内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

知解に先立つ律動の根源性 — アンリ・マルディネを手掛かりとして

2016-08-01 17:18:01 | 哲学

 昨日午後聴きに行ったシンポジウム「リズム」で主に取り上げられた哲学者はアンリ・マルディネだった。
 マルディネについては、自分の博士論文の最も重要な箇所に付された注の中でその哲学の根本概念の一つである « transpassibilité » に言及しており(その注に関しては、2014年4月17日の記事を参照されたし)、以来ずっと気になる哲学者ではあったが、まともに取り組んだことはなかった。昨年9月12日から17日までの記事では、Regard Parole Espace の新装版の巻頭に置かれた Jean-Louis Chrétien の序文を取り上げたが、その後同書のマルディネ自身のテキストに立ち入って論ずるまでには至らなかった。
 そんなことこもあって、このシンポジウムを聴くことでマルディネ理解を深めるきっかけでも得られればとの期待をもって出かけた。シンポジウム全体としては、結果として、リズム論を中心とした議論にはならなかった恨みがあるが、会場で配られた資料に目を通しながら、私なりには重要な論点を捉えることができただけでも参加した甲斐があった。
 博士論文以来、その中で到達した「根源的受容性の哲学」(« la philosophie de la passibilité fondamentale »)という構想を今日まで温め続け、その構想に何らかの仕方で繋がるような論文をこれまで発表してきた。しかし、根源的受容性を具体的にどこでどう把握するのかという問題を解くには、そこには何か重要な要素が欠落していた。その欠落を埋めるための少なくとも一つの重要な要素がリズムであることに資料を読みながら気づいたのである。
 知解に先立ち、さらには知覚にも先立つ、出来事の到来の場所である〈開け〉の律動、それを私たちはリズムとして感じることができる。そのことが transpassibilité の具体的顕現の経験なのだと言えるのではないだろうか。














































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