猛火の犠牲になった方が大勢います。友人の思いの奥底には「父と暮らせば」の娘と同じような思いがあったのです。

井上ひさしさんは「父と暮らせば」を書くにあたって、広島の原爆資料館に出向き、なくなった方々の名前をすべて写経し、そのうえで戯曲の構想を練り執筆したそうです。

小品とも言えるこの作品には、そうした井上さんの思いが溢れんばかりに詰まっています。

ここ数年、毎年夏になると「父と暮らせば」が上演されるようになりました。戯曲本は世界数カ国に翻訳され出版されています。

是非、機会があったら舞台を観てください。

戯曲本を手にとって読んでみてください。


父と暮せば (新潮文庫)/井上 ひさし

¥340
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生命、そして生きるということがどういうことかを、それぞれの立場で感じ、考えてみていただきたいと思います。

9日は長崎原爆の日です。

65年前のこの日も暑かったといいます・・・

私がカウンセリングを学んだ、日本カウンセラー学院は、阪神淡路大震災のあった同年、開校しました。

 

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