内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

採点作業と音楽観賞とのバランスという問題について

2014-10-19 16:26:00 | 雑感

 昨晩は午後七時半くらいまで採点を続けて、ほぼ目標枚数に到達したので、そこで切り上げ、夕食にした。夕食には、食後にどうしても続けなければならない仕事がないかぎりはワインを飲むのが決まりで(って誰が決めたの?)、その後に仕事をすることは事実上不可能である。夕食前に翌日の講義の準備が完全に終わっていない場合でも、火曜と水曜は午後から一コマずつしかないから、その日の朝に早起きして仕上げをすることにして、食後はできるだけ仕事はしないようにしている。そうしないと、本当に一日中仕事ばっかりになって精神衛生上よろしくないからである(こう言うと、もっともらしそうで実のところは空々しく響くのはなぜであろうか)。
 今朝は七時起床。開門時間の八時からプール。一時間は泳ぐつもりでいたのだが、この季節にしては外気が暖かいせいか利用者が多く、その中には泳ぐというよりは漂っているだけの巨漢の女性なども少なくなく、そういう人がコースに入って来るともうまともに泳げたものではない(どうやったらあんなに手足を動かしても進まないようにできるのか不思議なほどである)ので、四十分ほどで上がる。
 帰宅してすぐに採点再開。三年生の答案はすぐに完了。平均点を出す。二十点満点で十・九。結果としてほぼ穏当な数値に収まった。二十五人の受験者中十点以上が十六人。最高点が十七・四。第二位が十七・二、第三位が十五・六。十五点以上の学生には、「たいへんよくできました」という日本の小学校でよく使うスタンプを押してあげる。該当者は四人。十二点以上には「よくできました」のスタンプ。こちらも該当者四名。十点以下の九名には「がんばろうね」(このスタンプのインクの消費が一番早い)。前任校では、この何れにも該当しない学生たちから、「先生、私もスタンプがほしい」という声が必ず上がったものであるが、「だったら、もっと努力するか、努力するのをやめて十点以下を取ることですね」と応えるのを常としていた。
 それにしても今日は家の中で仕事しているのが悲しくなるほど外はいい天気なのである。この季節には珍しいのだ。空は気持よく晴れ渡り、気温もなんと二十五度近くまで上昇。ベランダに出ると太陽の熱が頬に感じられ、樹々を渡る風がその火照った頬を優しく撫でてくれる。日曜にはいつもそうだが、周りは静まり返っている。仕事机をその前に据えた書斎の大きな窓から隣家の樹木が視界を覆うように眺められるのが、せめてもの慰めである。
 十枚も採点していると集中力が切れる(ちょっと少なすぎませんか? だっていやいややっているから続かないのですよ)。そこでおもむろにクラシック音楽を聴く。今日は朝からモーツアルトばかり聴いていたが、今聴いているのはベートーヴェンのチェロ・ソナタ全五曲(CD二枚組であるから相当な演奏時間であることは言うまでもない)。演奏はピエール・フルニエとフリードリッヒ・グルダ。こういうときには軽快でエレガントで愉悦感のある演奏がいい。ロストロポーヴィチとリヒテルの演奏だと、これはもう大相撲千秋楽横綱同士の優勝がかかった結びの一番のような演奏(特に第三番)で、息抜きとして気軽には聴けない。桟敷席に腰を据えて、固唾を飲んで勝敗の行方を見守るような気持ちで聴かないといけない(そんなこと誰からも頼まれていないが、そんな気持ちになるのである)。同じフルニエだったら、ケンプとの演奏もあって、こっちも巨匠同士ではあるが、演奏者自身が音楽の愉しみを味わいながらの演奏で、決して腹に持たれることのない良い演奏だ。でも、グルダの渓流を跳ね泳ぎまわる若鮎のようなピアノ伴奏が今日の気分には合っている。フルニエはいつだってエレガントな貴公子。
 ここで当然のことながら、採点している時間と音楽を聴いている時間とどちらが長いのかという微妙かつやっかいな問題が提起されざるを得ないのであるが、今日のところはこの問題には立ち入らないことにする。今聴いている第三番が終わったら、採点作業に戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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