小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

ポリティカル・コレクトネスという全体主義

2019年03月28日 22時58分07秒 | 思想



少し古い話ですが、これからも論議を呼びそうなので、ここで問題にしておきます。
2018年の12月に、滋賀県大津市で、住民票申請書に性別欄を記入しなくてもよいという決定がなされました。
LGBTというマイノリティに対する公共機関の配慮です。
その2か月前には、福岡県教育委員会が、高校の入学願書の性別欄をなくすという発表をしました。

ポリティカル・コレクトネスはいま世界の潮流のようですが、皆さんに違和感はありませんか。
筆者は、マイノリティに対する過剰な配慮ではないかという疑念が消えません。

はじめの住民票申請書の場合、申請書に性別を記入しなくても、住民票の基本台帳には、性別が記載されているわけですから、受け取るコピーには性別が出てしまいます。

住民票が必要な場合とは、どんな場合でしょうか。
一般的には、行政や企業がそれを要求した時です。
具体的には、転居する時、不動産を契約する時、免許証を取る時、車を買う時、通帳などを作る時、携帯電話を契約する時、住宅ローン控除制度を受ける時、就職する時などがこれにあたります。
いずれも、提出する住民票そのものには、性別が書かれているわけです。

また、あとの高校受験の場合、これまで入学願書には本人が性別を記入していたわけですが、本人が性別を記入する必要から免れても、学校が提出する内申書には、性別が書かれます。

すると、大津市や福岡県教委などの配慮は、要するに、ただ単に「記入したくない」という本人の感情に対する忖度だということになります。
性別を記入しなくても、彼または彼女がLGBTである事実には変わりません。

人間は、したくなくてもしなければならないことがいっぱいありますね。
人生はそんなことばかりと言っても過言ではありません。
性的マイノリティの心情がどんなに切実なものかは、筆者にはわかりませんが、世の中には、いわゆる「普通の人」で、もっと切実な悩みを抱えた人がたくさんいることはたしかでしょう。

では、なぜ性的マイノリティというカテゴリーに属する人に限って、これほどの配慮がなされるのか。
それは、「人権」や「差別」という概念に適合しやすいからでしょう。
普通の人の悩み苦しみは、どんなに深くても、なかなか「人権」や「差別」という概念に当てはまりにくい。
多数者と少数者という識別が難しいからです。
これに対して、障害者や人種なども、この識別がしやすいので、「人権」や「差別」という概念でとらえることが容易にできます。

そこで、この識別しやすさという特徴を狙って、左翼的な思想の持ち主が、これらを政治問題化するのですね。
お役所は、公正や平等をたてまえとしていますから、この種の政治的な批判に対して、きわめて脆弱な構造を持っています。
それで、糾弾されるとすぐそのまま言うことを聞いて、行政措置に踏み出すのです。
でも、本当に、LGBTの人たちの感情問題に、そこまで忖度する必要があるのでしょうか。

さて、この潮流がもっとエスカレートしていくと、住民票の基本台帳や、入学試験の内申書からも性別欄が抹消されるという事態に発展しかねません。
すると、住民票や入試資料を受け取る側にとって、現実的に困る事態が発生するのではないでしょうか。
たとえば、部屋を借りる人が男か女かわからない、免許証保持者が男か女かわからない、など、まずくないですか。

でも、何といっても、いちばん困るのは、企業が新入社員を採用する時ですね。
仕事の配分で男女差をなくそうという「平等」理想を掲げても、現実には、職業の性別適役というものがあります。
個人に職業選択の自由があるように、企業の側にも、その職種によって、採用男女割合を決定する自由があるはずです。
また、企業は、継続的集中的な戦力を必要としますから、妊娠した女性の長期休業や退職を本音では喜ばないでしょう。
こうした企業の論理は、もっともというべきです。

学校が入学生徒を採用する時も、男女の区別なしに試験を受けさせたら、女子のほうが成績がいいので、ふたを開けてみると、大部分が女子ばかりになってしまったなんてことにもなりかねません。

さらにさかのぼりますが、『新潮45』の2018年8月号に、杉田水脈氏の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論文が載り、大炎上を巻き起こしました。
「LGBTには生産性がない」という部分だけが切り取られて、左翼陣営から人権侵害だと大騒ぎされましたが、これは、子どもが作れないことを「生産性がない」と表現したまでです。
杉田論文の要旨は、少子化の解決に貢献しない彼らに格別の政治的・法的な支援や税金の投入をする必要があるのかと問題提起しているだけでした。
ただ、ここで、税金の投入というのが何を意味しているのかがあいまいでしたけれど。

また、彼女は、LGBとTとを分けていて、T(トランスジェンダー)は性的な指向というより、むしろ「障害」として位置づけられるので、そのつらさを救うための制度的支援(社会福祉)はありえてもよいという意味のことを述べています。
これはごくまともな見解でしょう。

さらに、LGBT当事者にとってつらいのは社会的な差別よりも、親が理解してくれないことだと指摘しています。
親が自分の子どもは普通に結婚して子どもを産んでくれると信じているのに、それができないことを知ったらすごくショックを感じるだろう、だからなかなか告白できずに悩み続けてしまうというのです。
これは、筆者がLGBTの若い人に実際に聞いてみたところと一致しています。

つまり杉田論文は、エロス問題を政治的・制度的に解決することの困難さを指摘しているのです。
そしてそれが、LGBTという性的マイノリティを政治課題としてことさら前面に押し出す勢力に対する鋭い反論になっていたわけです。
筆者には、あるゲイの友人がいますが、その人は、ゲイであることを政治問題に結びつけることを嫌っていました。
そういう人のほうが多いかもしれません。
あるカテゴリーに属するとされた人々が、日常生活の中で、実際にどれくらいの差別を被っているのか、その実態を調べずに、LGBTだから差別されているはずだ、と決めつけるのはおかしなことです。

さて杉田論文にいきり立った左翼人権主義者たちは、自分たちのイデオロギーに反する考えを頭から否定しようとしました。否定しないと、同和問題と同じで、自分たちの反権力的な政治思想に利用できるネタがなくなってしまうからでしょう。

ただ、杉田論文には、荒っぽいところもありました。
たとえば、何でも多様性を認めて、結婚相手にだれを選んでもいいとなったら、ペットや機械と結婚させろなどという要求さえ出てくる。そうなると常識や社会秩序は崩壊してしまう。LGBTを取り上げる報道はそうした傾向を助長しかねないと述べているくだりです。

実際にそういう要求をする人がいるというのは事実でしょう。
しかし、それはごく特異例で、あったとしても、そんな要求が認められるはずがありません。
法制度というのは、人間のさまざまな欲望をどこまで容認し、どこまで規制するかを決めるところに意義があります。
そして、エロス欲望に関する限り、それはあくまで人間どうしの関係のあり方にかかわっています。
自分はネコちゃんと夫婦ですと思うのは自由ですが、社会がそれを制度的に公認するかどうかとはまったく別問題です。

それはともかく、杉田氏が、「何でも多様性がいい」「何でも自由がいい」という左翼リベラルのイデオロギーを攻撃する気持ちの中には、「変えよう、壊そう」とする勢力に対する健全な常識感覚が読み取れます。
「自由」などと理想を掲げてみても、実際にはこの世は困難と制約だらけです。
そのただ中をかいくぐることによってしか、自由は実感できません。
そしてそれはこれからも変わらないでしょう。

最近、こんなことがありました。
税務署に税務申告に行ったとき、裏に20台以上止まれる駐車場があり、半分ほどが埋まっていました。
そこに車を入れようとしたら、工事現場用のフェンスでふさいであり、係員が出てきて、「ここは身障者用です」と言います。
私は、「あの駐車している車の主はみんな身障者の方なんですか」と聞いてみました。
すると黙ってフェンスを取り外してくれました。
一応断らなくてはならないお役目らしい。
ご苦労なことだと思いました。
建物の表側には数台しか止める場所がなく、しかも人で混雑しているので、駐車禁止。
「あなたに言ってもしょうがないけど、これってバカらしいと思いませんか?」と柔らかく聞いてみました。
係員は面倒くさそうに、「そういうことは上のほうの人に言ってください」と、予想通りの答えを返してきました。
「上のほうの人」の愚かな判断のために、せっかくの広い駐車場を、ほとんどいるはずのない「身障者」専用にしています。
ほんの一部用意しておけば済むことなのに。
しかも「ここはすべて身障者用」と命じられた係員の人は、いちいち断ってはフェンスを開けたり閉めたりしなくてはなりません。
「社会的弱者にウチはこんなに配慮しています」という表看板のために、係員の人は、不条理と知りながら、毎日空しい仕事を続けているのです。
この人のほうがよっぽど弱者だ、と思いました。

何ごともバランスが大事です。
平等原理主義というポリティカル・コレクトネスに固執することが、普通の庶民を苦しめていないかどうか、それが新たな全体主義を生んでいないかどうか、わたしたちは、この世界の潮流に対して、注意の目を光らせることにしましょう。


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・先生は「働き方改革」の視野の外
https://38news.jp/economy/12617
・水道民営化に見る安倍政権の正体
https://38news.jp/economy/12751
・みぎひだりで政治を判断する時代の終わり
https://38news.jp/default/12904
・急激な格差社会化が進んだ平成時代
https://38news.jp/economy/12983
・給料が上がらない理由
https://38news.jp/economy/13053
・「自由」は価値ではない
https://38news.jp/economy/13224
・日経記事に見る思考停止のパターン
https://38news.jp/economy/13382
●『Voice』2019年2月号
「国民生活を脅かす水道民営化」


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1 コメント

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PCファッショとLGBT (山崎灯理)
2019-03-29 18:11:12
FBの方ではなく、こちらに投稿します。
まず、大津市の施策についてですが、 これはもう見当違いも甚だしい。私達当事者は何も別に自分のセクシャルアイデンティティを曖昧にしろとか無くせ、などと要求してはいませんし、考えたこともない。ゲイは男性、レズビアンは女性、バイは男性or女性であることに何の疑問も持ってませんし、MTF(男性→女性のトランスジェンダー)なら女、FTN(女性→男性のトランスジェンダー)なら男、と「移行先の性別を性別欄に書いてほしい」のです。
 近頃よく耳にする「男性も女性も着れる」性差曖昧な男女兼用制服もそうです。あのですね、MTFならセーラー服を、FTMなら詰襟を着たいのであって、ユニセックス制服になど魅力も何も感じない。なんでこんな簡単なことがわからないのか知ら?
 こういう、誰も頼まないことを行政がしてしまう背景には、「性差は社会的共同幻想に過ぎない」とする、フェミニズム思想が潜んでおり…なるほど、そうだったとしてそれが何なのよ…その彼女らがわたし達セクシャルマイノリティにことよせて「架空の代弁」を繰り返していることが、あります。
 大変迷惑です。わたしたちはジェンダーフリーなど全く望んでませんし、むしろ、ジェンダーに依存してるのです。社会的文化的性差のない世の中になったら、それこそSRS(性別再判定手術)を受けるしかなくなる。その費用や侵襲を知らぬ、などとは言わせません。
 次に杉田論文についてです。
 彼女が一般人よりもLGBTについて多少、知っていたことは疑えません。しかし少々、知識が古かった。当事者や運動家ではないのである意味仕方ないかもしれませんが、論文にしてオピニオン誌に出してしまってはまずい。もはや浪人中ではなく、歴とした議員です。どうしてこんな文章を出す前に、性的指向・性自認に関する特命委員会に顔を出すなり、お伺いを立てるなりしてくれなかったのか?
 野党の準備する罰則付き「LGBT差別禁止法案」と「理解増進法案」で対峙する側としては、姫の抜け駆けは…無謀にも敵陣に単騎飛び込み袋叩き…ワヤであり、スワ一大事と駆けつけた傅役や共回りが火に油を注いで大炎上…アタマ抱えちゃいましたよ。今後はもうちょっと、周りを見て行動していただきたい。一個人ではなく、比例で昇格した議員なんですから。
 次に知識についてですが、LGBTのLGBとTを分けるのはすでに、古い考え方です。米国精神医学会診断マニュアル(DSM)が2013年に改定され、第5版になって以後、トランスは「障害」とはみなされなくなりました。わが国(厚生省)の準拠するICD(WHO診断基準)は昨年、改定されています。
 https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000211217.html
 個別には様々、異論もあるところでしょうが、何らかの法的な施策を求める場合には、こちらを基準にしないわけに行きません。特に、オリンピックが近づいてますから…事は急を要するのです。
 ここでちょっと、歴史の話をします。
 80年代、米国でゲイリブ運動が巻き怒った時、「オカマたち」も大いに活躍していたそうです。主に、街で立ちんぼする男娼たちだったそうですが、デモの先頭に立ってアピールしてました。写真とか、見たことありません?
 まあ、彼女らは頑張った。そしてめでたく、「同性愛の非病理化」が実現したんです。
 ところが最後の最後になって突然、トランスだけは切り捨てられた。これってゲイの中に根強い「カマフォビア」があったからです。
 一般に誤解されてますが「ゲイ」というのはいやが上にも男らしいのが好きなので、女はもちろん、女装も殊の外、嫌われます。昔、と言っても十年ほど前までは、多くの二丁目の店で「女装お断り」が一般的でした。
 「俺達はオカマじゃない」というのが彼らの言い草です。
 それじゃあのドラアグ(dress as girl)はどうなるのよ、という話ですが、あれは「女性のパロディ」であって、だからことさらけばけばしく、露悪的に見せるのです。
 西欧キリスト教社会では同性愛はずっと禁止されてきた、という誤解がわが国にはありますが事、西欧に限っては、十九世紀に入ると次々、非犯罪化されています。そのかわり、病気とみなされ、治療の対象になりました。当時の精神病院がいかにひどいところだったかは、言うまでもありませんが、二十世紀の、それもつい最近まで、拷問のような「治療」が平気で行われてきたんです。
 なので「非病理化」は重大な課題であり、目標でした。それなのに土壇場で切り捨てられちゃったわけですよ、わたし達は。直近のDSM改正は、それを正常化したに過ぎません。
 わが国の医療制度では今までもっぱらGID(ジェンダー・アイデンティティ・ディスオーダー)の「治療行為として認められてきたSRS(性別再判定手術≠いわゆる性転換手術)ですが、その足場を失いました。
 多くの当事者は「わたしはホントは女(男)なの」とか、奇天烈なことを考えてるわけではなくて、生まれ持ったせいと違う性に透らんす移行して生きて生きたい。希望(欲望)しているだけなのです。
 さて、親子問題ですが、これはもちろん深刻です。なので多くの当事者がカミングアウトしません。そもそも家族など、指摘領域に方が安易に入り込むのは、なるべくしないほうがよろしい。
 しかし問題は、学校や会社などのゲゼルシャフトにもああります。学校では当然、いじめなどの問題が予測されますし、就職後も様々の問題が起きます。世の中そんなに開けてないし、金とか地位がかかったら建前など、簡単に吹っ飛んじゃいますからね。だからまず、このへんから環境整備していかなければなりません。少なくともLGBTに配慮して性別欄をなくしました、とか、ユニセックスな制服を創ってみました、などというトホホな情況から、解決していかなければならないわけです。
 そこに差別禁止法案(罰則付き)なんて施行したら、「わけも分からず差別者にされ、糾弾されてしまう」などというファッショな情況が現出するでしょう。野党や一部当事者団体の狙いはむしろ、そちらにあります。
 PCファッショという所以。
 ファシズムは常に、同時代と社会の「反論できない正義」をテコにして広がるものです。その種は「ドイツ人の優越」であっても「歴史的必然」でも「革命の由緒正しい血筋」であっても「人権」でも構わない。要は、それを社会の一部が「専有する」ことが、問題なんです。
 なぜそうなるか?
 情報が、非対称だからですね。自分の知らないことで、当事者にわんわん言われたらついつい、「そうなのかな?」と考えちゃうものです。
 例えば韓国では「正しい歴史」を政府が専有し、それを受け入れない自由など自国民だけでなく、我々にも認めません。
 そうさせないためには、我々もに知的武装が必要です。
 同じようにLGBTをPCファッショの種にさせないため、自民党で準備したのが「理解増進法案」です。DSM5やICD111に立脚した、標準的医学知識。ジェンダーフリーなどのトンデモ過激思想との切り分けに、取り組んでいかなければなりません。今国会、成立してくれると有り難いんですが。
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