小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(10)

2014年02月04日 02時07分33秒 | ジャズ
 これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(10)
 ――番外編・女性ヴォーカル――



 このシリーズも10回目を迎えました。これまで楽器演奏の曲ばかりを取り上げてきましたが、ここらで趣向を変えて、ヴォーカルをご紹介しましょう。
 といっても、私はもともとジャズ・ヴォーカルにはさほどの関心がなく、知識もありません。しかも、なぜか男性ヴォーカルには魅力を感じてきませんでした。たとえばレイ・チャールズトニー・ベネットはとてもハートのある歌手ですが、フランク・シナトラなんてどこがいいの、と思ってきた口です。
 自分でも不思議なのですが、クラシックでは、逆に女性オペラ歌手にはあまり魅力を感じません。あの磨きに磨いた「芸術」的な発声にどうもなじめないのです。男性歌手には自分の思いを代弁してくれるものを感じるせいか、憧れと羨望を抱きます。マリオ・デル=モナコ、ジョゼッペ・ディ・ステファノ、バスティアニーニなど、イタリアの情熱的な歌手が好きです。
 ジャズ・ヴォーカルは、クラシックに比べると自然な発声に近く、裃を着ないで気楽に楽しむことができます。それで、そのぶんだけかえって歌い手の声の質や調子に対する好みが決定的になるところがあるようです。小説における文体、漫画における描線とおなじようなところがありますね。当の女性歌手がすぐそばにいて、自分に語りかけてくれているような錯覚に誘われるのでしょう。

 ところで昔ジャズ喫茶巡りをしていたころ、楽器演奏曲の合間を縫って、時々ジャズ・ヴォーカルがかかることがありました。あまり関心がなかったといっても、さすがに耳に残ります。それらのなかから、自分の好き嫌いや評価も含めていくつか紹介したいと思います。
 まず女性ジャズヴォーカルといえば、元祖ともいうべきビリー・ホリデイの名を挙げなくてはならないでしょう。しかし、私はどうも彼女の声が好きになれません。どれを聴いても、深み、味、うまさ、艶、洗練された調子、心に訴えかける情調といったものが感じられないのです。やや甘ったるい声を無雑作に出しているだけで、なぜこの人がこんなに大歌手扱いされているのか、よくわかりません。
 こんなことを言うとファンの方に怒られそうですが、彼女の価値は、幼児期からの哀れな境遇、白人のリンチに遭って木から吊るされた黒人を歌った大ヒット作「奇妙な果実」の衝撃性などによって、相当上げ底化されているのではないでしょうか。歌そのものよりもその周辺の神話化された部分が今日の名声に大きく寄与しているような気がしてならないのです。
 それともう一つ考えられるのは、有名になってからの彼女は、酒と麻薬とギャングが支配する夜の世界での仕事に追われ、男性関係も乱脈で、生活はかなり懶惰なものでした。毎日毎日、発声に細心の注意を払うという、プロとして要求されるストイックな修業の余裕があまりなかったのではないか。
 とはいえ、「奇妙な果実」の初期のころ(?)のヴァージョンでは、さすがに彼女の若いころの張りのある声と、魂を入れ込んだ強い思いとが伝わってきます。それをここに掲げましょう。

Billie Holiday-Strange fruit- HD


 ちなみに後年、彼女は何度も同じ曲を歌っていますが、歌い方は平板となり、このヴァージョンに及びません。

 次に、エラ・フィッツジェラルドの名を挙げなくてはならないでしょう。ビッグバンドを背景に力強く明るく歌う彼女のパンチのある歌唱は、いかにも最盛期だったアメリカを象徴していると言ってよいでしょう。巨躯から出される声量・歌唱力は文句なしです。しかし私は、彼女に対してもあまり心を惹かれません。もともと「可愛い」声の持ち主で好感が持てるのですが、いかんせん、そのためかどうか、「陰翳」というものが感じられないのです。要するにあまりセクシーじゃないんですね。ジャズ・ヴォーカルは、陰翳とセクシーさが大切、と私は頑固に思い込んでいます。

 さて、なんだか悪口を言うために書いているような按配になってしまいましたが、これから自分が高く評価している歌手を挙げます。
 まず、サラ・ヴォーン
 この人の歌は、適度にソフィスティケートされていて、低音部の響きもよく、しかもヴィブラートを効かせた伸びのある声は聴いていて何とも心地よいものがあります。何よりも、ジャズ・スピリットにぴったりの「乗り」を身につけているのですね。
 それでは代表曲「ララバイ・オヴ・バードランド」。

Sarah Vaughan - Lullaby of Birdland


 次に、歌のうまさという点では抜群といってもいいカーメン・マクレエ
 彼女は、サラがややポップに流れがちなのに比べて、頑固にジャズの本道を極めようとする精神に満ち溢れています。玄人受けする堂々たる本格派といってよいでしょう。若いころ私は、この人の存在感の凄さに気づきませんでした。しかし日本でも知的な層にファンが多いようです。
 声は太くて音域が低く、ちょっと枯れていて男声と見まがう時もあります。サラのようにスキャットはあまりやりませんが、その代わり、節回しに独特の工夫が施されています。
 軽い歌もたくさん歌っているのですが、彼女にふさわしいのは、やはりちょっと重たげで厳かな曲でしょう。先に挙げた「奇妙な果実」を彼女がどう歌っているか、聴き比べてみてください。もちろん、ビリー・ホリデイの創造者としての偉大さは認めますが、私はこちらのほうがずっとソウルフルで、歌心をよくとらえていると思います。

Carmen McRae - Strange Fruit(+ 再生リスト)


 よろしければもう一曲、「インサイド・ア・サイレント・ティア」。少し長いですが、この曲には彼女らしさがとてもよく出ていると思います。切ない恋心を歌ってはいても、ふつうのそれとはちょっと違って、詩にも歌い方にも抑制された深い内面性が感じられます。

Carmen McRae - Inside A Silent Tear - Velvet Soul(+ 再生リスト)


 あまりまじめに聴いていると、少々気分が「鬱」になるかもしれません。

 以上はすべて黒人歌手ですが、白人女性歌手にも、魅力的な人がたくさんいます。総じて彼女たちの歌いっぷりは、サーヴィス精神が旺盛です。聴いていて思わず楽しくなったり、耳元でささやかれているような気がしてきてとても親しみを覚えます。こんなふうに歌ってくれる人が身近にいたらなあ、などと妄想してしまうのですね。
 ではまず、これは厳密にはジャズとは言えないでしょうが、かつて全米でも日本でも大ヒットしたペギー・リーの「ジャニー・ギター」。このしっとりとしたフィーリングは、どなたにも必ず気に入ってもらえると思います。癒し系、かな?

PEGGY LEE - Johnny Guitar


 次にそのハスキーな声の魅力で「ニューヨークの溜息」と呼ばれたヘレン・メリルの「ユー・ド・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」。これは、本当に雰囲気で聴く曲です。彼女は声量もそれほどなく、歌もそんなにうまいとは思えませんが、この洗練された味わいは何とも言えないものがあります。

Helen Merrill with Clifford Brown / You'd Be So Nice To Come Home To


 最後に、アニタ・オデイ。この人は、このシリーズの一回目で紹介した音楽映画「真夏の夜のジャズ」に、帽子をかぶって出演した姿が印象的です。
 彼女もハスキー・ヴォイスです。彼女は一度名声を得てから、鳴かず飛ばずの不遇な時期もあったようで、その最盛期の歌手生命はそんなに長くありません。それにヘレン・メリルと同じように、サラ・ヴォーンやカーメン・マクレエと比べると、歌のうまさという点では聴き劣りがします。スローバラードなどでは、音程の不安定さも感じられます。しかし、これから紹介する「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」のようなアップテンポの曲では、乗りまくっていて、この人こそジャズ・ヴォーカルの真打と思わせるところがあります。この曲ではスキャットは入っていませんが、ほとんどスキャットと同じような歌詞の運びと言ってよいでしょう。
 なお、私にはよくわかりませんが、カーメン・マクレエのように非常に聞きとりやすい発音をする歌手に比べて、アニタの発音は、聞きとりにくく、これは一種の「ニューヨーク弁」(ロンドンのコックニーや、東京のべらんめえ調のようなもの)を意識的に使っているのではないかと思います。それがまた都会的な歴史を感じさせて面白いのですね。

Love Me or Leave Me: Anita O'Day


 以上でお分かりのように、女性ジャズ・ヴォーカルの人たちは、たいていハスキーヴォイスか、太い声か、可愛い声か、のどれかで、キンキンした声の人はいません。これは日本の演歌でも同じで、やはり、庶民に親しまれる「歌」というものが、日常生活に疲れた感覚を癒す役割を果たしていることを示すのではないかと思います。