過日社用でお邪魔したお宅に「一日燃焼 一日福」との掛け軸が掲げられていました。
しかし本物の軸は、「一日清閑一日福」と書かれていました。一日何事もなく清々しく閑かに過ごせた幸福感、まさしく日本間にふさわしい軸です。
さて「一日燃焼一日福」ですが、一日を完全燃焼しようと意識することはなかなか難しいことです。
それは、相手のある世の中で、自分だけが燃えてみたところで、どうにもならないことも多くあり、さらに、世界的、地球規模で考えれば、ちっぽけな一人の人聞が燃えてみたところで、何になるだろう、と、考えてしまうと、空しくもなります。
しかし人間として、この世に生をいただいて、「我やらずして誰がやる」の志を掲げて、一日燃焼することは尊いことです。
先代宮司は日々の処世を、「眠りは死であり、目覚めは誕生である」と説いていました。人生80年とするなら人は三万回近くの生き死にを実践していることになります。
今日よりも明日をよりよく生きるため、一日を無駄にせず過ごしたいものです。