改正風俗営業法が、2015年6月17日の参議院本会議で可決され、成立しました。今度の改正では、一定の条件を満たすことでナイトクラブの深夜営業が可能になるほか、ダンスホールやダンス教室を規制対象外とするそうです。
ひとまずはこの改正を歓迎したいと思います。夜の活気がある程度甦って来ることで、経済の活性化がいくらかは期待できそうだからです。
しかし、この期待を満たすためには、ナイトクラブやダンスホール、ダンス教室の規制を緩和するだけではあまりに不十分でしょう。高級飲食店であるナイトクラブの客は裕福な層に限られますし、ダンスホールやダンス教室は主として社交ダンスのための場所で、こうした施設に通う人は、ごく限定されていると思うからです。
若者たちに圧倒的な人気のあるディスコは深夜営業が禁止されており、多くはこの禁止を逃れるために「クラブ」(アクセントが「ブ」にある)と呼び変えて、風営法認可申請をしていません。つまり脱法クラブであるわけです。
ディスコが危険ドラッグの取引に利用されるという実態もたしかに一部にあるようですが、だからといって、音楽や踊りを楽しむことを目的として通ってくる大部分の健全な人たちを締め出してしまうのは、文化的な意味からも、経済効果的な意味からも、得策とは思えません。ドラッグの取り締まりは、それはそれで、ルートのさらなる解明などに力を注いで、別途行なうべきでしょう。
文化は夜間や休日に花開くといっても過言ではありません。昼の仕事に疲れた人たちが食事や酒を楽しみながら談話したり歌ったり踊ったりする――こういう多くの人が求めている娯楽の空間に厳しい制限を課すのは、成熟した先進国にまったく似つかわしくないことです。
ディスコだけではありません。何よりも庶民の憩いと社交の場である「スナック」に対する規制の厳しさには、普通の生活感覚で考えてまことにバカげたものがあります。その細かさを見ると、この法律を作った人は、禁欲神経症ではないかと疑われます。
念のため、この規制のあり方のややこしさを紹介しておきましょう。
「スナック」では、ママやホステスがカウンター越しに飲食物のサービスをすることが建前となっていますが、実際には、テーブルに客と同席して接待することも普通に行われています。誰でもこんなの経験してますよね。
ところがこれをやると、法律上「風俗営業」となり、深夜0時以降の営業はできないとされています。それだけではありません。同じ同席でも、テーブルをはさんで向かい合わなくてはならず、横に座ってはいけません。酒を勧めてもいけない。また、ママやホステスは、客席側に出てきてカラオケを歌ってはいけません。ましてダンスなどもってのほか。まだまだありましたな。傑作なのが、「歓楽に誘うような振る舞い」を一切してはいけない! おいおい、店に行って酒を飲むのは「歓楽」じゃなかったのかい。看板も出せないじゃないか。
では午前0時以降、アルコール類を提供する場合は、どうすればよいのか。別途「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)」に基づき、公安委員会に「深夜酒類提供飲食店営業」の届出をしなければならないのです。ところが深夜酒類提供飲食店と風俗営業を兼ねることはできませんから、風営法で許された、客と同席する「接待」はできないことになります。
簡単に言うと、普通のスナックで、二つの法律の認可を受けている場合、0時以前に風営法に則って接待していたママやホステスは、0時を過ぎたら今度は「風適法」に従ってそそくさとカウンター内に引っこまなくてはならないということです。そんなこと守れるか。小学校の学級規則じゃないんだ。
もちろん守れるわけはないので、ほとんどの場合、ちょっとしたスピード違反と同じで、こんな細則は無視されているわけですが、私は以前、ちょくちょく通っていた小さなスナックに10人も捜査官が押しかけてきて、ママが摘発された例を知っています。弁護士を紹介したので、そのときに、風営法の細則を読む機会があり、その神経症ぶりに驚いたのです。ママは、相当の罰金を取られたようです。
「失われた二十年」のために、地方のシャッター街は相変わらず増え続けていますし、大都会でも、街の灯ははやばやと消えていきます。飲み屋も客が来ないので10時くらいに店じまいする所が多いようです。もちろん、風営法の規制を緩めたからといって、すぐに夜の景気が回復するわけではありません。根本的には、政府が緊縮財政の方針を打ち出している限り、デフレ脱却は望めないでしょう。
仁徳天皇は民の竈の寂しいさまを見て租税の徴収を控え、煙の立ち昇るのを見て満足したと伝えられます。現代では、竈の煙に当たるものが夜更けの街のにぎやかな灯だと言ってもよいと思います。
しかし、景気は気からとも言います。不夜城の復活とまではいわないまでも、せめて、私たちの夜の活気を殺ぐような、過度な禁欲主義的規則の適用だけは慎んでほしいものです。取り締まりにあたる警察官だって、街の灯が一つまた一つと消えていく光景には寂しいものを感じるのではありませんか。