内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「健康の灯火が消えたときに見えてくる未発見の国々」― ヴァージニア・ウルフ「病気になるということ」より

2024-05-13 13:48:52 | 読游摘録

 すでに何度か話題にしたことだが、この一月に「大病」をしてから、それ以前に比べて、自分の体のことが何かと気になるようになった。ジョギングは毎日続けているが、続けて走れる日とそうでない日との落差が大きくなった。調子が良い日は二〇キロ以上走っても何でもない。まだまだ走れそうなところで止めているくらいだ。ところが、調子が悪い日は一キロも続けて走れない。呼吸が苦しくなってしまう。しばらく歩いていると、喉から胸のあたりにかけての締め付けられるような感じが徐々に軽減していくが、また走り出すと同じように呼吸が苦しくなってしまう日もある。それを避けるべく用心してゆっくり走り、ほんのわずかでも変化を感じたらすぐに歩くようにしても、かえってその歩いている間に胸のあたりが苦しくなってしまうこともある。
 日常生活に支障が出るほどの不調ではなく、ましてや横臥してしばらく休息しなくてはならないような疲労を日中覚えることはないのだが、健康に不安を覚えるようになったし、一月のインフルエンザどころではない大病を近い将来に患うかも知れないし、急性の重篤な疾患に突如襲われないとも限らない。それらは遅かれ早かれ訪れるものなのだろうという心構えも生まれた。
 ヴァージニア・ウルフは「病気になるということ」(On Being Ill)というエッセイを一九二六年に発表している。ウルフは度々インフルエンザに罹っているが、このエッセイも一九二五年に何度目かのインフルエンザに罹患した後に構想された。病気についてのウルフ独自の実存的考察が文学的想像力と綯い交ぜになって披瀝された文章である。英語原文はこちらに無料で公開されている。それだけでなく、片山亜紀氏による新訳(二〇二〇年)が早川書房のこちらのサイトで訳者解説付きでやはり無料で公開されている。
 その書き出しはこうである。

考えてみよう。病気とは誰でもかかりうるものである。魂にもたらされる変化はとてつもない。健康の灯火が消えたときに見えてくる未発見の国々には驚くべきものがある。インフルエンザに少しやられただけで、魂の荒野と砂漠が見えてくる。少し熱が出ただけで、鮮やかな花々の咲き乱れる崖と芝生があらわになる。病気にやられると、私たちの内部に根を張る頑丈な樫の老樹たちが根こそぎ倒れてしまう。死の淵に沈み、これがとどめとばかりに覆いかぶさる水を浴びて目を覚まし、天使やハープ弾きに囲まれているのかと思うこともある。

Considering how common illness is, how tremendous the spiritual change that it brings, how astonishing, when the lights of health go down, the undiscovered countries that are then disclosed, what wastes and deserts of the soul a slight attack of influenza brings to view, what precipices and lawns sprinkled with bright flowers a little rise of temperature reveals, what ancient and obdurate oaks are uprooted in us by the act of sickness, how we go down into the pit of death and feel the waters of annihilation close above our heads and wake thinking to find ourselves in the presence of the angels and the harpers.

 私もこれから「健康の灯火が消えたときに見えてくる未発見の国々」を訪れることになるのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


皐月恒例行事「お水洗い」と午後の読書

2024-05-12 17:58:42 | 雑感

 今日日曜日、ほんとうに気持ちの良い青空に一日中恵まれました。こんな日はベランダの「お水洗い」(2022年5月8日の記事参照)に最適です。午前十時から一時間半ほどかけて、この皐月恒例行事を挙行いたしました。
 一昨年までは、バケツ二つに水を貯めてはベランダに運ぶことを繰り返し、デッキブラシを使って洗い流していたのですが、これではあまり効率がよくないので、昨年から新方式を導入しました。その方式は、浴槽に水をあらかじめ貯めておき、そこから大小のバケツ四つを使ってベランダに運び、さらにキャンプなどで使う充電池稼働の携帯シャワーも動員して、隅々まで丁寧に洗い流すのです。こうすれば、ブラシでゴシゴシ擦らなくても、たいていの汚れはシャワーの水圧で洗い流すことができます。仕上げにはブラシも雑巾も使って、裸足で歩いても気持ちがいいほどきれいにします。
 こうして洗い清めたベランダのまだ乾ききっていない床が折からの午前の陽光を受けて煌めくのを眺めるとき、小さな幸福を感じます。
 午後は、清々しい気持ちで読書に耽りました。ヴァージニア・ウルフの『三ギニー』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー、2017年)第三章でこんな一節に出会いました。

楽しんで書くというチャンスに恵まれた書き手は、その喜びの大きさに間違いなく気づき、他の条件では書こうとしなくなるものです。また書き手が楽しんで書いたものを読むチャンスに恵まれた読み手も、そうした文章はお金のために書かれた文章よりもはるかに滋養が多いと間違いなく気づき、気の抜けた代用品をつかまされるのを拒むものです。[中略]そして、「文化」は―いまでは不誠実という拘束服を着せられ不定形の塊と化し、半分しか真実を語れず、書き手の名声を高めたり書き手のそのまた主人の財布を膨らませたりするために、言いたいことを砂糖で甘くし水で希釈しなくてはなりませんが―元来の形、つまりミルトンやキーツなどの優れた書き手の示している本来の姿、つまり逞しく、冒険心に溢れた自由な姿を取り戻すでしょう。

Who can doubt that once writers had the chance of writing what they enjoy writing they would find it so much more pleasurable that they would refuse to write on any other terms; or that readers once they had the chance of reading what writers enjoy writing, would find it so much more nourishing than what is written for money that they would refuse to be palmed off with the stale substitute any longer? […] And “culture”, that amorphous bundle, swaddled up as she now is in insincerity, emitting half truths from her timid lips, sweetening and diluting her message with whatever sugar or water serves to swell the writer’s fame or his master’s purse, would regain her shape and become, as Milton, Keats and other great writers assure us that she is in reality, muscular, adventurous, free.

 ウルフがこのように言う意味での滋養に富んだ文章を日々読むことで心を養いたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


両性具有とネガティブ・ケイパビリティ

2024-05-11 23:59:59 | 読游摘録

 ヴァージニア・ウルフは『自分ひとりの部屋』(A Room of One’s Own)のなかでローマにあるキーツの墓に刻まれた言葉に言及している。墓碑銘を直接引用はしていないが、あの有名な一行だけではなく、墓碑銘全体を念頭に置いて、「才能ある男女こそ、才能についてとやかく言われることをひどく気にする」例として挙げている(以下、引用は平凡社ライブラリー版〔2017年〕の片山亜紀訳による)。ただ、一昨日の記事で述べたように、あの墓碑銘のなかの「ここに、その名前が水に書かれた人が眠る」の一文以外は、キーツの死後、彼の身近な友人たちが考えた文章であり、それはキーツの遺志には必ずしも沿っていない。それはともかく、ウルフがキーツをとても高く評価していたことは間違いない。
 『自分ひとりの部屋』第三章では、芸術家本人が自分の精神状態について語るようになるのはおそらく十八世紀になってからで、そのはじまりは多分ルソーだとし、十九世紀になると自意識がたいへん発達し、文筆家が告白録や自伝で心中を語るのは習慣となったと言っている段落で、キーツがカーライルやフロベールとともにそのような例として挙げられている。「自分の死期が迫っても世間は無関心というときに、キーツがどうやって詩を書こうと奮闘していたのかを、わたしたちは知っています。」(We do know […] what Keats was going through when he tried to write poetry against the coming death and the indifference of the world.)
 もう一箇所、ウルフが優れた創作者の特性として挙げる両性具有(androgynous)を備えた詩人としてキーツが挙げられている。
 この両性具有とネガティブ・ケイパビリティとは密接に関係していると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


死の豊かさ ― ジョン・キーツ「ナイチンゲールに寄せるオード」にふれて

2024-05-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 キーツ関連の書籍をネットで検索していたら、Ode to a Nightingale からの引用が目に留まった。Ode とは OED  によると、

(a) In early use (esp. with reference to ancient literature): a poem intended to be sung or one written in a form originally used for sung performance (e.g. the Odes of Pindar, of Horace, etc.). 
(b) Later: a lyric poem, typically one in the form of an address to a particular subject, written in varied or irregular metre. Also in extended use.
Traditionally, an ode (in sense 1(b)) rarely exceeded 150 lines and could be much shorter. The metre in longer odes is usually irregular (e.g. Dryden Alexander’s Feast, Wordsworth Intimations of Immortality), or consists of stanzas regularly varied (e.g. Gray’s Pindaric Odes), but some shorter odes consist of uniform stanzas (e.g. Gray’s shorter odes). The popularity of the ode as a poetical form tended to diminish during the 20th cent.
The term is sometimes applied to certain short Old English poems, such as The Battle of Brunanburh.

 引用されていたのは、第六節の第一行から第五行までだったが、節全体は以下の通り。

Darkling I listen; and, for many a time
I have been half in love with easeful Death,
Call’d him soft names in many a mused rhyme,
To take into the air my quiet breath;
Now more than ever seems it rich to die,
To cease upon the midnight with no pain,
While thou art pouring forth thy soul abroad
In such an ecstasy!
Still wouldst thou sing, and I have ears in vain —
To thy high requiem become a sod.

 第五行目の « rich to die » の rich はどのような意味なのだろう。その次の行が死の様態を具体的に示しているけれども、真夜中に苦痛なく命を終えることができれば、それだけで充分に満たされているということだろうか。最後の四行は、恍惚として歌い続けるナイチンゲールの歌声がレクイエムとなって、それが響き続けるこの世に別れを告げて、私は土へと還ってゆく、と謳う。
 この十行の詩句を声低く繰り返しながら今日一日を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ここに、その名前が水に書かれた人が眠る」― ローマのキーツの墓碑銘より

2024-05-09 12:15:39 | 読游摘録

 帚木蓬生の『ネガティブ・ケイパビリティ』のジョン・キーツの生涯を紹介している第一章「キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」への旅」の終わりに、キーツが末期の病床で友人に自分の墓に刻んでほしいと口述した一文が紹介されている。

Here lies one whose name was writ in water.
ここに、その名前が水に書かれた人が眠る。

 この一文だけがキーツの死後その名声が高まるにつれてひとり歩きしてしまったが、キーツの死後、キーツの友人たちは、この一文とキーツが末期に苦しんでいたと彼らが考えていた不当な批評とをどう組み合わせるか思案した結果、キーツの墓に実際に刻まれているのは以下の墓碑銘である。

THIS GRAVE
CONTAINS ALL THAT WAS MORTAL
OF A
YOUNG ENGLISH POET
WHO
ON HIS DEATH BED,
IN THE BITTERNESS OF HIS HEART,
AT THE MALICIOUS POWER OF HIS ENEMIES,

DESIRED
THESE WORDS TO BE ENGRAVEN ON HIS TOMB STONE
“HERE LIES ONE
WHOSE NAME WAS WRIT IN WATER.”

 しかし、これはキーツの遺志に沿ってはないとみなす人たちもいるようだ。私もそう思う。
 この一文を西田幾多郎が「暖炉の側から」という滋味溢れる随筆(二〇一九年六月十三日の記事参照)の終わりに引用して、その文章をこう結んでいるのを思い出した。

きょう学校からロセッティの『キーツ伝』を借りて来た。キーツを死ぬ日まで介抱した友人セヴルンの書いたものに、

Feb. 14. … Among the many things he has requested of me to-night, this is the principal — that on his grave shall be this, ‘Here lies one whose name was writ in water.’...

ということがある。羅馬のキーツの墓には今もこの語が刻まれてあるそうだ。吁、誰も彼もその名は水に書かれたものだ。

 西田が読んだロセッティの『キーツ伝』の当該箇所を省略なしに引用しよう。

His mind is growing to great quietness and peace. I find this change has its rise from the increasing weakness of his body; but it seems like a delightful sleep to me, I have been beating about in the tempest of his mind so long. To-night he has talked very much to me, but so easily that he at last fell into a pleasant sleep. He seems to have comfortable dreams without nightmare. This will bring on some change: it cannot be worse — it may be better. Among the many things he has requested of me to-night, this is the principal — that on his grave shall be this, ‘Here lies one whose name was writ in water.’...

 これはキーツが亡くなる約二週間前のことである。もし実際この通りだったとしたら、キーツはむしろ澄明な心の静けさにしだいに近づきつつ死を迎えたのではなかったろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「喜びも、悲しみも歓迎する」― ジョン・キーツ A Song of Opposites より

2024-05-08 14:12:55 | 詩歌逍遥

 研究休暇中で毎日が日曜日みたいな暮らしをしているからということもありますが、迂闊なことに、今日明日が連休であることをすっかり失念していて、朝になってようやくそのことに気づき、ほとんどの店が閉まっているから今日は買い物ができないではないかとちょっと慌てました(日本ではありえないことですね)。幸い自転車で五分ほどのところに休日祝日祭日でも午前中はほぼ休みなく営業しているスーパーが一軒あり、そこで今日明日に必要最低限の買い物は無事済ませることができました。
 今日五月八日がヨーロッパ戦勝記念日で、明日木曜日がキリストの昇天祭、およそ何の相互関係もない二つの祝日からなる連休なのですが、後者が移動祝日(復活祭から数えて六回目の日曜日後の木曜日)であるために何年かに一度、こういうことになります。金曜日は平日ですが、その日も自主的に「休日」にしてしまう人たちも多く、そうなると五連休ということになります。大学さえ一部の建物は施錠されて入れなくなります。もう学年末ですが、この金曜日に補講や試験などを組もうものなら、学生から大ブーイングを受けること必定です。私はそれらすべてのことを今年は傍観者としてぼーっと眺めているだけです。
 さて、帚木蓬生氏の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』のなかに引用されているジョン・キーツの詩 A Song of Opposites にちょっと感動したので、同書に示された訳詩(おそらく帚木蓬生氏自身の訳。漢字の誤りと思われる一箇所を改変)をまず掲げ、その後に原詩を掲げます。原詩で脚韻がどのように踏まれているか知ることもこの詩の味わいを深めてくれます。

喜びも、悲しみも歓迎する
忘却の川の藻も、ヘルメスの羽も同じだ
今日も来い、明日も来い
二つとも、私は愛する
悲しい顔を、晴れた空に向け
雷の中に、楽しい笑い声を聞くのも
私は好きだ
晴天も悪天候も、どちらも好きだ
甘美な牧草地の下で、炎が燃えている
不思議なものへの、くすくす笑い
パントマイムの思慮深い顔
葬式と、尖塔の鐘
幼児が頭蓋骨で遊んでいる
晴れた朝の、嵐で難破した船体
すいかずらの巻きつく毒草
赤いバラの中で、蛇が舌を鳴らす
優雅な服をまとったクレオパトラが
胸に肉汁のゼリーをつけている
踊る音楽、悲しい音楽
二つとも正気で狂っている
輝く詩の女神と蒼ざめた女神
暗い農耕の神と、健全な滑稽の神
笑って、溜息をつき、また笑え
ああ、何という痛みの甘美さよ
詩の女神が輝き、蒼ざめる
そのヴェールをとって顔を見せておくれ
私に見せ、書かせておくれ
その日と夜を
二つともで私を満たしてくれ
甘美な心の痛みに対する私の大いなる渇き
私の東屋をお前のものにして
新しい銀梅花や松、花満開のライムの樹で
包んでおくれ
そして低い芝草の墓が私の寝椅子だ

Welcome joy, and welcome sorrow,
     Lethe’s weed and Hermes’ feather;
Come today, and come tomorrow,
 I do love you both together!
 I love to mark sad faces in fair weather;
And hear a merry laugh amid the thunder;
 Fair and foul I love together.
Meadows sweet where flames are under.
And a giggle at a wonder;
Visage sage at pantomime;
Funeral, and steeple-chime;
Infant playing with a skull;
Morning fair, and shipwreck’d hull;
Nightshade with the woodbine kissing;
Serpents in red roses hissing;
Cleopatra regal-dress’d
With the aspic at her breast;
Dancing music, music sad,
Both together, sane and mad;
Muses bright and muses pale;
Sombre Saturn, Momus hale; -
Laugh and sigh, and laugh again;
Oh the sweetness of the pain!
Muses bright, and muses pale.
Bare your faces of the veil;
Let me see; and let me write
Of the day, and of the night -
Both together: - let me slake
All my thirst for sweet heart-ache!
Let my bower be of yew,
Interwreath’d with myrtles new;
Pines and lime-trees full in bloom,
And my couch a low grass-tomb.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「エンパワメント」という言葉について

2024-05-07 23:59:59 | 雑感

 昨日の記事で話題にした「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉あるいは概念は、どうにも日本語に訳しにくい。だから、定義を与えたうえで、カタカナ表記のままにするのもわかる。それに、日本語に訳したところで、それでわかったつもりになってしまえば、それこそネガティブ・ケイパビリティに反する態度だ。
 とはいえ、なんで英語をカタカナ書きしただけの言葉を使うのかよくわからない場合もある。例えば、やはり昨日の記事で言及した小川公代の『ケアの倫理とエンパワメント』のタイトルにもある「エンパワメント」という言葉、本文には二回しか出てこない。しかも語義についての説明はまったくない。
 「……といった作品がいかにケアの倫理に基づいたエンパワメントにつながるのか……。」「ヘテロノーマティヴな集団に属さない人々のエンパワメントに繋がったのではないだろうか。」この二箇所である。文脈から推測するに、「力を与えること」くらいの意味だと思うが、「エンパワメント」という言葉を使う必然性がどれだけあるのか、すぐにはよくわからない(私だけかも知れないが)。
 そこで、国語辞典を引いてみた。すると、この語がかなり限定された場面で使われる言葉だということがわかった。例えば、『明鏡国語辞典』は、「①力をつけること。能力を引き出し活性化すること。「教育によって―を図る」 ②権限を与えること。権限委譲。「現場への―で生産の向上をもくろむ」」と、二つ語義と用法を示している。ところが、『三省堂国語辞典』は、「〈力をあたえて/権利を認めて〉もっと活躍できるようにすること。「女性のエンパワメント」」と、『明鏡国語辞典』の挙げている第一の語義に近い語釈しか示していない。それに対して、『新明解国語辞典』は、「上に立つものが下の者に権限を移譲することにより、従業員などの潜在能力を引き出し組織を活性化すること」と、使用できる場面をかなり限定する語釈を示し、小学館の『新選国語辞典』は、「(「権限を与える」の意から)組織や集団を構成する人たちに権限を持たせ、本来の能力を引き出したり、自立する力をつけさせたりすること」と、『新明解』に近い語釈を採用しているが、上下関係に言及していない点で『新明解』と異なる。
 小川氏の本では、どちらの文脈でも、文学作品が「エンパワメント」に与って力があったという意味で使われているから、ある特定の組織とか集団を前提としてはおらず、それぞれの作品が書かれ発表された社会において、それら文学作品の内容・思想や登場人物たちの行動・感情表現がいかにエンパワメントに繋がっているかということが主題になっている。
 OED によれば、empower という言葉は十七世紀から使われている。三項に分けられたその詳細な語義説明のなかで、小川氏の使い方をよりよく理解するヒントになりそうなのは以下の記述である。

To confer power on, make powerful; (in later use) spec. to give (a person) more control over his or her life or circumstances, by increasing civil rights, independence, self-esteem, etc.; to give (a person) the confidence to control his or her life or circumstances, esp. as gained from an awareness of or a willingness to exert her or his rights.

 その人たちがもっている権利をそれとして認めることで、その人たちが自分たちの生活のなかで、あるいは置かれた環境の中で、自分たち自身で生活環境をよりよく統御できるようにし、さらなる権利伸長、自立性の向上、自己評価の上昇などによって、より力を発揮できるようにすること。
 小川氏はこの意味でエンパワメントという言葉を使っていると思われる。確かに、これだけの意味を込めることができる日本語はないかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ネガティブ・ケイパビリティ ― 事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力

2024-05-06 14:42:11 | 読游摘録

 こちらの提案に対する先方から確定的な承諾の返事がまだ来ていないから仮のテーマだと断らざるを得ないが、来年度の日仏合同ゼミのテーマは「ケアの倫理」にするつもりでいる。すでに二月からそのつもりでいたし、たとえ合同ゼミではこのテーマを扱えないことになったとしても、私個人としては追求していきたいテーマだから、来年度も春学期の集中講義「現代哲学特殊演習」を担当することになったら、そこで取り上げようと今から心積もりしている。参考文献の収集は二月から始めていて、英仏の基本文献はすでにだいたい手元に揃っている。これからはもっと広く関連書籍にも目配りしていこうと思っているところである。
 今朝方、なぜかジョン・キーツの詩が読みたくなってネット上で検索していて、ついでにキーツに触れている日本語の本も探そうと思って、日ごろよく利用しているハイブリッド総合書店 Honto の電子書籍検索エンジンに「ジョン・キーツ」と入力すると、十二件ヒットして、その一番上が小川公代の『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社、2021年)だった。「はて?」(朝ドラ『虎に翼』の猪爪寅子の真似ではありませんよ)と思って、早速立ち読みしてみた。
 「ネガティブ・ケイパビリティと共感力」と題された節にキーツのことが出てくる。この Negative Capability という言葉はキーツが1817年12月22日付の兄弟宛の書簡で使ったのが初出である。その書簡はネット上で読むことができる(例えば、こちら)。

I had not a dispute but a disquisition with Dilke, upon various subjects; several things dove-tailed in my mind, and at once it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature, and which Shakespeare possessed so enormously—I mean Negative Capability, that is, when a man is capable of being in uncertainties, mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason—Coleridge, for instance, would let go by a fine isolated verisimilitude caught from the Penetralium of mystery, from being incapable of remaining content with half-knowledge. This pursued through volumes would perhaps take us no further than this, that with a great poet the sense of Beauty overcomes every other consideration, or rather obliterates all consideration.

 小川公代の説明によると、ネガティブ・ケイパビリティとは、「相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない「宙づり」の状態、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力」である。小川氏は、この説明の直後に、作家で精神科医の帚木蓬生の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日新聞出版、2017年)を引用している。
 帚木氏は同書の冒頭で、どのようにしてこの概念と出会ったか説明している。それは『米国精神医学雑誌』のある号に掲載された論文のなかでのことで、その表題「共感に向けて。不思議さの活用」が眼に飛び込んできて、立ったまま論文を読み始めたという。その論文は、キーツの上掲書簡を参照しつつ、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」とネガティブ・ケイパビリティを定義していた。
 かくしてケアの倫理からキーツのネガティブ・ケイパビリティへと期せずして至り着いたことは、実際にそうなってみれば、これまでの私自身の関心領域からして至極当然の成り行きのようにも思われる(ちょっと都合が良すぎるか)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フランクル『夜と霧』一九八四年版に付加された一節について ― 収容所所長を匿った三人の若いハンガリー系ユダヤ人

2024-05-05 08:16:31 | 読游摘録

 フランクルの『夜と霧 新版』(みすず書房 二〇〇二年)の「訳者あとがき」で池田香代子は、霜山徳爾訳の旧版との「もっとも大きな違い」として、旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も出てこないことを指摘している。確かに、池田氏が訳した一九七七年版には、「収容所監視者の心理」と題された節に「ユダヤ人」という言葉が二回同じ段落で使われているのに対して、霜山訳(一九五六年)が依拠している一九四七年版にはそもそもこの節がない。
 この節のなかに「ユダヤ人」という言葉が出てくる段落を以下に引用しよう。引用文中の「親衛隊員」とは、フランクルが解放時まで収容されていた強制収容所の所長のことである。解放後にわかったことだが、この所長は、ポケットマネーからかなりの額をこっそりと出して、被収容者たちのために近くの町の薬局から薬品を買ってこさせていた。引用文はその後日譚である。

解放後、ユダヤ人被収容者たちはこの親衛隊員をアメリカ軍からかばい、その指揮官に、この男の髪の毛一本たりともふれないという条件のもとでしか引き渡さない、と申し入れたのだ。アメリカ軍指揮官は公式に宣誓し、ユダヤ人被収容者は元収容所長を引き渡した。指揮官はこの親衛隊員をあらためて収容所長に任命し、親衛隊員はわたしたちの食糧を調達し、近在の村の人びとから衣類を集めてくれた。

 ところが、池田訳が依拠している一九七七年版よりも後の版、一九八四年および一九九二年版では、この後日譚が注にまわされ、そこでさらに詳細に語られている。それだけでなく、一九八四年版にはフランクル自身が創始したロゴセラピーの要点がまとめられた小論が巻末に付加されている。この小論は、一九六二年版に付加されたより短いロゴセラピー紹介を全面的にフランクル自身が改訂増補したものである。
 新訳の依頼を受けたとき、池田氏はこれらの版について当然知っていたはずである。とすれば、なぜ一九八四年版に依拠しなかったのだろうか。池田氏はその理由に言及していない。版権の問題があったのかも知れないし、ロゴセラピー小論訳出による頁数増を避けたいという出版社側の事情があったのかも知れないし、ロゴセラピー小論なしの初版本体の歴史的価値と自律性を重んじたからかも知れない。しかし、これらの理由は私の推測の域を一歩も出ない。
 それはともかく、一九八四年版の増補された後日譚の英訳を読んでみよう。ちなみに仏訳もまったく同内容である。

An interesting incident with reference to this SS commander is in regard to the attitude toward him of some of his Jewish prisoners. At the end of the war when the American troops liberated the prisoners from our camp, three young Hungarian Jews hid this commander in the Bavarian woods. Then they went to the commandant of the American Forces who was very eager to capture this SS commander and they said they would tell him where he was but only under certain conditions: the American commander must promise that absolutely no harm would come to this man. After a while, the American officer finally promised these young Jews that the SS commander when taken into captivity would be kept safe from harm. Not only did the American officer keep his promise but, as a matter of fact, the former SS commander of this concentration camp was in a sense restored to his command, for he supervised the collection of clothing among the nearby Bavarian villages, and its distribution to all of us who at that time still wore the clothes we had inherited from other inmates of Camp Auschwitz who were not as fortunate as we, having been sent to the gas chamber immediately upon their arrival at the railway station.
                             Viktor E. Frankl, Man’s Search for Meaning, Beacon Press, 2014.

 この所長とは対照的に、同じ収容所の被収容者の班長(つまり被収容者の中から選ばれた監視者)は、収容所の親衛隊員からなる監視者のだれよりも厳しかった。この班長は、時と所を問わず、また手段も選ばずに、手当たり次第に被収容者を殴った。
 新版の「収容所監視者の心理」の最後から三番目と二番目の段落をそのまま引用する。

 こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。
 強制収容所の生活が人間の心の奥深いところにぽっかりと深淵を開いたことは疑いない。この深みにも人間らしさを見ることができたのは、驚くべきことだろうか。この人間らしさとは、あるがままの、善と悪の合金とも言うべきそれだ。あらゆる人間には、善と悪をわかつ亀裂が走っており、それはこの心の奥底にまでたっし、強制収容所があばいたこの深淵の底にもたっしていることが、はっきりと見て取れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「冥きより冥き途にぞ入りぬべき」― 和泉式部歌についての一断想

2024-05-04 08:24:42 | 詩歌逍遥

くらきより くらき道にぞ いりぬべき はるかに照らせ 山の端の月

 この和泉式部の代表作は、『拾遺和歌集』巻第二十「哀傷」に雅致女式部の名で入集し、平安時代から名歌として知られる。『古本説話集』や『無名草子』は、罪障深い和泉式部がこの歌を詠むことで成仏したとする。『沙石集』など、他の説話集類も同歌にまつわる説話を伝える。鴨長明の『無名抄』にも式部の名歌のひとつとして言及されている。
 『拾遺和歌集』の詞書には、「性空上人のもとに、詠みて遣はしける」とある。『和泉式部集』の詞書は、「播磨の聖の御許に、結縁のために聞こえし」となっている。「播磨の聖」は性空上人のこと。性空上人は「播磨の書写山円教寺を創建した名僧。」(岩波文庫版注)「比叡山で天台教学を究め、日向・筑前の山で修行の後播磨の書写山に留まって、円教寺を創建した。」(岩波文庫版『和泉式部集・和泉式部続集』脚注)「花山院・円融院・藤原道長・公任らの尊信を受けたが、都へ上ることはなかったという。多くの女人が結縁を求めたという説話も伝えられている。」(新潮日本古典集成版頭注)「結縁」(けちえん)は、仏教語、「受戒・写経・法会などをして、仏道と縁を結ぶこと。未来に成仏する因縁を得ること」を意味する(三省堂『詳説古語辞典』)。
 上の句は、『法華経』化城喩品「従冥入於冥、永不聞仏名」(くらきよりくらきにいりて、ながくぶつみょうをきかず)を踏まえる。結句の「山の端の月」は性空上人を指し、下の句は「上人が導師となって、はるかに真如の世界へ導いて下さい、と願う意。」(岩波文庫版脚注)
 三省堂『詳説古語辞典』は同歌に「私は煩悩の闇から闇へと入り込んでしまいそうだ。はるか遠くまで私を照らしてほしい、山の端にかかる月よ」と訳を付している。角川『全訳古語辞典』は参考欄で、「「暗き」とは、煩悩をいい。「山の端の月」とは「真如の月」(=不変の真理)をさし、その体現者である上人をなぞらえているという。迷い多き自分の煩悩を、仏法の真理の力で取り払ってほしいと願うのである」と説明している。新潮日本古典集成版の現代語訳は、「私はいま闇の世界を冥府に向って進んでいるようです。どうかお上人様、はるか彼方からでも、あの山の端の月のように、私の足もとを照らす真如の光で、私をお導き下さいませ」。塚本邦雄は、『淸唱千首』(冨山房百科文庫)で、「調べの重く太くしかも痛切な響を、心の底まで傳へねばやまぬ趣。[…]女流にしては珍しい暗い情熱で、一首を貫いてゐるのは壯觀である」と評している。
 「くらき」をそのままひらがな表記する版もあるが、漢字をあてる場合は「暗」を採っている版が多い。手元にある『和泉式部集』の諸版では清水文雄校注の岩波文庫版(一九八三年)のみが「冥」をあてる。
 ただ、近藤みゆきも、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、二〇〇三年)の補注37に同歌を引用するとき、「冥」をあて、さらに「みち」には「途」をあてている。その補注は、日記中の歌「山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあふことにより」のなかの「冥き途」に付されている。そのなかで近藤は、「「冥途」は本来、死者の霊魂が赴く地下世界をいうものだが、ここでは煩悩に満ちた俗界の意で用いている。また同じ語を用いた和泉式部の代表作「冥きより冥き途にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(拾遺集・哀傷・一三四二番)は、この前年の長保四年(一〇〇二)頃に詠まれたものである」と説明しており、この説明に依拠するならば、和泉式部において、「くらきみち」とは、いわゆる冥途のことではなく、煩悩尽きぬばかりか深まりゆくほかないこの世俗世界にほかならない。そこからの離脱は絶望的に困難である。そうであってこそ、救済願望も痛切を極める。
 なお、「冥き途」については、二〇一九年四月二八日の記事「和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(三)」でも言及している。