このところスランプ気味だった。
どこがどうというわけではないのだが、なんとなく頭の中が真っ白になってしまう時間があり、いままで身につけてきたはずのカウンセリングの技術が漠然としか描けないと感じることが起こっていた。
理由はいくつか考えられる。
ひとつには新たなカウンセリングへの意識と、今までの意識が上手く絡み合わず、混乱が生じていたこと。
その新しい意識で取り組めるようになったのはいいのだが、そこに比重がかかりすぎて、かえって上手く機能しなくなってしまったことなどが挙げられる。
これはどうしたものかと思っていたが、ここでバタバタしても何も変わらない、おそらくこれは自分自身の変化の前ぶれと思うことにして、じっくり待つことにした。
そして数日、やはり小さな変化が現れた。
このところ聴いていなかった教育分析やSVの録音を聴きなおすことを思いついたのである。
SVはもちろんのこと、教育分析での講師とのやりとりが意外に実際のカウンセリングの場面で役に立つ。
自分が遭遇したケースが、実は自分自身が教育分析で話した内容と近いという事が結構あるのだ。
「ああ、あのときの私がここに・・・」と気づくと、自分が体験したことをベースにしたカウンセリングができるのである。
今回のスランプも、テープを聴いたことで有効な方法があったことに気づくことができた。
と、同時に頭の中にふたたび色々なものが浸透してきていることも実感できてきた。
なんといっても実践。
少しずつではあるが、場を得られる可能性もでてきた。
途切れることなく継続していくことしかない。
それが結果に繋がるのだと信じて・・・
どこがどうというわけではないのだが、なんとなく頭の中が真っ白になってしまう時間があり、いままで身につけてきたはずのカウンセリングの技術が漠然としか描けないと感じることが起こっていた。
理由はいくつか考えられる。
ひとつには新たなカウンセリングへの意識と、今までの意識が上手く絡み合わず、混乱が生じていたこと。
その新しい意識で取り組めるようになったのはいいのだが、そこに比重がかかりすぎて、かえって上手く機能しなくなってしまったことなどが挙げられる。
これはどうしたものかと思っていたが、ここでバタバタしても何も変わらない、おそらくこれは自分自身の変化の前ぶれと思うことにして、じっくり待つことにした。
そして数日、やはり小さな変化が現れた。
このところ聴いていなかった教育分析やSVの録音を聴きなおすことを思いついたのである。
SVはもちろんのこと、教育分析での講師とのやりとりが意外に実際のカウンセリングの場面で役に立つ。
自分が遭遇したケースが、実は自分自身が教育分析で話した内容と近いという事が結構あるのだ。
「ああ、あのときの私がここに・・・」と気づくと、自分が体験したことをベースにしたカウンセリングができるのである。
今回のスランプも、テープを聴いたことで有効な方法があったことに気づくことができた。
と、同時に頭の中にふたたび色々なものが浸透してきていることも実感できてきた。
なんといっても実践。
少しずつではあるが、場を得られる可能性もでてきた。
途切れることなく継続していくことしかない。
それが結果に繋がるのだと信じて・・・