Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

照ノ富士、横綱昇進へ

2021-07-20 23:54:01 | 他スポーツ
大相撲名古屋場所で、惜しくも優勝は逃したものの、14勝1敗の好成績を残した大関照ノ富士の横綱昇進は確実です。過去に、大関から陥落して大関に戻り、横綱に昇進した例は三重の海がいますが、照ノ富士の場合は陥落した番付が序二段だったので奇跡的な復活です。

照ノ富士はモンゴルの出身で、同郷の逸ノ城とは一緒の飛行機で来日して、鳥取城北高校の三年生に照ノ富士が、一年生に逸ノ城が編入したという浅からぬ縁です。照ノ富士は入門当時は元若乃花の間垣部屋で、四股名も「若三勝」でしたが、間垣部屋の閉鎖で今の師匠の伊勢ヶ浜親方のところに移籍してきました。

相撲ぶりは上半身の筋力の強さを生かした、引っ張り込む相撲でした。最初に大関に上がった頃は外四つで勝つなど、力技で勝っていた印象でした。逸ノ城との相撲は熱戦になることが多く、水入りにもなる3分以上の相撲も見られました。右の相四つの逸ノ城と対戦すると、がっぷりになってどちらも攻め切れない展開が記憶にあります。

しかし、照ノ富士は膝を痛めた状態で無理に出場したのがたたり、休場が続き大関を陥落して、十両まで下がります。十両で一場所出て6勝9敗だった場所もありましたが、その次の場所から糖尿病も患って全休が続き、幕下、三段目でも出場することができず、ざんばら髪の新弟子も混ざる序二段まで番付を下げます。

元大関が、若い衆と一緒の土俵に上がるのは相当悔しかったでしょう。それでも、このときは治るまで我慢したのが正解でした。序二段は全勝で一場所で抜け、三段目も6勝1敗で一場所で抜けると、幕下も三場所で抜けてついに十両に戻ってきました。

当時は、一度でも幕内に戻れば成功だと思っていました。しかし、照ノ富士はそれを上回る結果を出します。十両も二場所で抜けると、幕尻でなんと平幕優勝して、一気に上位力士の仲間入りを果たします。照ノ富士の両膝は、カーボン製の装具で補強されており、これがないと相撲は取れないですが、前に出る相撲にモデルチェンジしたのが奏功しました。

ついに横綱昇進ですが、膝のことを考えると、長く横綱を張るのは難しそうです。それでも、地獄並みのところから巻き返した、彼の精神力は素晴らしいです。また、彼の土俵入りを生で見たいと、国技館に行きたい動機ができました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブレーメンの記憶 | トップ | フランクフルトの記憶 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

他スポーツ」カテゴリの最新記事