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1997年の開幕戦(永井雄一郎)

2013-09-05 18:46:21 | 浦和レッズ
昨日は天皇杯2回戦が1試合だけあり、柏を暫定的に指揮したのが井原正巳ヘッドコーチでした。井原もそろそろどこかのチームの監督になりたいと思う頃かなと想像していますが、井原の名前を聞いて思い出したのが1997年の開幕戦で当時浦和の永井雄一郎が見せたごぼう抜きでした。

永井雄一郎は現在はJ2横浜FC所属の現役選手なので、スカパーをチェックすればまだ見られます。先日札幌との試合で途中出場した姿を見ましたが、浦和時代のスピードはなくなっていた印象です。永井雄一郎の1997年の開幕戦は、今でも鮮明に思い出せます。

永井雄一郎は中村俊輔が、中学時代に対戦した選手の中で一番うまかったと語っていました。高校時代は選手権準優勝と活躍した中村俊輔に対し、永井雄一郎はクラブチームの三菱養和だったので、表には出て来ませんでしたが、この開幕戦を見た中村俊輔が「やっぱり出てきましたね」と記者に話すほどのインパクトがありました。

当時新人だった永井雄一郎の情報が対戦相手の横浜Mになかった可能性は高いですが、当時の横浜Mは現役日本代表CBの井原、小村がおり、Jリーグでは最強の守備と言われていました。そんな相手CBに対し、永井雄一郎が果敢に仕掛け、置き去りにしたドリブルは16年も経った今でも思い出せます。

しかし、このドリブルは実は得点に結びついていません。当時は新星誕生とマスコミを大いに賑わした永井雄一郎ですが、まだJ1のチームのエースストライカーになるには体力とヘディングに課題がありました。テクニシャンを好んだ浦和のケッペル監督は永井雄一郎を起用しましたが、この課題が直らない限り使わないと判断した翌年の原監督が永井雄一郎をドイツのカールスルーエにレンタル移籍させます。

ドイツから戻ってきた永井雄一郎は、ひ弱さがなくなり、標準レベルのフィジカルとヘディングを身に付けていました。イケメンで名を知られた永井雄一郎ですが、浦和でJ1通算50得点と結果も出したストライカーに成長しました。

ただ、福田のイメージがあった浦和では永井雄一郎レベルの活躍では不満だったらしく、2008年に高原とエジミウソンを補強されました。これは永井雄一郎にとっては衝撃的だったようで、そのオフに清水に去る決断をしました。あの華麗なドリブルをもう一度というのは難しいかもしれませんが、できるだけ長く現役で見たいと思っています。
コメント (2)
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