今回の大きな気づきでは、今まで経験したことのない痛さや辛さが前兆としてやってきた。
その結果、「何ものにもとらわれない」というところにたどり着いたわけだが、この「何ものにもとらわれない」というのは、必ずしも自分の周りに対してだけではなく、私自身に対してもとらわれないということに他ならない。
その時どき起こることに対し、どうにかしようと焦ったり打開しようと無理をするのではなく、状況や感じたままにしていくことが「何ものにもとらわれない」なのである。
ただ、私のそれはある時まで自分の生き方という大きな括り、いわば世界観とでもいうものだった。
しかし、先日の勉強会でそれが実はもっと身近な、そして重要な意味を内包していたことに気がついた。
カウンセリングを提供するにあたっては、色々な技法が存在する。
来談者中心療法、ゲシュタルト療法、NLPなどなど…他にも様々な技法法があり、それぞれ専門に学びメソッド、テクニックを獲得し実践している人は多い。
私も意識の置きどころとして来談者中心療法を目指してきたつもりだった。
だが、先だっての学院主催の大講演会で実存主義的心理療法と出会い、ボディフォーカスト・アプローチとても近いものを感じたこと、そして実存主義的心理療法が、あらゆる心理療法の土台であると知ったことで、自分のなかに何かしら漠然とした空白を感じるようになったのである。
それはおそらく自分が考えていた、カウンセリングを提供するうえでの技法について疑問のようなものが生じたことによるものだったと思う。
しかしながら、勉強会でのカウンセリングによって、私はここにこそ「何ものにもとらわれない」意識とそれによる実践が必要であると気づいたのだ。
パーソンセンタードアプローチによる共感的理解、肯定的関心、自己一致から始まってフォーカシング、バックトラッキング、シュナイダー博士が見せてくれた「鏡」そしてボディフォーカスト・アプローチまで。こうした様々な技法を適材適所に据えてカウンセリングは動き、流れていくことを実感したのである。
このことから私は自分自身の生き方だけでなく、カウンセリングの場においても重要な「何ものにもとらわれない」という意識が重要であることを再確認したのだ。
そして、それはすべてに当てはまることなのだということも…<br clear="all">