Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

大橋悠依、金メダル

2021-07-25 11:59:17 | 他スポーツ
今朝は競泳からいいニュースが来ました。女子400m個人メドレーで、予選3位で決勝に進出していた、東洋大学OGの大橋悠依選手が金メダルを獲得しました。大橋は美人選手で知られ、一般的に筋肉質が多い競泳選手にしては珍しくすらっとした長身で、モデルでも通用するのではと思うほどです。ファンからも「かわいい」と声をかけられるほどです。

400m個人メドレーの面白さは、泳法によって得意と不得意があることです。そのため、どこでリードを奪っておくかは選手によって違った戦略があります。大橋の場合は、背泳ぎと平泳ぎが得意で、そこでリードを奪って最後の自由形は逃げ切るという戦略だった様子です。本人は「最初のバタフライが重要」と、序盤で出遅れる最悪の事態は避けようと考えていました。

バタフライでは、1レーンのハンガリー選手がトップで先行しますが、大橋も先頭集団につける泳ぎができていました。トップとほぼ差がない、3位でバタフライを終えるのは彼女にとって作戦通りだった様子です。次の背泳ぎで、少しずつリードし始め、背泳ぎで先頭でターンします。次の平泳ぎが、勝負を大きく分けました。

400m個人メドレーは、自由形やバタフライが強いパワースイマーが転向することが多く、技術が重要な平泳ぎは明らかに苦手な選手もいます。そこで大橋がきっちりとまとめた泳ぎをしたことで、リードは次第に広がってきました。最後の自由形は、アメリカの19歳の選手がどんどん追い上げてきましたが、大橋は平泳ぎの貯金が効いて逃げ切り、見事な金メダルを手にすることになります。

19歳のときに出場した大会で40位と最下位だった大橋が、五輪金メダルまで行けたことは本人も「ここまで行けるとは思わなかった」と、25歳と遅咲きのブレイクに驚いていました。もともと、世界選手権銀メダルなど、ポテンシャルは持っていた彼女なので、戦略がうまく行った故の、今回の快挙だったと思います。
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杉本健勇、横浜Fマリノスへレンタル移籍

2021-07-24 19:14:24 | 浦和レッズ
平川引退試合の余韻がまだありますが、浦和レッズから移籍情報がありました。FW杉本健勇選手の、J1横浜Fマリノスへのレンタル移籍です。杉本は開幕から多くの試合で起用されたものの結果を出すことができず、新外国人FWユンカーの大活躍もあって出番が減少していました。J1のC大阪で22得点の実績もある杉本なので、何かきっかけをつかめば、再度のブレイクもあるかもしれません。

杉本は大阪の出身で、ジュニアユース時代からC大阪の育成組織で育ちました。プロ入りは昇格したC大阪でしたが、どうしてもロンドン五輪(2012年)に出たいという理由で、当時五輪出場にチームから2名までの制限があったことから、あえてJ2の東京Vに移籍して五輪出場を19歳のときに果たした才能です。当時から、日本にはあまりいないポストプレーヤーとして、日本代表にも入るなど将来を嘱望されていました。

もっとも、杉本の挫折は、J1川崎に移籍した2015年で、FWとしては少ない6得点という結果に終わり、J2に降格していた古巣C大阪に戻らざるを得なくなる苦戦がありました。このJ2で14得点を挙げて復活の狼煙を上げると、翌2017年に、自己最多となる22得点をJ1で挙げて、期待の存在になります。しかし、翌2018年は5得点と不振に終わり、浦和は2019年に復活を信じて獲得したという経緯があります。

しかし、浦和での彼のプレーは苦戦続きでした。特に不運だったのは、当時2トップを組んでいた興梠と合いにくいタイプだったことです。この2トップが両方ともボールを待つ動きをしてしまったことから、浦和の攻撃が機能せず当時のオリベイラ監督解任のきっかけを作ってしまうことになります。オリベイラ監督の後を受けた大槻監督は、布陣を3-6-1に変更して、杉本の出番は大きく減少することになります。

翌2020年は、大槻監督が布陣を4-4-2に変更したことで、ポジションを奪回します。下がり気味のところでさばいて、興梠やレオナルドを生かす、新たなFW像を見せます。得点数こそ2点と少なかったものの、彼なりに浦和というチームに適応しようと頑張りを見せてくれました。しかし、今季は1トップで起用され、求められる得点数を出せなかったことで、出番が減少することになりました。

横浜Fマリノスでは、日本代表FWオナイウなどライバルも多く、厳しいポジション争いが待っています。それでも、ここで結果を出すことで彼の選手寿命を延ばすことにつながるので、どうにか結果を出して欲しいものです。浦和戦以外での活躍を期待しています(笑)。
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F1ドイツGP(1994年)の記憶

2021-07-24 17:02:12 | 他スポーツ
ウスラー5日間大会を3日間で切り上げた私は、当時流行っていたF1のドイツGPを見に、ホッケンハイムサーキットに行きました。このホッケンハイムは長い直線コースがあるので「エンジンサーキット」と呼ばれており、フェラーリやウイリアムズのような強力なエンジンを持つチームの優位が予想されていました。地元凱旋のシューマッハは予選4位からのスタートでした。

当時、言葉がわからない予選に行った私は、何が起こったかわかっておらず、予選の順位は日本にいる弟に国際電話で確認しました。ここで片山右京の5位を知り、アナウンスが「Ukyo Katayama, Good race!」を何回も繰り返していた理由がようやくわかりました。しかし、熱戦を期待したレースはスタートのアクシデントで狂うことになります。

マクラーレンのハッキネンがスタートで突然暴走して、何台も巻き込む多重クラッシュを起こし、有力候補だったウイリアムズのヒルはピットインを強いられ脱落します。これで一躍本命に躍り出た、ベネトンのシューマッハですが、まだ当時は本当のトップレベルのチーム所属ではなく、世界トップレベルにのし上がっていく過程の途中でした。

そのシューマッハは、レース中に突然マシンが煙を出してしまい、無念のリタイヤに追い込まれます。ホテルに帰ってあとで見た、ユーロスポーツの映像で「シューマッハが失速しました!」と実況が悲鳴を上げている様子で、ここで地元優勝を期待していた多くのファンが落胆することになります。予選5位と見せ場を作った片山右京も、レース中にスピンしてリタイヤとなります。

あとは、サーキットは静まり返り、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが淡々とトップを走って優勝をつかむことになります。オーストリア人で準地元になるベルガーですが、あまりドイツ人に応援する様子はなかった印象です。それでも、フェラーリのマシンが独特の甲高いエンジン音を立てるなど、現地に行かなければわからないこともありました。

それでも、この旅はほぼ計画通りに、日本で考えていた通りの旅ができました。ヨーロッパのスウェーデン、ドイツを巡ったダイナミックな旅が本当にできたことで、自分に自信がついた旅でした。今思えば、若いからできた、貴重な経験でした。







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平川引退試合マニアック分析

2021-07-23 15:38:17 | 浦和レッズ
平川引退試合の後半戦の印象です。現役チーム側が、後半の頭から選手を大幅に入れ替え、ジュニアユースの選手たちが主体というメンバーで来ました。OBチーム側も平川と小野伸二を除く全員が交代し、永井雄一郎と田中達也の2トップに、トップ下に小野伸二、鈴木啓太と酒井のダブルボランチに右アウトサイド岡野、左アウトサイド平川と、2007年のACL優勝時を思い出すようなメンバーで来ました。

相手がジュニアユースとなれば、手加減していた印象もあった現役チームと比較すれば、OBチームもボールを回せるようになります。この試合では小野伸二が広い範囲に顔を出して、得意なダイレクトプレーでスタジアムを沸かせていました。参加選手中、最年長の岡野はさすがに昔の運動量はなく、2度ほどスルーパスを追いかけるのが手一杯でした。それでも、2000年のJ2最終戦で、ウォーミングアップでピッチを駆けてサポを沸かせた、あのときと同じ形を見せてくれました。

平川も左サイドでも昔と同じような万能ぶりを見せており、ジュニアユースのSBに何度か仕掛け、相手DFが手を少し掛けたプレーが主審の粋な計らいでPKとなり、このPKを平川自身が決めて3-2とOBチームが1点をリードします。地域リーグとはいえまだ現役の、永井雄一郎は往年を思い出すドリブルを見せており、田中達也も味方のロングボールを全力で追う、昔から変わらない真面目なところを見せます。

GKは15分毎に3人入れ替わり、都築、岩舘、山岸が全員登場しました。最後の15分は平川の息子がFWとして出場し、父親譲りのスピードで小野伸二のスルーパスをゴール前まで追いかけて、シュートは惜しくもGK正面だったものの盛り上げました。昔から浦和を見てきた、ベテランサポの私にとっては至福の時間で、90分立ちっぱなしでも見る価値は十分あった試合でした。

試合後には、犬飼元社長から挨拶があり「2002年に私が社長になった頃、平川君が右アウトサイドでプレーしたときはスピードがあって攻撃で可能性を感じた。あの頃は浦和レッズを強くしていく時期で、三都主や相馬も取り、ポンテも取ってギド監督の要望に応えた。」みたいなことを話していました。細かいところは怪しいですが。

また、平川自身の挨拶では「1999年の浦和降格の瞬間はサポーターの一人として駒場にいました。1年でJ1に復帰できたことでこのチームの強さを感じ、のちに浦和の一員になれたときは嬉しかったです。また、引退試合の開催は迷いました。コロナ禍でどういう形で開催するか、いろいろ悩んで開催した。」と明かしています。楽しめた、真夏の90分間は、あっという間でした。


小野伸二


闘莉王








小野伸二








坪井慶介


李忠成


永井雄一郎


田中達也


内舘秀樹


都築龍太


岡野雅行




平川忠亮


堀之内聖


岩舘直


山岸範宏


平川の息子、りょうけん君

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出てこなかった相手(7/22U-24日本対南アフリカ)

2021-07-23 15:02:21 | ワールドサッカー
昨日のU-24日本代表戦、平川引退試合に出かけていたのでビデオでチェックしました。この試合は南アフリカのチーム内の新型コロナウイルス感染の影響で、直前まで試合があるかどうかわからず、キックオフ2時間前の午後6時にようやく「予定通り開催」が決まった試合です。日本代表の選手たちも、気持ちを盛り上げるのが難しかった試合と思われます。

もっとも、この試合が接戦になったのは、南アフリカの戦い方が理由です。南アフリカは5-4-1で自陣に守ってくる布陣を引き、カウンターとセットプレー以外はほとんど上がってこない守備的な試合を選択しました。この後ろ2ラインにトップ下の堂安が挟み込まれ、真ん中を使った攻撃はしにくい試合でした。久保建英と三好を生かしたサイドではボールを持てましたが、シュートチャンスはことごとく外れました。

相手GKのウイリアムがオーバーエイジで、好セーブを連発したこともありますが、日本としてもチャンスをなかなか生かせなかった苦しい内容でした。堂安のクロスをFW林が合わせてゴールかに見えた場面も、林がオフサイドで、前半は0-0で折り返すことになります。南アフリカとしては、1点でも勝ち点を拾えば、今後の戦いで少しずつコンディションを上げていける頭もあったでしょう。

この日の日本が良かったのは、その焦れる展開にめげすに、何度か久保建英を生かす形を続けたことにあります。久保建英と酒井宏樹が絡んだ右サイドはこの日はよく使えており、あと一本ボールがつながれば決定的という場面を何度か作れていました。それはゴールという形に表れ、久保建英がドリブルで切れ込んだ場面からの左足シュートが、ポストの内側に当たって入るゴールで、待望の先制点は日本に入ります。

もっとも、この試合では課題も見られました。なかなかシュートが入らなかった攻撃陣もそうですが、問題視したいのは左SBを中山から旗手に交代させてからの左サイドの守り方でした。旗手が個人的に相手に突破されたのではないですが、相手のコンビネーションプレーの前に旗手や相馬が置き去りにされ、南アフリカに何度か決定機を許した場面です。

ベンチの森保監督が、この守備は課題とみて、MF堂安を下げて町田を左SBに入れて、旗手をFWに回す布陣変更を打って解決しましたが、もちろんオーバーエイジの酒井宏樹がいる右サイドより、左サイドの方が狙えるという意図は相手にはあるでしょう。そこをどうやって守るかは、今後の試合で答えを見つけていって欲しいものです。
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少しずつ慣れてきた(7/21なでしこ対カナダ)

2021-07-22 23:33:44 | レディース
昨日の五輪1次リーグ、なでしこジャパン対カナダ代表の試合のビデオを見ていました。カナダは38歳のベテラン、シンクレアが未だにチームの中心で、トップ下気味の位置から飛び出してくるシンクレアの動きに日本は対応できず、前半9分という早すぎる時間でシンクレアのゴールで1点ビハインドになります。カナダは大柄な選手が多く、日本のちょっとしたトラップミスを逃してくれない、スピードも持っている相手でした。

日本は、ゴール前にいる1トップの菅澤が孤立する展開を強いられます。サイドの塩越や岩渕にボールを入れてからの打開を狙いますが、そこはカナダが厳しく寄せてくるので、なかなかクロスを入れられない、厳しい展開が前半一杯続くことになります。何か、ハーフタイムに動かないといけない展開で、予想通り菅澤を下げて田中美南を入れて1トップに置きます。

この交代で、田中美南が思い切って仕掛けたプレーからゲームが動きかけます。田中美南がゴール前でカナダGKともつれ合って倒れたプレーが、VARの結果PKになります。カナダGKはこのプレーで負傷し、なかなか起き上がることができませんでしたが、5分ほど中断ののちに復帰し、田中美南が自ら蹴ったPKを横っ飛びでセーブして流れを渡さないことに成功します。

そのGKは結局負傷交代することになりましたが、カナダのプレスは日本にとっては厳しいものでした。しかし、時間が経ってくると日本側にも対策が出始め、長谷川唯(写真)が相手MFに仕掛けて1枚はがす(一人抜く)とチャンスになってきました。なでしこが勝つときは、次第に相手のスピードに慣れてきて、テクニックを発揮できるようになる展開で、その可能性も出始めてきていました。

その長谷川唯が効きました。彼女の思い切って蹴ったロングボールから、岩渕がうまく相手DFの裏に回り込んで、フリーでゴール前に走り込んで技ありのシュートを決めて同点に追いつきます。日本の高倉麻子監督はこのゴールを見て、無理しないことに決め、長谷川唯を下げて籾木を入れて運動量を維持する交代を打って確実にこの試合を引き分けに持っていきました。

初戦の引き分けは、内容から見れば追いついた引き分けだったこともあって、希望が出てくるものだったでしょう。次のイギリス戦は相手が格上ですが、この日のように粘り強くスピードに慣れていけば、勝ち点を得ることは可能と思いたいです。
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平川忠亮引退試合

2021-07-22 23:04:00 | 浦和レッズ
今日の平川忠亮さんの引退試合、行ってきました。チケットを確保した段階で、アウェイ側立ち見スタンドしか残券がなく、一瞬躊躇しましたがどうしても見たいと思って確保しました。この試合は、浦和レッズの現役チームと、平川忠亮さんと一緒にプレーした歴代選手を集めたOBチームの対戦でした。もちろん、現役チーム側はOBに怪我はさせたくないので、組織的プレスなどはなく、スピードでは勝負せず技術だけで試合をしてきました。

また、この試合が面白くなった理由に、OBチーム側の半数ほどが現役選手だったこともあります。スタメンの3バックは坪井さん、闘莉王さん、槙野でしたが、守備は槙野と宇賀神で何とかすることになっていました。また、結果的に主役の平川とともにフル出場することになった小野伸二が効いていて、ボランチの位置で華麗にさばいて、平川や関根を走らせるプレーを見せていました。

平川の位置は、最初は右アウトサイドでした。平川自身もこの引退試合には備えていた様子で、パスが来れば走る、1対1では負けないなどができており、この試合のクオリティを保っていました。平川のクロスがアシストになってゴールが決まればいいなと思っていましたが、さすがに長い距離のキックの精度までは詰め切れなかった印象もあります。それでも、後半に右サイドから田中達也の頭に合うクロスも上げていたので、コーチとして毎日若い選手と練習しているところは発揮していました。

先制点は現役チームに入り、明本のクロスからの武田英寿のミドルシュートでした。技術だけで試合になる現役はさすがですが、この試合はジャッジが平川のために効いており、現役チームのエリア内の微妙な接触はすべてファウルでPKとなり、それを平川が蹴る約束になっていました。平川が、相手GK塩田の逆に蹴ったPKで同点に追いつきます。

この試合は90分の試合ですが、飲水タイムが15分に一回あるという、選手交代をやりやすくするとともにOBチームのコンディションに対する配慮がなされていました。この交代で那須がCBに下がって闘莉王がFWに行き、平川が左サイドのトップ下に入るという布陣変更がなされました。このトップ下のプレーで、宇賀神の左クロスを平川がボレーで合わせて、OBチームに2点目が入ります。

現役チームの、浦和での初出場となる江坂が前半終了間際に同点ゴールを決めて、前半は2-2で折り返します。OBチームの監督は堀孝史氏でしたが、森脇が監督のごとくベンチ前で大声を出していて、主審に注意される一幕もありました。後半については、明日マニアック分析で補足します。


山岸範宏


岡野雅行


堀之内聖


青木拓矢


森脇良太


坪井慶介


岩舘直


闘莉王


坪井慶介


李忠成


平川忠亮


山岸範宏


柏木陽介


小野伸二


岡野雅行


興梠慎三


槙野智章


阿部勇樹


李忠成


柏木陽介


関根貴大
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フランクフルトの記憶

2021-07-21 23:24:58 | 雑記
オリエンテーリングの会場、ウスラーを一人旅立った私が向かったのは、写真のフランクフルトでした。こういう、バックパッカーの一人旅ではツーリストインフォメーションがお得で、比較的安い値段でいい宿を紹介してくれます。駅の近くは治安の悪い場所もありますが、地下鉄で街の中心部に出て、旧オペラ座や中央広場など、戦争から復興して元の街に復元されたフランクフルトの街を見てきました。ドイツ語ではフランクフルトのことは「フランクフルト・アム・マイン」と言います。マイン川沿いのフランクフルトという意味で、そのマイン川も見てきました。大河であるライン川の支流ですが、水辺が涼やかだった記憶です。









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照ノ富士、横綱昇進へ

2021-07-20 23:54:01 | 他スポーツ
大相撲名古屋場所で、惜しくも優勝は逃したものの、14勝1敗の好成績を残した大関照ノ富士の横綱昇進は確実です。過去に、大関から陥落して大関に戻り、横綱に昇進した例は三重の海がいますが、照ノ富士の場合は陥落した番付が序二段だったので奇跡的な復活です。

照ノ富士はモンゴルの出身で、同郷の逸ノ城とは一緒の飛行機で来日して、鳥取城北高校の三年生に照ノ富士が、一年生に逸ノ城が編入したという浅からぬ縁です。照ノ富士は入門当時は元若乃花の間垣部屋で、四股名も「若三勝」でしたが、間垣部屋の閉鎖で今の師匠の伊勢ヶ浜親方のところに移籍してきました。

相撲ぶりは上半身の筋力の強さを生かした、引っ張り込む相撲でした。最初に大関に上がった頃は外四つで勝つなど、力技で勝っていた印象でした。逸ノ城との相撲は熱戦になることが多く、水入りにもなる3分以上の相撲も見られました。右の相四つの逸ノ城と対戦すると、がっぷりになってどちらも攻め切れない展開が記憶にあります。

しかし、照ノ富士は膝を痛めた状態で無理に出場したのがたたり、休場が続き大関を陥落して、十両まで下がります。十両で一場所出て6勝9敗だった場所もありましたが、その次の場所から糖尿病も患って全休が続き、幕下、三段目でも出場することができず、ざんばら髪の新弟子も混ざる序二段まで番付を下げます。

元大関が、若い衆と一緒の土俵に上がるのは相当悔しかったでしょう。それでも、このときは治るまで我慢したのが正解でした。序二段は全勝で一場所で抜け、三段目も6勝1敗で一場所で抜けると、幕下も三場所で抜けてついに十両に戻ってきました。

当時は、一度でも幕内に戻れば成功だと思っていました。しかし、照ノ富士はそれを上回る結果を出します。十両も二場所で抜けると、幕尻でなんと平幕優勝して、一気に上位力士の仲間入りを果たします。照ノ富士の両膝は、カーボン製の装具で補強されており、これがないと相撲は取れないですが、前に出る相撲にモデルチェンジしたのが奏功しました。

ついに横綱昇進ですが、膝のことを考えると、長く横綱を張るのは難しそうです。それでも、地獄並みのところから巻き返した、彼の精神力は素晴らしいです。また、彼の土俵入りを生で見たいと、国技館に行きたい動機ができました。
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ブレーメンの記憶

2021-07-19 23:10:20 | 雑記
昔の旅の思い出は、ドイツのブレーメンです。この街は「ブレーメンの音楽隊」で知られ、古都で名所が狭い範囲に固まっていて観光がしやすい街でした。こういう、古い街並みを見ると塔に登って上から見下ろしたいのは私の常で、美しい街並みを上から見てきました。一緒に旅した仲間と、ブレーメンの音楽隊の記念碑で写真を撮ったり、噴水に足をつけて遊んだりと、他愛もないことを今でも覚えています。







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