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ズラタン・リュビヤンキッチの記憶

2020-09-17 21:51:22 | 浦和レッズ
今日はネタがないので、昔話で元浦和FWズラタン・リュビヤンキッチ(以下ズラタン)の記憶を書きます。ズラタンは元スロベニア代表の実績があるFWで、2010年南アフリカW杯で1得点を決めています。ベルギーリーグのゲントから移籍した当時は大宮アルディージャに所属し、スロベニア代表の同僚、ノバコビッチと2トップを組んで大宮の躍進に貢献しています。

このノバコビッチとズラタンの2トップは、当時は驚きの目を持って見ました。ノバコビッチがポストプレーヤーで、ズラタンがその周りを動く関係でしたが、ズラタンも184cmの上背があってポストプレーもできました。2015年シーズンにその快進撃を見せた大宮のFWが浦和に来るというのは、期待を持って見ていました。

当時はミシャが3-6-1のシステムを固定していた時期で、ズラタンは1トップの位置を興梠と争う関係でした。当時、ACLとの並行で日程が厳しかった浦和は、アジアのフィジカルの強い相手にはズラタン、日本のスピードある相手には興梠と起用を使い分けていました。おそらく、今でも浦和のFWを張る興梠にとって、最もポジション争いの強敵だった相手でしょう。

しかし、ズラタンはポストプレーでさばくプレーを見せるときに、ボールを待って受ける癖がありました。浦和がボランチからズラタンに縦パスを入れると、その前でカットされてカウンターを受ける場面が何度か見られました。そのため、興梠が動いてもらうようにプレーを改善すると、このポジション争いは興梠優位に進むことになります。

それでも、ズラタンは彼なりの良さはありました。味方のクロスやFKに対して、ちょっと触ってヘディングでコースを変えるシュートを得意にしていました。誰が決めたか、スタンドからはわかりにくいゴールでしたが、そうやって大事なところで取ってくれた得点も何度かあり、さすがは世界を渡り歩いたFWだというところは見せてくれました。

ズラタンは2018年の天皇杯決勝を最後に浦和を去り、今は母国スロベニアでアマチュアとしてプレーしています。彼の印象は、比較的綺麗な発音をする英語もありました。その語学力が、どこかで生きるかもしれません。彼の、第二の人生の幸せを願っています。
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