内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

小さきものへの轉生願望 ― 漱石名句集(4)

2017-04-10 20:26:27 | 詩歌逍遥

 二〇一四年一月一六日の記事で、漱石の名句としてよく知られた「菫ほどな小さき人に生まれたし」を取り上げた。その句が詠まれたのと同じ年、明治三十年、おそらくその句と相前後して詠まれた一連の句の中に次の一句がある。

人に死し鶴に生まれて冴え返る

 二句とも同年二月に添削を求めて子規宛に送られた二十三句中に見られる。どちらの句にも子規は二つ丸を付けている。この句を詠んだ年の前年四月、漱石は熊本の第五高等学校に英語教師として松山中学から転任し、同六月に中根鏡子と結婚式を挙げている。翌年、つまり上掲の俳句が詠まれた明治三十年四月二十三日付子規宛書簡を読むと、「実は教師は近頃厭になりをり候へども」、「教師をやめて単に文学的の生活を送りたきなり」などと書いており、前年十月、つまり第五高等学校赴任後半年ほどで、鏡子の実家の中根家に転職の相談までしていることがわかる。
 そんな精神状態の中で上掲の句は詠まれたわけだが、だからといって、句の価値が下がるわけではもちろんない。むしろ、そんな職業生活上の煩悶のうちでこのような凛と引き締まった句が詠まれえたことに漱石の俳句作者としての稟質を見るべきなのだろう。
 「菫ほどな」の句にしてもそうだが、漱石には、花鳥虫などの小さきものへの轉生願望とでも呼べるような志向があるように思う。明治二十四年の習作に「聖人の生まれ代わりか桐の花」の一句があり、俳句ではないが、漱石自身が俳句的小説だと言っていた『草枕』の主人公には、「世間には拙を守ると云ふ人がある。此人が來世に生まれ變ると屹度木瓜になる。余も木瓜になりたい」と言わせている。









 

 


時代の空気を思い出す(二)― クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」、あるいは私の中の「哀れな少年」

2017-04-09 10:24:10 | 私の好きな曲

 昨日七十年代後半の代表的なヒット曲を聴いてしまったからかもしれませんが、「ストレンジャー」より前によく流れていた曲って何だったかなぁとぼんやり考えていたら、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」のイントロのアカペラが頭の中に流れてきました。というわけで、舌の根も乾かぬうちに昨日の記事での発言を翻し、二日連続で「時代の空気を思い出す」曲の話をいたします。
 同曲は言わずと知れた、ブリティッシュ・ロックの代表的な名曲。もう古典と言ってもいいくらい。同曲のリリースは1975年10月31日。
 そうだったのか。まったく個人的な思い出ですが、父が亡くなるのがその年の12月14日。見舞いのために毎日のように病院に通っていたときに、巷にこの曲はもう流れていたのか。当時は音楽にうつつを抜かすどころではなかったけれど、おそらくその翌年には何度となく聴いたはずです。友人がこの曲がいかにすばらしい曲かを熱を込めて力説していたっけ。
 私には同曲の音楽的構造を分析する能力はまったくないけれど、ステージでの完全な再現が不可能なほど複雑な構造をもっていながら全体として間然するところがまったくない、その意味で完璧な構成だということくらいはわかります。歌詞にも一筋縄ではいかない仕掛けがあるようで、今でもすっかりわかっているわけではないけれど、衝撃的なところがあって忘れがたいですね。
 歌詞の中の、人を殺してきたとママに告白する「哀れな少年」(« a pour boy »)の気持ちは私には他人事には思えませんでした。それは今も同じです。

Is this the real life
Is this just fantasy
Caught in a landslide
No escape from reality

Open your eyes
Look up to the skies and see
I'm just a poor boy, I need no sympathy
Because I'm easy come, easy go
A little high, little low
Any way the wind blows, doesn't really matter to me
to me

Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he's dead
Mama, life had just begun
But now I've gone and thrown it all away
Mama ooo
Didn't mean to make you cry
If I'm not back again this time tomorrow
Carry on, carry on, as if nothing really matters

Too late, my time has come
Sends shivers down my spine
Body's aching all the time
Goodbye everybody - I've got to go
Gotta leave you all behind and face the truth
Mama ooo
I don't want to die
I sometimes wish I'd never been born at all

I see a little silhouetto of a man
Scaramouche, scaramouche will you do the Fandango
Thunderbolt and lightning - very very frightening me
Galileo, Galileo
Galileo, Galileo
Galileo figaro – Magnifico

But I'm just a poor boy and nobody loves me
He's just a poor boy from a poor family
Spare him his life from this monstrosity
Easy come easy go, will you let me go
Bismillah! No-, we will not let you go, let him go
Bismillah! We will not let you go, let him go
Bismillah! We will not let you go, let me go
Will not let you go, let me go
Will not let you go, let me go
No, no, no, no, no, no, no
Mama mia, mama mia, mama mia let me go
Beelzebub has a devil put aside for me, for me
for me

So you think you can stone me and spit in my eye
So you think you can love me and leave me to die
Oh baby-Can't do this to me baby
Just gotta get out, just gotta get right outta here

Nothing really matters
Anyone can see
Nothing really matters, nothing really matters to me
Any way the wind blows...












時代の空気を思い出す(一)― ビリー・ジョエル「ストレンジャー」、あるいは自分の中の「他人」

2017-04-08 16:21:03 | 私の好きな曲

 今日の記事は、カテゴリーとしては「私の好きな曲」に分類することにしますけれど、話題にしたい内容からすれば、自分の好き嫌いを超えてある時代によく流れていた曲、その曲を今聴き直すとその時代の空気が如実に蘇ってくるような曲と言ったほうがいいのではないかと思います。どこまで一般性があるかどうかは別として、私個人にとってのそんな曲について何回か話したいと思います。
 取り上げる曲の順序は、それらがリリースされた順というわけではありません。ここ一年ほどの間に、ああ、そういえばかつてこの曲よく流れていたよなぁと、ふと何かの折に思い出した順番によります。今日から毎日連続で記事にするというわけでもありません。すでに何曲かこのテーマに沿った曲の「ストック」は頭の中にはあるのですが、立て続けに話題にするのではなく、時間のあるときにそれらの曲を何度か聴き返しながら、その時の気持ちに応じて小出しにしていこうかと思っています。
 トップバッターは、ビリー・ジョエルです。曲は The Stranger。アメリカでの発売は同名アルバム内の一曲として1977年ですが、日本で同曲に火が着いたのは翌年の1978年。シングルカットされたのは日本でだけです。イントロのピアノソロ、それを受け継ぐ口笛のメロディーラインは、最初に聴いたときから忘れられません。今聴いても、ビリー・ジョエルの歌声と歌詞内容が心に直に触れてきます。自分の中の「他人」に出会うことを怖れているかぎり、何も始まらないのでしょうね。

Well we all have a face
That we hide away forever
And we take them out and show ourselves
When everyone has gone
Some are satin some are steel
Some are silk and some are leather
They're the faces of the stranger
But we love to try them on

Well, we all fall in love
But we disregard the danger
Though we share so many secrets
There are some we never tell
Why were you so surprised
That you never saw the stranger
Did you ever let your lover see
The stranger in yourself ?

Don't be afraid to try again
Everyone goes south
Every now and then
You've done it, why can't someone else ?
You should know by now
You've been there yourself

Once I used to believe
I was such a great romancer
Then I came home to a woman
That I could not recognize
When I pressed her for a reason
She refused to even answer
It was then I felt the stranger
Kick me right between the eyes

Well, we all fall in love
But we disregard the danger
Though we share so many secrets
There are some we never tell
Why were you so surprised
That you never saw the stranger
Did you ever let your lover see
The stranger in yourself ?

Don't be afraid to try again
Everyone goes south
Every now and then
You've done it why can't someone else ?
You should know by now
You've been there yourself

You may never understand
How the stranger is inspired
But he isn't always evil
And he isn't always wrong
Though you drown in good intentions
You will never quench the fire
You'll give in to your desire
When the stranger comes along.












ヒポクラテス、あるいはアンサンブルとしての医療

2017-04-07 18:15:32 | 哲学

 「人生は短く、術(の道)は長い」という格言はだれでもどこかで聞いたことがあるだろう。通常、医学の祖とされる古代ギリシャのヒポクラテスにこの格言は帰されるが、人口に膾炙したのは、しかし、ヒポクラテス自身によるギリシャ語のアフォリズムそのままではない。ラテン語に訳されるときに、なぜか最初の二句が逆転され、« Ars longa, vita brevis »(アルス ロンガ、ウィータ ブレウィス、「学芸は長し、人生は短し」)となってしまった。それがさらに日本では、「芸術は長く、人生は短し」という、ヒポクラテスの格言とはまったく違う意味で流布することになってしまった。それにともない、当該のアフォリズムの冒頭の二句以外に注意が払われることもほとんどなくなってしまった。
 もう一度、ヒポクラテスのアフォリズムの原文に立ち返ってみよう。

Ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ, ὁ δὲ καιρὸς ὀξὺς, ἡ δὲ πεῖρα σφαλερὴ, ἡ δὲ κρίσις χαλεπή. Δεῖ δὲ οὐ μόνον ἑωυτὸν παρέχειν τὰ δέοντα ποιεῦντα, ἀλλὰ καὶ τὸν νοσέοντα, καὶ τοὺς παρεόντας, καὶ τὰ ἔξωθεν.

 手元にある二つの仏訳のうちの一つは以下の通り。

La vie est courte, l’art est long, l’occasion fugitive, l’expérience trompeuse, le jugement difficile. Or il faut non seulement se montrer soi-même accomplissant son devoir, mais aussi faire que le malade, les assistants et les éléments extérieurs accomplissent le leur. (Aphorismes, in Hioppocrate, L’Art de la médecine, traduction et présentation par Jacques Jouanna et Caroline Maddelaine, GF Flammarion, 1999, p.210)

 まず明らかなことは、ヒポクラテス自身のテキストではこれはあくまで医術の話だということである。参照した仏訳の校註を踏まえて、上掲のアフォリズムを私なりに意訳すれば以下のようになる。

人生は短いが、医学において学ぶべきことはとても多い。うっかり大切な学びの機会を逃してしまうこともある。経験だってあてにはならない。判断はいつだってむずかしいものだ。(医術を行う本人だけが)自分のやるべきことを果たすだけでは医術は完了しない。患者、患者を取り巻く人たちそれぞれが己のなすべきことをなし、環境がそれに相応しく整い、その他の諸条件が揃うようにしなければならない。

 一言で言えば、ヒポクラテスのいう医療とは、医者と患者と患者を取り巻く人たちおよび周辺環境のアンサンブルなのである。医者一人が主役なのでも、患者が王様なのでもない。看護師はただの裏方ではない。患者の家族や身近な人たちは医療の「専門家たち」のパフォーマンスを客席で見守るだけの観客に過ぎないのではない。医療機材や医療がが行われる場所も含めて、それらすべてが医療というアンサンブルにとって不可欠な諸要素なのだ。それらすべてがうまく調和するときにしか「治癒」は成り立たない。
 この意味で、医療は、科学技術よりも遙かに音楽藝術に近い、ということができるだろう。











従うべきモデルなき困難な時代に生きる学生たちへの老いぼれ教員からの拙きメッセージ

2017-04-06 20:25:07 | 講義の余白から

 今日は修士課程の今年度の最後の演習だった。
 来週は個別口頭試問である。日本語でのプレゼンが課題。採点基準はめちゃくちゃ厳しいぜって、学生たちをさんざん脅しておいた。プレゼンの際、テキストは目の前に置いてもいいけれど、それを読んだら10点満点でせいぜい3点どまり。ときどき見ながらなら5点まではいけるかも。メモだけで発表すれば、6点はあげるよ。メモだけで上手にできれば7点までは期待してもいい。それ以上は、プレゼン後の私の質問にどれだけ答えられるかにかかっているね。10点満点というのはありえないけど、9.5まではありかなぁって言ったら、それが取れそうな優秀な女子学生二人が嬉しそうに笑ってた。
 復活祭の休暇明けの今月末には筆記試験を残すのみ。試験課題はその趣旨説明とともに今日もう与えておいた。その課題とは、「現代世界における創造と模倣の関係、あるいは美の複製技術とメディアの機能について」。この課題に答えるために必ず参照すべきテキストとして中井正一のエッセイ「うつす」も配布した。このテキストを読んだ上で、課題について三週間じっくり考えて答案を準備してほしいからである。
 演習の終わりに、あと半月余り後迫っているフランス大統領選挙のことをちょっと話題にした。
 フランスの大統領選は国民の直接投票で決まる。私はフランス国家公務員だが、日本国籍であり、投票権はない。だから、成行きを見守ることしかできない。それに、国立大学の授業の枠内で現実政治について党派的に論じることは厳に慎むべきことでもある(それを守らない教員たちもフランスにはいるようだが)。そもそも私にはどのような党派にも与する理由がない。「それは、あなたたちの問題でしょ」というのが私の「営業方針」であるから。
 学生たちには、だた単純に(じゃないかもしれないけど、ほんとうは)、およそ次のようなことを、フランス語と日本語をわざとチャンポンにして、まくし立てた(正直に言うと、実際は言わなかったことも含めて、かなり脚色されています、願いを込めて)。
 「君たち、23日日曜日にはちゃんと考えて投票してくれますよね。フランスの未来、ヨーロッパの未来は若き君たちの判断にかかっていることはもちろんわかっているよね。頭が硬直化して自分たちの既得利権しか眼中にない精神的年寄り連中たちに君たちの未来を託すことはできない。彼らにはもう何を言っても無駄だよ。彼らにはさっさとお引き取り願うことしかできないが、そういう連中にかぎって長生きなんだよね。デカルト(心身二元論の元凶だとか、そのテキストをろくに読みもしないで批判されることが多いけれど、そのような太鼓持ち的「進歩派」が幅をきかせていることも現代フランス国家の精神病理の深刻さの指標でしかない)がすべての人に最も公平に配分されていると言った良識に基づいて君たちが行動することを心から期待しています。選挙の結果によっては、私は直ちに日本に帰るかもしれないよ。それくらい、今のフラランス、そしてヨーロッパの事態は深刻なことを自覚してくれると嬉しい。」
 このような話をした後で、日本もきわめて危うい橋を渡りつつあることはもちろん説明した。今の世界には、それに従えばいいようなモデルはもうどこにもない。それだけ困難な時代に学生たちは生きている(学生たちだけじゃなくて、私たちもだけれど、残り時間が少ない分、こっちのほうがちょっと楽かも、なんてね)。諸国「幸福度ランキング」などというくだらない本がやたらに売れたりするのもそのような困難の裏返しに過ぎない。他者の苦しみに目をつぶって、ケ・セ・ラ・セラ、そりゃぁ、「幸せ」になれるでしょうよ。
 多大な困難を抱えた時代に生きているにもかかわらず、敢然と未来に投企していく君たちのプレゼンを来週聴くことを心から楽しみにしています。













残り少ない時間

2017-04-05 23:59:59 | 雑感

 昨年一月からのことであるから、もう一年数ヶ月前からになるが、Harald Weinrich の Le temps compté(Éditions Jérôme Millon, coll. « Nomina », 2009)という本のことがずっと気になっている。ちゃんと腰を据えて読みたいと思いながら、今だに読めないでいる。この本は2005年刊行のドイツ語原本 Knappe Zeit の仏訳なのであるが、仏語タイトルを最初に目にしたとき、中身をまだまったく知らないのに、そのタイトルに強く引きつけられた。
 私自身が「数える」という意味の動詞 compter の受動態 compté の使い方で最初に印象づけられたのは、確か二十年前に娘を公立幼稚園に入園させるために登録手続きに役所に出向いた際に、前後の経緯は忘れたけれど、担当者から « Les places sont comptées » と言われたときに遡る。「もう空きは残り少ないですよ」というほどの意味である。ああ、こういう風に使うんだと、その時のことが忘れられない。辞書を見れば、« Ses jours sont comptés » という用例がよく挙げられている。「余命幾許もない」という意味である。« Les heures sont comptées » と言えば、「残り時間はもうあまりない」という意味になる。
 上掲の本のタイトルは、だから、「残り少ない時間」ということになるが、それは何か特別な場合を指しているのではなく、そもそも人間が生きられる時間は限られていること、その有限の時間のことを指している。その最初から残り少ない人生の時間を人間はどう考え、どう受け止め、どう生きてきたか。本書はこれらの問いをめぐる思索を古代から現代までの哲学・文学作品の中に博捜していて、とても興味深い内容になっている。
 ところが、なかなか読む時間が作れないでいる。「残り時間は少ない」のに。












本題なしの枕だけの落ちなし話

2017-04-04 20:06:05 | 雑感

 昨晩、記事をアップした後にスカルラッティの同曲をいろいろなヴァージョンで聴き続けたのですが、その中に Judy Loman によるハープの演奏がありました。これがめっちゃいいんですよ。最近ネットで見かけなくなった言葉をあえて使えば、まさに「癒し系」そのものです。ヒーリング・ミュージックをお求めの方にピッタリの演奏です(って、なんだか安っぽい宣伝文句みたいですが、書いている本人の根が安っぽいのですから致し方ありませんです)。同曲が収録されたアルバム The Baroque Harp – Bach and Scarlatti もすご~くお薦めです。
 このアルバムには、バッハのフランス組曲第一番も入っているのですが、それを聴きながら、バッハって本当にすごいよなあってあらためて思いました(お前ごときがそう言っても、ぜ~んぜん重みがないぜって? まあいいじゃないですか、言わせてくださいよ)。とにかく演奏楽器がなんであろうが、まるでその楽器のために最初から作曲されたかのように演奏されうるということは、やはり音楽の普遍性ということを考えさせずにはおきません。このことは、日本のいわゆる伝統的な歌曲を西洋人が例えば弦楽四重奏かなんかにアレンジした演奏を聴くときの何とも言えない居心地の悪さと対極的だと思うのですが。
 まあそんな難しげな理屈はともかく、今日の大学までの行き帰りは、このアルバムばっかり聴いていました。おかげで(?)、授業もすごくうまくいったし、帰り道も何か幸せな気分でした(根が単純でいいよね~って?)。
 実を申しますと、当初の予定では、今日の記事で「残り少ない時間」( « Le temps compté »)というけっこう重たいテーマを扱うつもりで、哲学者っぽく眉間に皺を寄せて難しげなことを小一時間考えていたのです(少なくとも本人はそのつもり)。ところが、いざ書き始めようとして、いきなりドーンと主題に入るのも何だし、その前に「枕」として昨日の記事で取り上げた今週のヘビロテ曲について一言触れておこうかなと思ったら、その話が長くなり過ぎで、今日は本題なしの枕だけの落ちもない記事になってしまいました。アイスミマセン。










 


愛らしく、ちょっと切なく、心にそっと染みてくる掌小説ような小曲 ― ドメニコ・スカルラッティ ソナタ イ長調 K.208

2017-04-03 18:58:34 | 私の好きな曲

 今日の記事のタイトルに掲げた曲は、今週のヘビーローテ―ションです。
 ドメニコ・スカルラッティは、J.S.バッハ、ヘンデルと同年の1685年、イタリアのナポリに生まれ、1757年にスペインのマドリードで没します。父親はナポリ楽派の創始者として重要視される作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)。500余曲を数える「ソナタ」は後半生、ポルトガル王女マリア=バルバラ(後にスペイン王妃)の教育目的で作曲された練習曲。急速な同音連打や大きな跳躍進行など、当時としては極めて斬新な鍵盤音楽の演奏技巧を開発したと評価されています(でも、私自身はそいういう躍動感の溢れる斬新な曲はどちらかというと苦手です)。スカルラッティの「ソナタ」は、主にチェンバロで弾かれることを想定して作られたものですが、現代ではピアノで演奏されることのほうが圧倒的に多いようですね。ほとんどが単一楽章で、文学作品に喩えれば、掌小説のような短い曲がほとんど。
 普段はあまり好んで聴く作曲家というわけではないのですけれど、今日、明日明後日の授業の準備をしているときに、仕事に集中するのに好適な曲ばかりを集めたというコンピレーション・アルバムをアップル・ミュージックの音源からのストリーミングでBGMにしていたら、今日の記事のタイトルに掲げた曲が流れてきたのです。演奏は、フランス人ピアニスト、アレクサンドル・タロー。演奏時間は四分ちょっと。
 出だしが聞こえてきたとき、「ああ、この曲だったのか」と思わず独りごちてしまいました。というのは、大好きなドラマシリーズ『深夜食堂』の第四部(NETFLIXオリジナル配信)の第一話「タンメン」のエンディングにこの曲が流れてきて、話の内容と実によく調和していて、とてもしみじみとした印象が残り、誰の曲なのだろうかと少し探してみたことがあるのですが、そのときは特定できなかったのです。
 さっそくアップル・ミュージックの音源で同曲を検索したら、ピアノとチェンバロの演奏がたくさんヒットしました。チェンバロのほうはフランス人演奏家のピエール・アンタイを聴いてみました。もちろん良い演奏なのですが、ちょっと自分が聴きたいと思っていた演奏とは違いました。いきなり聴いたタローの演奏も悪くはなかったのですが、どうもなぜだか私はこのピアニストの演奏が苦手で、他の演奏(特にショパン)はとても繰り返し聴く気になれないのです。
 手当たり次第に聴いた中では、Yevgeny Subin、Anastasya Terenkova、Racha Arodaky の三人の演奏が気に入りました。いずれも未知のピアニストたちです。アンドラーシュ・シフの演奏はちょっと期待はずれ。大のお気に入りのピアニスト、アンヌ・ケフェレックの演奏は見つかりませんでした。チェンバロ演奏では、Nicolau De Figueiredo のそれが気に入りました。ストリングスをバックにジャズ風にアレンジした Nicola Andrioli のピアノ演奏もおシャレで悪くありませんね。ギターによる演奏もあります。例えば、Pascal Boëls  や Gabriel Bianco とか。
 というわけで、さっきからあれこれの演奏で同曲を二十回ほど繰り返し聴いていますが、聴けば聴くほど心に染みてきます。かくして、「私の好きな曲」のリストに数ヶ月振りに「新しい」曲が加わりました。












「記号は意味するが、形は己自身を意味する」― 意味生成の現場としての〈形〉

2017-04-02 20:14:33 | 哲学

 アンリ・マルディネの論文 « L’esthétique des rythmes » にアンリ・フォシヨンの Vie des formes(同書の邦訳は、昨日の記事に示した杉本秀太郎訳だけでなく、阿部成樹訳『かたちの生命』ちくま学芸文庫、2004年もある。どちらも未見)からの引用がある箇所をまず下に引く。

Or cette distinction qui vaut pour un signe, par exemple un mot (ici un verbe) dans un discours, n’est pas vraie d’une forme. « Le signe signifie, la forme se signifie », a écrit une fois pour toutes H. Focillon. Autrement dit : une forme est son propre discours. En elle genèse, apparition, expression coïncident. Sa constitution est inséparable de sa manifestation et sa signification est une avec son apparaître. Entre elle et nous aucune interprétation. L’acte par lequel une forme se forme est aussi celui par lequel elle nous informe (H. Maldiney, Ragard Parole Espace, op. cit., p.216).

 この引用の直前の段落で、「内包された時間」(« le temps impliqué »)と「説明された時間」(« le temps expliqué »)とが対比されている。前者がまさに生きられつつある時間に、後者が過去・現在・未来に分節化された時間にそれぞれ対応している。引用の冒頭の「この区別」は、後者のような分節化された時間における区別を指している。それを踏まえてのマルディネの論旨は以下の通り。
 このような区別は、「記号」、例えば、ある言説の中での一語には妥当するが、「形」には当てはまらない。H・フォシヨンがきっぱりと言っているように、「記号は意味するが、形は己自身を意味する」。言い換えれば、一つの形はそれ自身の言葉を持っている。形において、生成と現前と表現は一致している。形の構成はその顕現と不可分であり、その意味作用はその現れと一つである。形と私たちとの間にはいかなる解釈の入り込む余地もない。形が己を形成する作用は、形が私たちに形を与える作用でもある。
 前段落の最後の一文の後半は原文の « celui [=l’acte] par lequel elle nous informe » に対応しているのだが、ここで動詞 « informer » を(情報を)「知らせる」とは訳せない。しかし、形が形自身を私たちに伝えるということでもない。形が己自身を形作ることで私たちもその形の生成過程に入ること、と言えばまだましだろうか(ここでシモンドンの information 論を想起しないわけにはいかない)。
 つまり、目の前に在る形を分析・理解・解釈することが、その形を一記号として或る概念の体系の枠組みの中に位置づけ、他の諸記号と関連づけることからなるとすれば、形自身が生み出す意味は、そのような手続きによっては接近不可能であり、その形が生まれつつある時にその場でその形ととも生きつつそれを捉えるほかない、ということだろう。
 時間の持続の中へのある形の現れがあるリズムの形成にほかならないとすれば、その形が生成する場所でそのリズムに合わせて生きることによってはじめて、その形の意味が私たちに開かれることになる。リズムとはある形の意味生成の律動そのものであるとすれば、私たちはそのリズムに合わせて形とともに生きることによってしかその形の意味に参入することはできない。













〈知る〉前の〈感じる〉ことへのアプローチ、それは言葉になる前の叫びに耳を傾けること

2017-04-01 21:36:29 | 哲学

 アンリ・マルディネのリズム論については、拙ブログの昨年8月1日の記事で一度言及している。そこでも書名を挙げている Regard Parole Espace の中に収録されている論文 « L’esthétique des rythmes » (1967) においてマルディネのリズム論が展開されている。
 同論文で言及・引用されている様々な文献の中で特に私の注意を引いたのが、アーウィン・ストラウス(Erwin Strauss)の Vom Sinn des Sinne (1935年。私が参照しているのは、その仏訳 Du sens des sens. Contribution à l’étude des fondements de la psychologie, Jérôme Millon, 2000 である)からの引用とアンリ・フォシヨン(Henri Focillon)の Vie des formes, PUF, 1996 (初版は 1943。邦訳は杉本秀太郎訳『[改訳]形の生命』、平凡社ライブラリー、2009年)からの引用である(後者は明日の記事で取り上げる)。
 ストラウスからの引用は、同論文に数ヶ所あるが、〈感じる〉ことにおける〈私-世界〉関係は、〈主-客〉関係には還元できないという論旨の段落の中で、« Le sentir est au connaître ce que le cri est au mot »(「感じることは知ることに対して、叫びの言葉に対する関係にある」)という一文が引かれている(H. Maldiney, Regard Parole Espace, op. cit., Cerf, 2012, p. 220)。
 この一文は、上掲のストラウスの著書の « De la différence entre le sentir et le connaître »(「感じることと知ることとの間の差異」)と題された章の冒頭に見出される。その冒頭の数行を引用する。

Le sentir est au connaître ce que le cri est au mot. Un cri atteint hic et nunc seulement celui qui l’entend, le mot par contre demeure le même, il peut atteindre n’importe qui partout où celui-ci se trouve et à n’importe quel moment. Dans le sentir, toute chose est là pour moi et ce n’est que telle qu’elle est là pour moi et qu’elle est là de quelque manière. Dans le connaître, nous atteignons l’en-soi des choses (Erwin Strauss, Du sens des sens, op. cit., p.371).

感じることは知ることに対して、叫びの言葉に対する関係にある。叫びは今ここでそれを聞くものにのみ達する。ところが、言葉は同じものとして留まり、誰であれその人が居るあらゆる場所でいつでもその人に達しうる。感じることにおいては、あらゆるものがそこに私にとって在り、そのような仕方でしか私にとって存在しないし、何らかの仕方でそこに在る。知ることにおいては、私たちは物事のそれ自体に達する。

 〈知る〉ことの手前で経験される〈感じる〉ことがどういうことかという問題へ、言葉として一定の規則に従ってどこでもいつでも同じ仕方で分節化される前のその都度の叫びが私たちにどのように触れてくるかという問題からアプローチしようとしているわけである。