内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

社会存在の論理としての「種の論理」の多角的検討

2013-09-20 01:14:00 | 哲学

 今日(19日、現在時間午後6時過ぎ)は、これからおそらく徹夜で学生たちのインターシップのレポートを読んで、それぞれについて評価表の項目ごとに成績を付け、講評も最後に加えなくてはならない。明日の午後が締め切り。午前中には終えたい。
 昨日に引き続き、アルザスの発表で取り上げる「種の論理」の問題群の提示。今日の記事は第2項目と第3項目。
  2/ 概念規定の問題
 a. 実践概念(実践範疇)系:個人-共同体-(種的)社会-民族-国家-世界(人類)とb. 論理概念(論理範疇)系:個-種-類、これらa/b両系は互いに区別されなくてはならない。前者の規定には、種々の歴史的事実、現実的状況、偶発的要素等、諸特殊条件が考慮されなくてはならないが、後者は、それらの諸条件とは独立に、相互的に弁別的な論理的価値として規定しうる。「種の論理」一般において、両系間に論理的根拠を欠いた同一化を生じさせる原因になっているのが〈種〉概念のb系からa系への転用であることは明らかである。a系においては、その内部でも、個人以外の諸範疇間に一方から他方への不当な外延拡張や内包の共有が発生しやすいことにも注意しなくてはならない。
 次の『種の論理と辯證法』(1947年)からの引用に典型的に見られるように、「国家」「社会」「種」が同一化あるいは交換可能な概念として使用されている。「個人と対立して之を権力を以て拘束し強制する国家社会は、その特殊なる慣習法制に於て、個人の良心に訴へ人類的普遍の理性に照らして承認すること能はざる如き特殊性を内容とし、(中略)これに対して反対し反抗する個人は、種々の迫害を受け、或は其極生命をも奪われなければならぬのである。(中略)それは私の意志に対抗し之を否定する力を有する力的存在として、如何にするも其実在を否定する能わざる文字通りの対立存在objectumであった。約言すれば私をして先ずその実在を肯定せしめた種は、斯かる私を脅す存在であったのである。しかし第二に、私が種を思惟しなければならなかった理由は、一方に於て種が此様に私を脅す存在であるに拘らず、(中略)却て私の存在がそれに基底附けれられ、私の生命の根源がそれに於て見出さるべき基体として、必要に応じ私の存在をそれに対し犠牲とすべきもの、従つてその意味に於ては、否定せらるべきは私の存在であり、種は飽くまで肯定せらるべき存在であるといふ意味を有することであった」(家永三郎『田辺元の思想史的研究』(1974年)、『家永三郎集』第7巻、1998年、50-51頁)。
 3/ 理論と実践の関係の問題
 理論的考察と実践的関与との区別と関係の問題もまた問われなくてはならない。個人と他者・社会・民族・国家・世界との関係について一つの理論を構築することと、個人としてそれらに何らかの具体的仕方で実践的に関与していくこととが、一人の哲学者において自覚的に区別されかつ関係づけられているかどうか。この視点から、〈媒介性〉の二つの次元、a. 歴史的・現実的とb. 理論的・概念的との区別、〈即〉の論理的価値と現実的機能との二重性も検討されうる。


パソコンダウン、それにもかかわらず一歩前へ

2013-09-19 01:50:00 | 雑感

 昨晩(18日)このブログに記事を投稿してから、夕食前にあと一仕事と思い、明日木曜日の講義の準備をしているときだった。学生たちに読ませる日本語のテキストの語彙表を作成していると、突然キーボードでの入力が一切できなくなった。原因もわからず、一旦ワードを閉じたり、開いていたソフトを全部閉じてみても解決しないので、再起動しようとしたら、まったく立ち上がらなくなってしまった。画面には仏語で「あなたのPCは起動の際に問題が生じたので、データを集めた上で自動的に再起動します」と出て、続いて「自動修復準備中」と表示されるのだが、それが消えるとまったく画面は真っ暗のまま。何十分かおきに同じ表示が繰り返されるだけで、もう丸一日経ってしまった。今はとても忙しくて修理に出しに行く時間もないし、このPCは今年の一月に買ったばかりでまだ保障期間中なのだが、アマゾンで購入したので、保障期間中の対応がどうなるのかも調べないとわからない。今はその時間もない。やれやれ困ったことになった。
 今日は午前中講義だったが、その準備は月曜日にしておいたので事なきをえた。講義も演習も大変うまくいった。明日の講義の準備もほぼ終わっているので、今週については何とかなる。重要なデータはすべてUSBキーその他何箇所かに複数のバックアップが取ってあるのでその点でも被害はないが、面倒なことになったのには変わりない。この記事は大学に普段は置きっぱなしにしてあるノート型パソコンを自宅に持ち帰って書いているのだが、このPCは大学で管理されているので、個人ではいっさいソフトをインストールすることができず、WEBからダウンロードできるソフトにも著しい制約があって何かと不便なのである。とにかくPCがないと仕事にならないので、最悪の場合、新しいのを急遽購入しなくてはならないかもしれない。何かとままならないことが起こるものだと溜息が出てしまう。
 しかし、それはそれとして、さしあたりこの問題は括弧に入れ、持ち合わせの機材で目の前の仕事を処理していかなくてはならない。特にアルザスの集会での発表まであと10日しかない。今日は他の発表者たちの原稿も送られてきた。私のはすでに送ったものが参加者の手にすでにわたっているし、それは完成原稿ではないとしても、議論のためには十分な内容だと思うので、あらためて改定増補版を送ることはしないが、当日の準備のために書き足しておく必要はある。それに来週水曜日からはパリの大学での「現代思想」の講義も始まる。とにかく待ったなしの仕事が一つ終えればまた一つと待ち構えている。そこで今日からはアルザスの発表準備ノートのような形で書いていくことにする。
 9月12日の記事には、田辺元の「種の論理」という問題の端緒を開くために取り上げた丸山眞男の書評を扱った部分を掲載したが、それに引き続いて簡略に列挙した10項目の問題群は省略した。それらを何回かにわけて取り上げ、再検討しつつ、書き加えていこう。項目の順番は丸山書評で取り上げられている問題の順に従っているところもあるが、必ずしもそうではなく、また問題の重要度順というわけでもない。
 第1項目は方法論上の問題。ここでは哲学的探究の対象と社会科学研究の対象との区別と関係の問題が取り上げられる。社会およびその構成諸要素について、哲学はそれ固有の定義をそれらに与えることができるのか。できるとすれば、それらの定義によって規定された対象と社会科学(社会学、経済学、法学、民俗学、文化人類学等)における対象との区別と関係が当然問題にされなくてはならない。前者は後者と独立に考察されうるのか。あるいは、前者は後者を前提とするのか。あるいはその逆なのか。
 いずれにせよ、社会存在を問題にするかぎり、これらの問いは不可避である。実際田辺は論文「社会存在の論理」の中で、オーギュスト・コント、フレイザー、レヴィ・ヴリュール、デュルケム、テンニース等の社会学、人類学的知見を検討、援用しながら、自らの議論を構築しようとしている。田辺が同論文で、ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』における二種社会論を立ち入って検討している第3章、トーテミズムを種的社会の原初的形態として分析している第4章、ヘーゲルを援用しかつ批判しながら国家と共同社会と個人との関係を規定しようとしている第7章が特に発表では取り上げられることになるだろう。宗教と国家の関係もまさに今日的な問題として検討されるに値する。


議論を尽くす時、ロゴスが降臨する

2013-09-18 01:27:00 | 随想

 今日(17日火曜日)は午前中、今年末か来年前半に出版される予定の共同論文集の編集責任者会議、およびその出版の中心となっている美学研究グループの今年度の研究計画についての打ち合わせがパリのCNRSの拠点の1つであり、それに編集責任者の1人として参加した。出席者は私を含めて5人。私以外は皆フランス人女性で、比較文学、美学、音楽学、演劇論等それぞれの分野で活躍している研究者たち、皆何らかの仕方で中国・台湾・韓国・日本に関係のある仕事をしている。
 会議は3時間ほどだったが、そのうち1時間は今年のグループ研究のタイトルをどうするかの議論。これが面白かった。結局 « Notions esthétiques : la percepstion sensible organisée »に落ち着いたのだが、このタイトル自体は話し合いのはじめのほうで出席者の1人によって提案されていた。ところが、それぞれの出席者がこのタイトルが与えそうな誤解やそこから外れてしまう研究テーマ等について率直に意見を言い合い、他のタイトル案を出しては、そのそれぞれについて皆で吟味していった。フランス語の微妙な語感を一方では考慮し、他方では研究予算を研究母体組織に申請するにあたって受けの良い表現・悪い表現等を勘案し、なかなか議論は収まらず、一時は暗礁に乗り上げたかの感を皆が持ち、数秒に過ぎなかったが沈黙が会議室を支配したこともあった。しかし、誰かが再度議論の口火を切り、またしても侃々諤々、時には相手のある言葉への強いこだわりを互いにからかったりして場を和ませながら、最終的には皆が納得する形で上に示したタイトルに決まった。もちろん全体のまとめ役である音楽学者が予算申請にあたっては研究計画書を添付するわけだが、その中にどんな内容を盛り込むかを決めるためにも有益な議論であったと言える。
 どこでもいつでもこのように生産的な仕方で議論が行われるわけではもちろんない。そうでないことのほうが多いと言ったほうがいいかもしれない。しかし、私がこれまでフランス人との議論に参加してきて、しばしばとは言えないが、時々経験したことは、今日のような研究についての話し合いだけでなく、大学行政についての話し合いの場でもそうなのだが、皆が自分の言いたいことを言い合っているだけのような過程を経て、皆が意見を言い尽くすと、自ずと議論がある方向に向かってまとまっていくことがあるということである。それには時間がかかる。予めどれくらいとは決められない。しかし、今日の彼女たちもそうだったが、その議論の時間を楽しんでもいるのだ。それは結論を急ぐことなく議論の過程そのものを享受しているとさえ言っていいかもしれない。彼女たちにはこんなことはそれこそ自明のことで、いつもそうしていることだから、かえって気づいていないかもしれないが、1歩引いたところから見ている私には、それはあたかも自分たちの意志ではどうにもならないロゴスが自ずと降臨して自分たちの議論を導いてくれるのを待っているかのようでもある。でも、ただ黙って待っていてもロゴスは臨在してくれない。私たちが忌憚のない議論によって開く言語空間にこそ、時至れば、ロゴスは具体的な形をとって顕現する。それは、いささか大げさに聞こえるかもしれないが、1つの美的体験でもある。
 会議の後は階下のレストランで残った参加者と昼食を共にする。その時に、2005年からだからもう8年になるが、これまで何度かシンポジウムで一緒にパネルを組み、常日頃私の共同研究への参加を促してくれ、私の研究をよく他の研究者の前で評価して、励ましてくれている上記の音楽学者が、「欧米人がアジア文化のことを説明するのではなくて、アジア人自身が自分の言葉で自分たちの文化についてここで話すことがとても大事なのよ。だから、〇〇、あなたがこの研究グループに参加することはとても大切なのよ」と言ってくれたことをありがたく思う。


講義の準備、研究の展開、全体としての有機的統一

2013-09-17 01:13:00 | 雑感

 今日(月曜日)は、プールはお休み。いくつか開いているプールもあるのだが、以前行っていた15区の50mプールは、広くて清潔で、晴れの日は天井が開くとても気持ちのいい施設なのだが、メトロに乗って片道30分かかるし、しかも12時からなので最近は行っていない。実はこのプールに午後2時過ぎに行くと、私が勝手に「水の妖精たち」と呼んでいるシンクロナイズドスイミング教室の少女たちが練習しているそのすぐ脇で泳げるという「特典」があるのだが、さすがにこう講義の準備と原稿執筆で忙しくては諦めざるをえない(無念である)。
 今日は朝から1日、明後日水曜日の「日本文明」の講義と演習のためのパワーポイントでのプレゼンテーションづくりにかかりきりだった。1年生が相手なのにちょっと凝り過ぎかなあとも思いながらの作業であったが、それもこれも彼らに日本のことをよく知ってもらいたいからという切なる気持ちからのことである。ただ一通りの教科書的な説明をするだけでも時間は足りないくらいなのだが、そんな説明は学生たちが自分で調べればいいことなので、むしろもっと日本のことを深く知りたいと思うように彼らの関心を刺激し、知識を深めるためにはどんな手段があるかを示すことの方に重点を置いている。だから写真や動画はもちろんのこと、さまざまなリンク先も紹介していく。作成したプレゼンテーションは授業の後、そのまま学生たちがネットで自由に共有できるようにする。
 今回は、海に囲まれているという地理的特徴の二重の意味と東北地方6県の現在について話す。海に囲まれているということは、孤立性と開放性という両義性を持っており、それが日本の歴史と現在を考える上で重要な観点の1つとなる。それはまた安全性と危険性という矛盾した二重性にも重なる。海によって外部からの侵略から守られていたということと、まさに海に囲まれているがゆえに外部からの侵入の危険にいつも曝されているということとは表裏の関係だと言ってもよい。現在の外交問題としての北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題についても話す。しかしまた、福島原発事故によってあからさまになったように、害悪を外部に果てしなく垂れ流すという危険性をもった日本の国際社会に対する責任という問題も避けて通るわけにはいかない。
 昨日(日曜日)無事に発表要旨を送った。原稿はこれからなのだが、9月27・28日のアルザスの研究集会が終るまではとても時間がない。しかし、その集会の発表のテーマである社会存在の実践的論理としての田辺の「種の論理」の問題とベルクソンのシンポジウムで取り上げる西田の生命論における〈種〉の概念の導入の問題とがリンクするようにプランを変更したので、アルザスでの発表とパリのENSでの発表とが両者相俟って今後のより大きな研究テーマに発展するようにできたのは幸いであった。
 このようにして自分のこれまでのさまざまな研究と教育とが一つの有機的な全体としてまとまりつつあることは、そのように特に意図してそうしてきたわけではなかっただけに、与えられた自らの召命のようなものについての自覚を私に促さずにはおかない。


新しい社会存在の哲学の構築のために ― 西田がラヴェッソンの習慣論に見出した可能性

2013-09-16 01:20:00 | 哲学

 今日(15日日曜日)は、昨日とは打って変わって朝から快晴(午後からは曇りがち)。朝の気温は13度前後と低めだが、体を温めるための速歩にはちょうどよいくらい。日曜日市営プールは午前8時から。その5分前に門前に着いたが、いつもと違って待っている人が誰もいない。開門直前まで、待っていたのは私1人。また職員の抜き打ちストライキかと嫌な予感がしたが、ちゃんと予定通り開門。その時点で入場者は私の他には品の良い話し好きの老紳士が1人だけ。こんなことめったにない。どうしたのだろう、他の常連たちは? 昨日今日とフランス全土で毎年9月第2土曜・日曜に実施される文化遺産公開日だからだろうか。この2日間、普段は一般公開していない歴史的建造物などを無料で見学できる。国民議会の議事堂であるブルボン宮殿など、パリでもとりわけ有名なところは長蛇の列ができているのを見たことがある。ちなみに私はどこも見学したことがない(正直、あまり関心がない。見て、だからどうなのよ、って感じ)。それはともかく、プールで最初の30分間1コース独占。昨日以上のハイペースで泳ぐことができた(Vive la France, la République, la liberté !)。今日はクロール1100m、背泳ぎ1050m、平泳ぎ50m(C’est un peu comme une petite pause.)。
 プールに行く前、午前5時に起床して(alors même que l’on est dimanche)、小林論文の仏訳を進める。しかし、昨日も書いたが、西田の引用の訳に難儀する。朝起き抜けにやる仕事ではないですよね(といって、いつやるの?)。一文一文が複雑なのではない。それはむしろ単純な方だ。それに、もうこれまでに10年以上西田のテキストを仏訳してきているから、彼の文体には慣れてもいる。それにしてもである。フランス語では一般に、学術論文ではことのほか、前後の文のつながりを明確にする表現を各文に織り込んでいかないと文章にならない。ところが西田の文章にはそれがない。西田の文章は、飛ぶ、翻る、衝突する、そして突然、舞台が変わる(Au secours !)。かといって、こっちで親切心から繋ぎの要素を補ってしまうと、もうそれは「西田的」でなくなってしまう。そこで仕方なしに、できるだけ原文に「忠実に」ということになるのだが、できた仏訳を見ると、「これフランス語じゃないよなあ」と溜息が出る。これを読んでフランス人哲学研究者が本気で関心持ってくれるだろうかという疑念が兆すのをどうしようもない(去年の10月、今回のシンポジウムが開かれるユルム通りの高等師範学校(École normale supérieure Ulm)で、ジョスラン・ブノワと彼のフッサール・アルヒーフの研究室から一緒に参加した日独仏WEBシンポジウムでは、西田の哲学的方法論についての私の発表を聴いて、ブノワさんが「自分の問題意識とも重なるところがある」と西田哲学に関心を示してくれたけれど…)。しかもですね、引用している当の小林さん自身が(つまり西田哲学研究の現在の第1人者がですよ)、「この引用の解釈は大変難しい」と保証してくれている(Dieu merci !)。気持ちとしては西田に向かって「先生、あんまり無茶言わんといてください。訳す方の身にもなっておくれやす」と懇願したくもなります。だって「これは矛盾しておる。しかし、矛盾のままに統一されなくてはならんのだ」と仰っておられるのですから、「殿、何をご無体な。殺生でござりまするぅ」と叫びたくもなります(Arrête, ça suffit ! ― Bon, je m’arrête...)。
 さて、昨日の記事で予告したように、ベルクソン国際シンポジウムでの発表要旨の和訳を以下に掲載いたします。


新しい社会存在の哲学の構築のために
― 西田においてベルクソン解釈を超えたところで再評価されたラヴェッソンの習慣論 ―


『物質と記憶』の著者から離れるところで、西田は『習慣論』の著者に近づく。〈種〉の概念は、集団的社会生活をもその裡に含んだ生命の哲学の形成のために不可欠だが、〈個物〉と〈一般者〉を、そして〈個物〉と〈個物〉とを対立させることを基軸とするそれまでの西田哲学の構成の中では、欠落した構成要素であり、それをその構成の中に取り込むことは理論的に容易ではなかった。しかし、最晩年、西田はラヴェッソンにおける〈習慣〉概念の中にこの厄介な理論的困難を乗り越えるための有望な解決策を見出していた。この概念は、歴史的実在の世界の構成要素、しかし可塑性をもち実体的ではない構成要素としての〈種〉の論理を構想することを可能にする装置として西田によって再発見されたのである。この試みは、しかし残念なことに、宗教の問題を扱う西田最後の論文執筆のために中断され、その死によって結局未完のまま遺されたが、それでもなお私たちに新しい社会存在の哲学の構想について考えさせる。この哲学の構築には、ラヴェッソンが切り開き、西田がその理論的可能性を捉えたパースペクティヴの中で、西田がその哲学者としての生涯にわたって注意深い読み手であったベルクソンが、そして京都学派での西田の後継者、というよりもむしろその共同創設者というべき田辺元が、新たに大きな貢献をもたらすことであろう。


朝の快泳、マルシェで買い物、秋の長雨、終日机に向かう

2013-09-15 01:15:00 | 雑感

 今日(土曜日)は夜明け前から雨が降り始め、終日雨がそぼ降る、ほの暗く寂しい、静かな1日。そんな天気のせいか、今朝のプールは空いていた。おかげでほぼ自分のペースで泳げた。40分で背泳ぎ1300m、クロール700m,平泳ぎ100mの計2100m。いつもはもっと混んでいるので、前の泳者との間隔を取るためにペースを落とさなくてはならないが、今日はほとんどその必要がなかった。いつもこうだったら理想的だけれど、まあ市民のための市営のプールであり、しかもとても安いのだから、今の条件でも十分にありがたいと思っている。
 ただ一言だけ常日頃感じていることを言わせていただけるなら、あの泳いでいるというよりは漂っているだけのお年寄りたちの中に、ちゃんとそういう人たちのためのスペースはたっぷりとってあるにもかかわらず、コースロープが張ってある遊泳コースに入ってくる人が必ずいるのだが、あれはいったいどういうつもりなのだろうか。明らかに他の泳者の邪魔になっているのにぜーんぜん平気なんですよね。さすがフランス人というか、個人の権利意識だけはそれこそ骨の髄まで染み込んでいるんでしょうね。もちろん、ちゃんと周りに配慮して、速い泳者に「どうぞお先に」と笑顔で譲ってくださる気持ちのよい人たちもいらっしゃることは、フランス人たちの名誉のために申し添えておきます。
 プールの帰りに、久しぶりにポール・ロワイヤルのマルシェで買い物。いつもの八百屋さんで野菜と果物を買い込む。随分買い込んだが22€もしなかった。品質もよく値段も良心的。この八百屋さんとは今のアパルトマンに越してきてすぐからの付き合いだからもう7年になる。何ヶ月間が開いても、行けばかならず挨拶を交わす。
 午前中は小林論文の仏訳。前半をほぼ訳し終える。ただ、後半は西田からの引用が多く、議論も複雑になるので訳にも少し難儀しそうだ。しかし、小林さんの論文を仏訳することは私にとっていつもとてもいい勉強になり、こちらの思考を刺激してくれる。
 午後は自分の発表の要旨作成。いつものことだが最初からフランス語で書く。意外にすらすらと書け、1時間ほどで一応書き上げた。もちろんこれまでに何ヶ月も折にふれてあれこれ参考文献を走り読みしては思案していた時間を除いての話ではあるけれど。今日は敢えてこれで切り上げ、夜は主要な参考文献を再度拾い読みするだけにする。そうして原稿を1日寝かして、明日の午後推敲して、シンポジウム責任者に送るつもり。タイトルはまだ決めていないが、西田哲学がベルクソンの生の哲学から離れるまさにその場所でラヴェッソンの習慣論と出会う、ということが言いたい。とはいうものの、「ベルクソンとの別れ、ラヴェッソンとの出会い」じゃ、いくらなんでも恋愛小説みたいでだめですね。もっと哲学の発表らしいタイトルを考えないと。
 そのタイトルと要旨の和訳は明日の記事で掲載いたします。


思想史学的研究から哲学的研究へ ― 可塑的共同体の論理としての「種の論理」

2013-09-14 01:00:00 | 哲学

 今朝(13日)は日曜日以来4日ぶりのプール。昨日の木曜日の授業は午前11時半からなので、朝プールに行ってからでも十分に間に合う時間なのだが、昨日書いたように講義の予習が朝までかかってしまったので諦めざるを得なかった。今朝は意外に空いていて、背泳ぎを主にいつもよりハイペースで泳ぐ。
 午前中は、自宅で追加の学科入学許可書の作成、PDF版で志願者当人と教務事務とに同時送信。これで今日中に志願者たちは登録できる。すぐに本人たちから感謝のメールが届く。
 午後は小林論文の仏訳。だが2日続けての睡眠不足のせいか、途中で睡魔に襲われ、一時間半ほど午睡。おかげで頭もスッキリした。仏訳は日にA4で1枚というペースを自分に課しているが、順調に行けば来週末には訳し終わるだろう。
 今日はこれからベクソン国際シンポジウムでの自分の発表のタイトルと要旨を考える。明後日の締め切りには十分間に合うだろう。今年度前期は講義が水・木だけで、金曜日は出講しなくていいのは助かる。しかし、2週間後にはマスターの授業とイナルコの授業が始まり、そうなると水曜日は午前8時45分から午後3時までが本務校、午後5時半から7時半までがイナルコというかなりハードな1日になる。

 以下はアルザスの発表原稿の結論の最後部分。明後日の要旨ができたら、集会当日まで少しずつ手を入れて原稿全体を発展させていくつもり。

 家永三郎は『田辺元の思想史的研究』の「結論」の末尾で、「結論として完成された理論のすべてを積極的に評価できなくても、その内に貴重な問題提起が、あるいはそれから有効な思想展開の可能性が含まれている場合に、それを掘り出し、精神的遺産のカタログに加え、将来への思想的営為のために活用する途を開くのが思想史学の大切な任務のひとつ 」であると規定し、まさにそれゆえに同書を書いたと言う。田辺哲学の「マイナスの要素を洗い落とし、継承発展させて行くに値するプラスの要素をどのように活用することができるのか 」という課題には、同書で「可能なかぎり論じておいたつもり」と自ら成し遂げた任務を評定する。そしてこの課題について、それを「実践的な観点から深く立ち入って考えることは、もはや思想史研究者の任務ではなく、思想家・哲学者のなすべきことがらであると思われる 」と締め括る。この思想史的研究と哲学的研究との役割分担規定に従うならば、田辺哲学の哲学的研究はようやくその緒についたばかりだと言わなくてはならないのではないであろうか。
 以下に示すのは、これからのそのような哲学的研究のためのひとつのささやかな準備的なメモである。
 〈種〉の可塑性
 「種の論理」は、絶対媒介の哲学の論理であるかぎり、〈種〉の非実体性・可塑性を基本的テーゼとするものでなければならない。〈種〉は流動的、多元的、多層的でありうる。
 反実体主義
 「種の論理」は、徹底した反実体主義であり、絶えざる否定的媒介を通じた反形而上学的実践の論理である。
 同一性の動態化
 絶対媒介の哲学はあらゆる媒介項の自己同一性を動態化する。したがって、個のいかなる集団への同一化・没入も原理的に否定される。
 可塑的共同体の論理としての種の論理
 上記の三つの基本的テーゼから導かれうるのは、民族の自己同一性の相対化であり、個と種の間の自発的・限定的・可変的共同性の構築の可能性である。それは一方で「近代市民社会に固有なる原子論的思想 」の克服を可能にし、他方で仮説的可塑的集合的同一性の共有の可能性を開く。この共同性はそのうちに葛藤・対立・自己解体の可能性を内包する。非同心円型-ネットワーク型社会形成の論理としての可能性を持つ。


戦争と哲学者 ― 田辺元の「種の論理」について ―

2013-09-13 02:33:00 | 哲学

 昨晩(11日)は、12時まで講義の準備のために頑張ったが、もう睡魔のせいでそれ以上は続けられず、今朝(12日)5時起きで何とか間に合わせる。今日の2年生の講義は日本近代史。初回の今日は、昨年度1年生の講義の最終回で取り上げた幕末の復習から始め、廃藩置県と四民平等の話まで。私にとっても自分の研究の必要上普段からいろいろな資料を読んでいる時代なので話したいことがありすぎて、今日は結局準備したことの半分しか話せず、残りは来週に持ち越し。その分来週の講義の準備は楽になるから、その間に他の仕事を進めておかないといけない。
 今週末は11月のベルクソン国際シンポジウムでの発表のタイトルと要旨の締め切り。当初のつもりでは、ラヴェッソンのデッサン論から説き起こしてベルクソンのそれに対する評価へ、そして西田の芸術論へと話を繋いで、身体的所作の優雅さと受肉された恩寵の問題を取り上げようと思ったけれど、ちょっと準備不足になるおそれがあるので、それは別の機会にまわして、ラヴェッソンの習慣論に対する西田とベルクソンとの態度に違いから、両者の哲学を決定的に分かつ問題場面を明確にした上で、そこにおいてラヴェッソンのいう習慣と西田の行為的直観とが相補的な関係にあることを示すという内容に変更することにした。前者の主題のほうが魅力的だと思うけれど、ラヴェッソンのデッサン論を読み込んでから原稿を書く時間がなさそうなので諦める。
 
 以下は、アルザスの発表原稿の第2章からの再録。

 「種の論理」の形成期は、1930年代の半ば、日本がすでに15年戦争に突入して国家主義・軍国主義・全体主義が様々な法制度の形をとって社会の深部にまで浸透しつつあった時代に重なる。戦争期という、いずれの国であれ、国家権力が剥き出しの形で国民の生活に強制力を発動する時代にあって、「種の論理」は、田辺が哲学者としてその時代の課題に正面から取り組もうという真摯な姿勢から生まれてきた実践的な社会哲学理論であると言うことができるだろう。しかし、本稿では、1930年代初頭から40年代半ばにかけての日本の15年戦争下における哲学という極限的な状況への歴史的関心自体から「種の論理」を取り上げるのではない。「種の論理」にきわめて先鋭化された形で問題化されている〈人類〉〈国家〉〈民族〉〈社会〉等の集合概念と〈個人〉という個体概念との関係性は、その時代と場所を超えた普遍的な問題であると同時に、今日においてもまさに世界のいたるところで人々が直面している切実な現実問題の一つでもある。したがって、田辺の「種の論理」がそれに対してなんらかの理論的・実践的寄与をなおなしうるかどうかと問うことは、日本の特殊的歴史的条件を無視したアナクロニズムであるどころか、むしろ逆に今こそ世界的な視野の中で吟味されるべき喫緊の社会哲学的な問いの一つでありうる。そうであるからこそ、「種の論理」はそれとして〈今〉検討されるに値すると筆者は考える。
 その検討にあたっては、論理的破綻、構造的欠陥、歴史的・社会的現実認識の誤り等を単に指摘し批判することがその目的ではないことはすでに述べた。しかしまた、全体としての整合性を欠いた「好意的」解釈や時代状況あるいは個人的事情に鑑みての「情状酌量」や一定の論理を欠いた無原則な「修正主義」によって「種の論理」を「知的遺産」として救済・保存しようというのでもない。その論理構造、理論的射程・限界・欠陥、そして可能性をそれとして厳密に検討すること、これが第一の手続きでなくてはならないことは言うまでもないであろう。しかし、それだけに留まれば、問題とする事柄の性質上、哲学的研究として不徹底との謗りを免れることはできないのではないだろうか。なぜなら、国家・社会・民族等に対する個人の関係性という問題は、個人としてそれを問う者自身の問題としても問われざるをえないからである。とりわけ、国家に対する個人の主体的自律の根拠、実践的批判の論理、社会的抵抗の現実的拠点の構築は、現在における哲学的実践の問題としてきわめて重要であると考える本稿は、特にこれらの観点から「種の論理」を吟味することになるだろう。


問題の端緒を開く ― 丸山眞男の書評を手がかりに

2013-09-12 01:27:00 | 哲学

 今日水曜日(11日)は今年度最初の授業だった。学部1年生の「日本文明」のCM1コマとTD2コマ。前者は cours magistral のことで、階段教室での講義。出席者およそ70名。後者は travaux dirigé のことで、35人以内のクラスでの演習。この両者が相俟ってひとつの教育ユニットを形成する。昨晩午前3時までパワーポイントでのプレゼンテーションを入念に準備しておいたので、どちらも思い通りにしゃべることができたし、学生からの手応えも十分であった。今日の授業は12時15分で終了。午後は修士2年進学希望者の日英仏の3ヶ国語による面接試験。受験者2名。どちらも内部志願者。1名合格。今晩はこれから明日12日の2年生の「日本近代史」の授業の準備。去年の資料と手書きのノートを基にパワーポイントでのプレゼンテーションを作成する。午前2時前には寝られないだろうな。
 以下は、昨日その「序」を掲載した発表原稿の第1章前半(脚注はすべて省略)。これが「序」になるはずであったが、長くなりすぎたので1章として立て直したことはすでに9月8日の記事で述べた。後半では、丸山の書評を手がかりに、10項目に分けて、「種の論理」の問題点を列挙しているが、そちらは記事にするには長すぎるので省略した。

 丸山眞男は、務台理作の『社会存在論』が出版された1939年にその書評を『国家学会雑誌』(昭和14年9月号)に書いている 。この書評は、務台の著作をその直接の対象としているが、丸山自身が書評の終わりの方で認めているように、務台の論理の「内在的な批判」ではなく、むしろ「種の論理乃至ひろく近時の社会存在論についても妥当する部分があろう 」と言っていることからもわかるように、当時の哲学的社会存在論一般に妥当しうる、より一般的な射程を持った問題提起をそこに見ることができる。そこで私たちは、この書評で丸山が「種の論理」一般について提起しているいくつかの問題を提示することをもって、田辺元の「種の論理」の批判的検討を主目的とする本稿の主題への導入とする。
 この書評の中で、丸山は、哲学界の当時の著しい傾向として、西田哲学以来「具体的な歴史的=社会的存在に集中するようになった」ことをまず指摘した上で、「田辺元博士の「種の論理」の提唱はこの趨勢に向かつて画期的な一石を投じたもの」と評価する。務台の「社会存在論」については、「この「種の論理」は務台教授によつて受継がれ、教授独自の立場に於て展開 」されたものと位置づけ、両者の方法論的な違いを指摘した上で 、「種の論理」の「最初の完結せる叙述」としてのきわめて重要な意義を認める 。
 しかし、哲学的・論理的考察と経験的・実証的考察とが区別されるべきという点については務台に同意しつつも、丸山は、社会科学者の立場から、両考察がいずれも歴史的世界に関わり、現実社会の構造の闡明に向けられる以上、そこに「必然的な関聯」が生じることに注意を促し、「この関聯を無視し、哲学的思惟が社会科学の立場より得られた成果を飛び越して、社会科学の対象そのものに直接結びつくとき、そこに悪しき意味における哲学の現実化、政治化の危険が胚胎する。この書に於てもこうしたかうした傾向が絶無とはいへない」と指摘する 。
 その例として丸山は「種的社会」の定義を挙げる。務台が「歴史的世界の中に於いて種的社会を基体としない如何なる現象もありえない 」と主張することは当然と認めた上で、その直後に唐突な仕方でその「種的社会」が「地霊の力」としての「民族」と等置され、それのみが歴史的世界の生産の基体であり主体であると、何の論理的根拠も示さずに断定されていることを厳しく批判する 。
 さらに丸山は、この民族と同一視された種的社会に対する個体の関係を問題とする。「種に対して一方的に「従属」しその「優勢的圧力」を蒙る個体は如何にして種の疎外性を転向せしめうるか 。」種の「この限りなき強大性に面して個体の限りなき実践性の要求は単なる当為に止まらないだろうか 。」このように、務台の社会存在論に見られる、個体に対する種的社会の優位性と、種的社会に対する個体の立場の脆弱性についての疑問が提示される。
 そして、丸山は、国家乃至民族の全体性が当然の前提とされ、民族と国家とがつねに同一視されていることも問題として指摘し、その全体性と部分としての個体の自由なる文化的活動とが如何にして両立するのかと問う 。
 書評の締めくくりとして、丸山は、「哲学畑の人の社会的=政治的関心の傾向はこよなく喜ばしい」とその傾向を好意的に受け止めながら、哲学者たちに対して次のような方法論的配慮を要求し、彼らが陥りやすい理論上の逸脱とその結果としての現実的な危険に目を向けさせようとする。「哲学者は社会科学の成果を出来るだけ顧慮することが望ましい。さもないと純粋論理が一足とびに現実と抱合し、「存在するものの合理化」に終る懼れなしとしないのである。」
 丸山が東京帝国大学法学部助手だった25歳の時に書かれたこの書評には、それが京都学派に対しての外在的な論評であることでかえって「種の論理」をめぐる諸問題の所在が冷静かつ客観的な仕方で明示されており、そこからさらに一般的な問題群を引き出すこともできる。他方、それがまさに同時代における批評であるがゆえに、当時の時代状況をいわば内在的に反映しており、どのような歴史的文脈の中で「種の論理」が登場してきかという一つの時代の証言にもなっている。私たちもまた、方法において外在的でありかつ歴史的には内在的であるこの丸山の立場に仮に身を置くことを議論の出発点とする。


社会存在の実践的論理としての「種の論理」

2013-09-11 03:51:00 | 哲学

 今朝(10日)いつものようにプールに行ったら予告なしの職員のストライキで閉鎖(Ça arrive souvent en France.)。午前中は小林論文の仏訳。これは順調に捗る(Ça avance bien.)。午後から大学。いくつか書類を処理してから学科の文明講座担当者間の分科会。帰路駅で30分近く待たされる。その間いっさいアナウンスなし(J’en ai marre ! Ça suffit maintenant.)。
 月曜朝にアルザス欧州日本学研究所での研究集会責任者に発表原稿を送った。翌日火曜日つまり今日、その責任者から発表者8人全員の要旨は送られてきたが、発表原稿は私のだけが添付されていた。ということは、私だけが律儀にも責任者の要求に忠実に応えたということらしい。その発表原稿の新たに書き加えた「序」を以下に転載する。

 本稿の目的は、田辺元の「種の論理」を社会存在の実践的論理として批判的に検討することにある。田辺のそれ以前の主に自然科学を対象とした科学哲学的業績、カント批判哲学研究、ヘーゲル弁証法研究、西田哲学批判などに代表される「種の論理」に直接する前史、戦争末期から戦後にかけての「種の論理」の自己批判を経て後の哲学的転回・発展・深化等については、これらを検討の対象から除外する。伝記的事実にも言及しない。これらの研究対象限定の手続きは、しかし、田辺哲学の膨大な業績のうちからその一部だけを切り離して俎上に載せ、今日の事後的かつ外在的観点から、その論理的欠陥、事実上の錯誤・挫折を論うためではない。このような安易な批判あるいは単なる誹謗・中傷は、戦後すでに十分繰り返されてきたし、そのような特定の立場からする、あるいは状況依存的な一方的な否定・拒否・断罪には、何らの学問的生産性を見出すこともできない。田辺自身によっても戦時下の過酷な現実を前にその限界が認識されていた「種の論理」を今日敢えてそれとして検討するのは、理論的観点からあるいは歴史的事実としてそれ自体は覆うべくもない負の要素にもかかわらず、「種の論理」が一個の社会存在の実践的論理として、今日なお現実分析の装置として有効に機能しうる可能性を持っているかどうかを問うためである。言い換えれば、私たちが直面する現代社会の現実を分析し、そこに生じている諸問題に具体的かつ有効な仕方で取り組もうとするとき、「種の論理」がその実践の戦略を練るための一つの理論的拠点を与えてくれるかどうかを問うためである。