遅ればせながら、「シン・ゴジラ」を見てきました。この危機管理映画がこれだけ受けるのは、いまの日本人の多くが内外に抱える問題(災害、外交、安全保障、原発問題その他)に対してかなり危機意識を抱えていることの証左でしょう。
ゴジラに何の寓意を見るかは人々の自由ですが、私は個人的には、初めに出てくる幼生ゴジラの首がどこかの国の象徴であるドラゴンによく似ていることと、外からやってきた危機を最終的には米国や国際機関に頼らず、ついに自国の力で守り抜くというストーリー展開に、どうしても例の国の脅威に立ち向かうためのあるべき姿を連想してしまいました。
この映画では日本政府の実際の体たらくとは違って、かなりスピーディに中央政府のエリート事務官、技官たちが危機に対する対応態勢を固めてゆきます。現場への指揮命令系統の動きもきわめて迅速です。昔のこの種の映画では、権力の腐敗と無策ぶりを描いて国民のルサンチマンをガス抜きさせることが多かったようですが、その点が昔と違う点です。ここに私は、健全なナショナリズムの成長をみて、いささか希望を感じた次第です。
エンタメをすぐに現実の安全保障問題に結びつけるのは鑑賞の仕方としては邪道ですが、以下に掲げるのは、折しも産経新聞9月6日付に載った「ミグ25事件40年 現代の脅威は中国の領空侵犯 元空将・織田邦男氏に聞く」という記事です。これを読むと、40年間、いかに立法府が怠慢を決め込んできたかがわかります。「シン・ゴジラ」をこういう怠慢ぶりに対する警鐘として観ることもあってよいのではないでしょうか。
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航空自衛隊の対領空侵犯措置(対領侵)の主対象は冷戦期のソ連から中国に移った。ソ連軍の領空接近の目的が偵察と訓練だったのに対し、中国軍の目的は尖閣諸島(沖縄県石垣市)の実効支配とみられる。だが威嚇や挑発がエスカレートする中、空自が対処する上で重大な欠陥がある。元空将の織田(おりた)邦男氏に聞いた。
--対領侵の問題点は
「自衛隊法には防衛出動などと並び対領侵の行動が規定されている。ほかの行動は自衛官が武器を使用できる権限が規定されているが、対領侵だけ権限規定がないことが問題だ」
「権限規定がないため自然権である正当防衛、緊急避難以外は武器を使えず、対領侵の任務を遂行するための武器使用はできない」
--自分がやられるまで武器を使えない
「そうだ。『領空侵犯機が実力をもって抵抗する』場合に武器を使用できるという政府答弁があるが、実力をもった抵抗ですでに空自は犠牲者が出ている」
「『相手が照準を合わせて射撃しようとしている』場合には攻撃される前でも危害射撃を行えるとの答弁もあるが、机上の空論だ。相手が照準を…と悠長に判断していれば、次の瞬間に攻撃されている」
--権限規定がないことは法的不備では
「ある元裁判官は『立法不作為』と断じた。権限規定がないことは『武器を使用してまで(侵犯機を)領空から退去あるいは強制着陸させるべき強制的権限を与えないという国家意思と解さざるを得ない』とも指摘している」
「任務は与えるが、権限と手段は与えない。だから対領侵の実効性は担保されなくても構わないというのが国家意思だろうか。そうではなく、『断固として領空を守れ』のはずだ」
--尖閣の領空が危うい
「中国は尖閣を力ずくで奪おうとしており、中国軍機が尖閣で領空侵犯をする日は近いかもしれない。尖閣で頻繁に領空侵犯され、厳正に対応できなければ実効支配しているといえなくなるのではないか」
「領空侵犯されれば直ちに撃墜できるようにすべきだと主張しているのではない。撃墜されるかもしれないと相手に認識させて初めて領空侵犯を防ぎ、強制的に退去・着陸させることも可能になる。対領侵の権限規定を追加する法改正は待ったなしの課題で、立法不作為を放置することは許されない」