内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「汝自身を知る」ことはできるのか ― ポール・クローデルの演劇論的ソクラテス批判(承前)

2013-08-22 07:11:16 | 哲学

 昨日からの続きで、ポール・クローデルによる自作戯曲『堅いパン』の解説講演の内容紹介。以下、文中の「私」はクローデル自身を指す。

 どのような人格であれ、自分がそこに属するドラマ全体の調和なしには、自分の中にある共鳴装置を振動させる外からの呼びかけなしには、自分自身の諸可能性を知ることはできないであろう。この共鳴装置は自分だけで自分の内に直に見ようとしても、何一つわからないものである。己を取巻く外的な諸事情こそが、一個の人格が己を顕にすることを可能にしてくれる、あるいは日常のフランス語において意味深くもそう言われるように、己が「生じる(se produire)」ことを可能にしてくれる。つまり、しばしば深い驚きとともに、それまで気づかずにいたほとんどまったく新しい存在をその人格に対して開示してくれるのである。この点において、かの有名なソクラテス的格言「汝自身を知れ!」は、私には実行不可能に思われる。実際、自分自身を知ろうとして、自分を見つめなくてはならない人間は、ある的確な行為が活性化しないかぎりそれら自体では不定形に留まるほかない潜在力しか、自分の裡に見ることができない。
 そこには何か反自然的な態度が感じられる。眼は自己の内部を見るように作られてはおらず、外部に向かって開くように作られている。ソクラテス的格言に対立する真のキリスト教的格言は、「汝自身を知れ!」ではなくて、「汝自身を忘れろ!」である。これを詳しく説明的に言い換えれば、以下のようになろう。
 「汝の注意を自分自身以外に向けよ。汝がそれに対して義務を果たすべき存在、それが神であれ、事物であれ、人々であれ、それらの存在に注意を向けよ。この途方もなく大切な呼びかけ、今にも、そしておそらくただ1度きり汝に差し向けられるこの呼びかけを聞き逃さないように気をつけよ。そして、よりよくそれを聴くためには、まずもって、自分自身を黙らせよ。瞑想に、あるいは、もっと愚かしいことだが、自分自身の人格の不毛な礼賛に耽ってはならない。なぜなら、自分を見つめるためには、まず立ち止まり、作為的なわざとらしい態度の中に自分を固定しなくてはならないからである。巷でよく言われるように、「ポーズを取る」というのがそれである。怠惰な人間たちのように、あることが自分の性格に向いていないとか、自分にできることではないなどと言ってはならない。なぜなら、それについて汝は何も知らないのだから。1人の人間にとって重要なのは、自分にできることではなく、人が自分に望むことである。見つめなければならないのは、鏡の中の自分の姿ではなく、十字架であり、御旗である! 聴かなければならないのは、夢や幻想といった、だらけて浮ついた音楽ではなく、自分を無から引き出した呼びかけ、素晴らしい1つの言葉で人がそう呼ぶところのもの、つまり『召命(vocation)』である。」

 以上が、昨日の記事の冒頭で書誌的な紹介をしたクローデルの講演の中での人間存在についての一般的考察の要旨である。しかし、このように紹介したからといって、私(これはこのブログの記事を書いている当人のこと)がクローデルの主張に全面的に賛成しているというわけではない。クローデルに対する私の疑義を一言申し述べることが許されるならば、それは以下のようになるだろう。
 クローデルの考察は彼のカトリック信仰を前提としているが、それを超える創造的で開かれたもの、無限に受け入れるものによってカトリックもまた相対化されないかぎり、個々の掛け替えのない人格は、自己目的化した1つの全体性に一方的に従属あるいは不可避的に埋没せざるを得ない。1つの調和的音楽にとって、それを撹乱する不協和音でしかない存在は、その音楽から排除されなくてはならないものである。しかし、私たちが乱してはならない最上の音楽とはただ1つしかないものなのだろうか。もし、いくつかのいずれ劣らず優れた音楽が存在し、それらが同時に奏でられうるとすれば、ある時ある場所に生を受けた私たちはそれらすべてに同時に参与することはできない。それらが同じ場所で同時に演奏されれば、耳を覆いたくなるような巨大な騒音にしかならないかもしれない。私たちは、それぞれ一個の有限な存在として、そのいずれかの音楽の演奏に自分の役割・パートを十分に自覚して参加しなければならない。しかし、まさにそうであるからこそ、それらの異なった仕方でそれぞれに美しい音楽をすべて受け入れる、無限に広がる沈黙の場所にこそ、私たちは何よりも耳を澄まさなくてならないのではないだろうか。確かに、自分自身を知るためには、この世のある時代と場所で自分を働かせる「召命」をそれとして注意深く聴き取る耳を私たちは持たなくてはならないだろう。しかし、だからといって、自分がそこから引き出された〈無〉は、その私の「召命」によってもはや消去されてしまったのではなく、私をその生誕以前からまったき沈黙のうちに受け入れていたのであり、今もそうなのであり、永遠に受け入れていることを私は忘れるわけにはいかない。


「汝自身を知る」ことはできるのか ― ポール・クローデルの演劇論的ソクラテス批判

2013-08-21 16:16:14 | 哲学

 フランスの詩人・劇作家ポール・クローデル(1868-1955)は、『堅いパン(Le pain dur)』という複数の世代にまたがる民族間の争いをテーマとした戯曲を第1次世界大戦中に仕上げ、休戦の年1918年に出版しているが、その翌年の5月に、ある劇場でのその戯曲の上演に先立って、自作解説のための講演を行っている。プレイヤード版で4ページ程(Théâtre II, p. 1106-1110)のこの短い講演は、1作品の解説という枠組みを超えた、人間存在についての哲学的とも言えるかなり一般的な考察を含んでいる。その考察を私なりにまとめて、今日と明日の2回に分けて紹介する。
 1つの複雑で集団的なドラマは、その始まりはある世代においてのことであれ、そのドラマ全体が1世代の枠組みに収まるとはかぎらない。親が子に伝えるのは、遺伝形質、礼儀作法、財産、社会的地位などばかりではなく、引き受けるべき結果、発展させるべき萌芽、一言で言えば、ドラマの中でのある未完の役割であり、そのドラマのシナリオは、ある幕での登場人物たちの死後も展開し続ける。要するに、たった一対の男女から、無数の人物と行動が生まれるのであり、それらの根にあるのは、婚姻の日にその男とその女とが互いに与えた同意なのである。
 人間存在は、個々人の人生の長さにそれぞれ孤立的に限定されてはおらず、それらの人たちの社会生活においては、なおのことそうではありえない。1人の人間には、まったく独りで存在する手段はなく、その行為がまったく他の誰の存在も前提することなく、その同意もなしに遂行されうるような人もいない。それゆえに、劇作家は、憎むべき登場人物役も含めて、すべての登場人物たちに対して不思議な共感を持つものなのである。ある登場人物にとっては裏切り者である別の登場人物も、作家自身にとっては、その造形のために同じような苦労と喜びを経験した被造物であり、後者もまた、ドラマ全体の構成の中では一定の役割を果たし、その人物固有の調和を持っている。
 しかし、良きものと悪しきものは、同じように全体の構成に参加するのではない。前者は、あたかも良き音楽家のように、この無数の楽器からなる大コンサートであるドラマ全体を常に心に感じつつ、その中で、たえず出会う新たな驚きを受け止め、自分のパートを守りつづけるか、あるいはそれを作り出しつづける。そのような人物が「正しい人(homme juste)」なのである。その人が「正しい」と感じるのは、ちょうどある音楽のフレーズが正しく、まさに待たれていたその場所に来るのを感じるようなものである。旧約聖書にある「音楽を妨げるな!」という命法ほどに、宗教の枠を超えて人間の行動を律する深い智慧を凝縮した一言があるであろうか。この言葉が教えるのは、「汝らの行動と密やかな思いが、汝らもまたその1つの構成要素である調和を乱さないようにするばかりでなく、それらがそのまわりに新たな調和を引き起こすか、生み出すように振る舞いなさい」ということである。


追記 これまで Ameba でブログを書いてきましたが、記事の表示画面のPRがあまりにも記事の内容にそぐわないので、今日から goo ブログに引っ越すことにしました。これまでの記事は差し当たり Ameba の方にそのまま残しておきます。方法がわかればいずれ記事のすべてをこちらに移動させるつもりです。


無事帰国

2013-08-20 08:00:00 | 雑感

 先ほど無事パリの自宅に帰り着きました。日本で連日の酷暑(いつまで続くの?)にうんざりしている皆さんには大変申し訳ございませんが、一応今日のパリの天気について一言ご報告させていただきます(誰も聞いとらん)。シャルル・ド・ゴール空港到着時の午前3時35分の外気は13度、現在午前8時パリ市内で14度。今、1月半閉めきってあった部屋の空気を入れ替えるため、窓を開けたままこの記事を書いていますが、半袖だと寒いくらいです(嫌味ですね)。日中の予想最高気温26度、快晴、湿度も日中は50%を下回るでしょう(なんでここだけ天気予報士みたいなんでしょう?)。一言で申しますと、快適そのものです(もう、ええ)。
 帰路は概ね順調だった。北回り航路。ロシアを数時間掛けて横断した(シベリア上空を通過するたびごとに、眼下のどこまでも広がる荒涼たる風景を見ては、ここでだけは墜落しないでほしいと切に願う。今回は真っ暗で何も見えませんでしたが)後、北欧3国南部をかすめるようにして、デンマークから南下、ドイツ北西上空通過してフランス上空に入る。
 そこからずっと、眼下の夜景を眺めていた。光の集まっているところが街であることはすぐにわかるが、その光の集積度で街の規模と形態がすぐにわかり、その街から放射状に伸びている道路の明るさが、その道路の交通路としての重要度に対応している。それは、一国の産業の発達度を光の量と広がりよって一目瞭然たらしめる光景で、産業国を1個の身体にたとえるならば、あたかもその血管網を透視しているかのようだ。私はこの光景を何度見ても飽きることがなく、だからいつも窓際の席を予約する。
 着陸後も順調そのもの。おそらく今日の最初の到着便だからだろう(そりゃそうですよね、午前4時前着ですもの)、いつもは待たされるパスポート検査場を待ち時間ゼロで通過(検査官もにこやか)。荷物も10分足らずで出てきた(やればできるんですね、フランスでも。朝早くからお疲れ様)。お陰様で、4時53分発のRERの始発に余裕をもって乗ることができた。
 このRERのB線が始発駅の空港を出てからパリ市内に入るまでに通過するのはパリの北の郊外で、この地区はきわめて治安が悪く、低所得者層・移民(両者は社会階層としてかなりの部分重なるが、まったく一致しているわけではない)が数多く住む。彼らは人のやりたがらない仕事を生業としていることが多く、朝はとても早い。蓄積した疲労で眠そうな顔を車両の窓にもたせかけ、微睡んでいるか、暗い目をして遠くを見つめていることが多い(彼らに向かって「未来に希望を持て」などと、偽善なしに言うことが誰にどうしてできようか。オランドさん、なんとかしてよ)。車両の中のアジア人種は私一人、大半は黒人とアラブ人、白人は片手で十分数えられる。そのうち4人は旅行者あるいは帰国者、つまりその地区の住人ではない。
 ダンフェール・ロシュロー駅下車。後はアパルトマンまでいつものように徒歩。この駅から帰国後に荷物を持って徒歩で帰宅するのもこれで10数回目になるが、不思議と今まで1度も雨に降られたことがない。重いスーツケース2つ(本ってどうしてこう重いのでしょうか)を引きずり、よろめきながら自宅到着。やれやれ。鍵を開けて部屋に入って、すぐに面白くない発見。大家さんに私の1月半の留守の間に窓のペンキ塗り直しをやっておいてくれるように6月に頼んだのに、やってない。鍵まで渡しておいたのに。早速あとで連絡取らないと。まあ、こんなもんである。こういうことにいちいち小腹を立て(こんな表現ありましたっけ? ないかもしれないけど、ちょうどこんな感じなんです)ながらも、他方では 一言、"C’est pas grave." (この一言、フランス生活の初日から日常的に必要になりますよ。これ言わずにフランスでは生きていけません。保証します)とつぶやき、荷物をさっさと片付け、 かくして、私のこの夏の「美しき」ヴァカンスは終わりを告げたのであった。さあ、"Au travail !"


セラピーとしてのブログ ― この夏の日本滞在の終わりに

2013-08-19 07:00:00 | 雑感

 今晩、21時55分成田発のエール・フランス277便でパリに戻る。記録的な酷暑をたっぷりと味あわせてくれた我が愛する祖国日本ともまたしばらくお別れだ。帰ったら、その日の朝から片付けていかなくてはならない仕事の山が待っている(おお、時よ、止まれ。遠ざかりゆくヴァカンス、無為のニンフたち、汝らはなぜかくも美しく魅惑的な姿で初夏に訪れ、盛夏の終わりには夢のように儚く消えてゆくのか! 戯言を言ってすみません、連日の猛暑で脳内の血流が沸騰し、思考回路に異常をきたしているのかもしれません……)。
 今夏は、7月6日に帰国、前半は大阪、後半は東京、都合6週間余りの日本滞在だった。大阪に着いたその日の夜に、たった1回ある人にかけた電話によって、脳天に鉄槌を振り下ろされるような精神的打撃を受け、心身ともにその一撃で打ちのめされ、その日以降自分がどうなることか、平静を保っていけるのかどうか、ほんとうにまったく先が見えなかった。滞在先の大学のゲストハウスでは、毎晩近所のスーパーでお弁当や出来合いの惣菜を買って部屋で独り食事をしなければならなかったのも辛かった。近所のスイミングスクールのフリーコースに通えたのがせめてもの救いだった。東京の実家に戻ってからは、連日のように友人・知人に会い、それらの人たちはみな気持よく話のできる気心の知れた人たちなので、精神のバランスも回復し、気持ちも安定した。実家から徒歩1分のところにある母校の中学校の夏休みプール開放に通えたのもありがたかった。おかげで、6月末にパリで会ったばかりの知人が、先週私がちゃんと約束の場所に立っていたにもかかわらず、最初は私と気づかないほどに日焼けしてしまったが。
 このブログのための記事を毎日真剣に書き、更新することによって、それが一種の精神安定剤として機能し、さらには自分の陥っている暗鬱な精神状態から徐々に解放されるセラピー的効果を我が身にもたらしたことを滞在中ずっと実感してきた。私の病める精神のための自己療法としてのブログの効用には、実は、7月6日の帰国以前にすでに気づいていた。たった1つの出来事が引き金となり、私の人生にとって最も大切だった人間関係が突然に崩壊し、それが原因で4月来苦しんできた、特に5月末からひどくなっていた情緒不安定をさらに悪化させずに、表向きは平静な生活を何とか送ることができたのも、6月2日から始めたこのブログで、毎日欠かさず自分の思い・考えを文章化することによってだった。
 しかし、他方では、このブログの習慣化が孕んでいる危険にも気づかないわけにはいかなかった。というのも、今、もしそう呼んでよければ「ブログ依存症」に陥らないことに気をつけねばならぬほどに、ブログの記事を書くことが私の日常の中で大きな位置を占めるに至っているからである。毎日文章を書くこと自体が心の健康を害すると短絡的に言うことはできないだろうが、ブログの記事を書くこと自体が日常生活の中で目的化することには、何か倒錯的なものがあるように私には思われる。少なくとも私自身にとっては、ブログはあくまで自分の日々の思索の場そのものとしての機能に限定されなくてはならない。
 だが、それだけのことならば、他人に見せる必要のない自分のためだけの日記をつければよいではないか。実際、私は日々の出来事の忘備録的な日記はフランス語で毎日つけていて、それはもう10年以上になるが、そこには原則として簡単な事実の記録しか残さず、余程のことがないかぎり、感情を吐露することはない。論文・研究のための覚書は項目・テーマごとにフランス語で書き留めている。では、なぜ、その上、ブログに自分の考えを日本語で書くのか。それは、たとえ実際にはごく小数の方たちの目に触れるに過ぎないにしても、誰にでもアクセスできるというブログの公共性が、自ずと内容に抑制を与え、中傷・罵倒・非難など、誰にとっても無益な攻撃的態度は取らないという他者への配慮と、誰にとっても理解しやすい、できるだけ明晰・判明な表現とを心掛けさせるからである。そして、この日本語による公共性が、普段は遠く離れた日本の方々との目に見えないゆるやかな繋がりを期待させるということももちろんある(この機会に、これまで何度も訪問の足あとを残してくださった方々に、心から御礼申し上げます)。
 シャルル・ド・ゴール空港には20日午前3時50分到着予定。RERの始発に乗ることができれば、6時前後には自宅に着けるだろう。20日の記事からは、またパリからの投稿になる。


歴史の中に自分を〈書き込む〉― 思想史の方法論について(承前)

2013-08-18 07:00:00 | 哲学

 「哲学とは、哲学史である。」パリ第1大学(Université Paris 1 Panthéon-Sorbonne)のある哲学の教授が常日頃講義でこう言っていたと、今日本で九鬼周造についての博士論文を準備中のフランス人学生が私に話してくれたことがある。この端的な表現で教授が言いたかったことは、「哲学を学ぶとは、哲学史の知識を身に付けることに尽きる」ということではないのは明らかである。その真意を忖度して、それを私なりに言い直すと、「哲学を学ぶとは、哲学史の中に自分を〈書き込む〉ことだ」となる。昨日の記事では、「歴史の中に自分を〈書き込む〉」ということを、思想史の方法論という、より一般的な枠組みの中で問題にしたが、今日は、哲学という、より限定された問題場面で、この基本的な方法論的態度について考えてみよう。
 哲学的な問いは、時代と文化圏を超えた普遍的な問いであり、したがって、問題そのものを直に考えればいいのであり、その問題の歴史的背景など知る必要もない、そのような知識はかえって事柄そのものと向き合うことから私たちを逸脱させるだけである、あるいは、そこまで極端なことは言わないにしても、過去についての知識は副次的な重要性しか持たない、というような考え方が一方にある。
 他方には、過去のテキストそのものを対象として、それをいかによりよく正確に理解するか、いかに忠実に著者の意図にそって読解するかということが主たる目的であるような研究態度がある。この場合、そのテキストで扱われている問題そのものについての読解者自身の見解の披瀝は差し控えるべきであり、もしそれに言及するとしても、控え目なし方で、主目的に対して副次的な位置しか与えないようしなくてはならない。
 前者の態度に孕まれた危険は、当人は問題そのものを直に、そのアクチュアルな形において考えているつもりでも、自分たちがそこに置かれた時代状況やそれを規定しているエピステメーあるいはパラダイムに支配されていることに無自覚になり、視野狭窄に陥りやすく、結果として問題を矮小化しがちなことである。自分たちにとっての「今」しか見ないとき、実はその〈今〉さえよく見えてはいないことに当人たちは気づかない。歴史を軽視する者は、遅かれ早かれ、歴史の流れに飲み込まれ、自分を見失う(言うまでもないことだとは思うのだが、念の為に一言補足しておくと、ここで私が言いたいことは、最近のどこかの国の人たちの場違いな政治的アジテーションとは何の関係もない。それは、良識ある方たちには、その国籍を問わず、容易にご理解いただけると思う)。
 後者の態度に孕まれた危険は、逆に、対象と今の自分たちとの関係が隠蔽あるいは忘却され、あたかも〈対象それ自体〉が自分たちとは独立に過去のある時点に存在し、それを自分たちは「客観的に」扱っているかのような錯覚に陥ることであろう。しかし、そのような〈対象それ自体〉は、今の自分たちによって構成された虚構に過ぎず、その虚構を〈実在〉として擬似的に目的化することで、過去と現在の関係についての問いを自ら封印してしまう。
 この両極端な態度は、あたかも仇敵同士のように互いに相手を排除しようとすることが多いが、歴史の中に自分を〈書き込む〉という自覚が欠落しているという点では共通しており、それが問題そのものの生き生きとした把握を困難にしていると私には思われる。
 一旦この身をもって歴史的現実の世界の中に自分を〈書き込んだ〉以上、その歴史の中での自分の立ち位置を、紙の上に鉛筆で描かれたいたずら書きを消しゴムで消すようには、あるいはネット上で個人情報をワン・クリックで消去するようには、簡単に取り消すことはできない。しかし、この歴史的立ち位置の自覚的選択なしには、自らの哲学的探究が生き方そのものになることはないであろう。


歴史の中に自分を〈書き込む〉― 思想史の方法論について

2013-08-17 07:00:00 | 哲学

 昨年来、講義や研究発表などの機会に、思想史の方法論について話すことが多い。それは、一方では、研究方法について自分自身に向かって問いを立てるためであり、他方では、一緒に勉強あるいは研究している大学院生や若い研究者たちに対して方法論についての自覚を促したいという意図からである。
 その際、使用言語がフランス語であれ日本語であれ、私自身の方法論を特徴づける表現として、必ず用いるフランス語の動詞表現がある。それは « s’inscrire » という、ごく日常的に使用される代名動詞である。
 他動詞 « inscrire » の基本義は、「(名前など、何らかの情報を保存するために、本の中あるいはリスト上に)書きとめる、記入する、登録する」ということだが、そこにはさらに原初的な意味として「(石・大理石・金属の上などに)刻み付ける」という具体的身体的所作が含意として込められている。現在の諸用法もこの基本義から生まれてきたものである。現用法の中に見られる、「より一般的あるいは大きな枠組の中に位置づける」という意味も、この基本義と関係づけて理解されるべきであろう。
 この動詞が上記のように代名動詞として使われるとき、例えば、 « s’inscrire à l’Université » と言えば、「(自分自身を)大学に登録する」という意味になり、 « s’inscrire dans le contexte de ~» は、「(人・事物が)~という文脈の中に位置づけられる」ということを意味する。したがって、 « s’inscrire dans l’histoire » と言えば、「歴史の中に己を位置づける」ということになる。
 私はこれをもっと原義に忠実に、「歴史の中に自らを〈書き込む〉(あるいは〈刻み付ける〉)」と訳し、この意味において、この表現を私の思想史の方法論の基本的態度として提示する。そこに私が託す意味の中には、しかし、「歴史に名を残す」などという大それた野心はその欠片も含まれていない。ましてや、山上憶良のかの有名な歌「士やも空しくあるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして」(『万葉集』巻6・978)に込められているような悲壮感さえ漂わせる高邁な志とはまったく関係がない。
 「歴史の中に自らを〈書き込む〉(あるいは〈刻み付ける〉)」という表現によって私が言いたいことは、研究の基点・起点として、まず、「歴史の中での自分の立ち位置を自覚的に測定する」ということである。より正確に言えば、「研究対象が置かれた歴史的文脈と現在の自分の置かれた歴史的状況との、近さと隔たり、連続性と非連続性、同質性、類似性、異質性等を正確に計測し、それらの作業を通じて開かれてくるパースペクティヴの中で、研究対象との生きた歴史的つながりを自覚的に選び取る」ということなのである。この歴史の中での自覚的選択があってこそ、研究対象を「客観的な」対象として分析するだけでなく、それを継承・発展・展開させること、あるいはそれと対決すること、さらにはその対決を通じての生産的批判も可能になってくる。この歴史的立ち位置の自覚的選択なしには、思想史研究は成り立たないとさえ私は考える。このように考えるとき、私は以下に引用する家永三郎の言葉が念頭にある。

「思想史学は、対象がどのような思想を形成したかを究明するだけではなく、どのような思想を欠落させていたかをも究明して、はじめて対象を批判的に考察したことになるのである。史家は対象を追いかけるにとどまらず、史家の主体性に立脚して対象の思想を、思想的に考察するものであらねばならぬ。思想史家はその意味で、自己自らの思想をもつ思想家たることを必須の条件とするのである。」『田辺元の思想史的研究 ― 戦争と哲学者―』(1974)序(『家永三郎集』、岩波書店、第7巻、1998年、4頁)。


受容可能性の哲学 ― 世界に心を身体で〈書き込む〉 ―

2013-08-16 07:00:00 | 哲学

 いよいよ(というのもちょっと大げさですが)、「お盆休み中特別企画」の締めくくりとして、その第3弾を記事として投稿いたします。

 昨日の記事で話題にしたアルザス・欧州日本学研究所での研究集会への参加依頼があったとき、それに応ずるために3つのテーマを主催者に提案した。昨日その要旨を公開したテーマ以外の他の2つのテーマのうちの1つ、「〈主体〉概念の日本における受容史」は、このブログを始めて間もない6月3日の記事で話題にしたパリの「哲学祭」での発表テーマとしてすでに採りあげた。今日の記事では、残りの1つのテーマについての発表要旨(と言っても、今のところ、いつどこで発表するのか決まっていない)を紹介し、これもまた自分のこれからの仕事への促しとしたい。
 この « Une philosophie de la passibilité »(「受容可能性の哲学」あるいは「受苦可能性の哲学」)というテーマが、これまでの、そしてこれからの私の哲学的思索にとって、もっとも重要なテーマであることは、すでに何度かこのブログの他の記事の中でも、明示的あるいは間接的に、述べてきた。この構想は、2003年5月にストラスブール大学に提出した博士論文での結論を出発点としている。それまでの私の仏語での発表論文は、一貫して西田哲学とフランス現象学をテーマとしてきたが、博士論文以後は、発表論文のタイトルの一覧表を見るかぎり、あれこればらばらなテーマについて散発的に研究しているだけのような印象を与えかねないことは自分でもわかっている。しかし、それは、博論の結論から樹状に広がる諸問題をそれぞれが示す方向にさらに深く追求しようとしてのことであり、それら全体を「受容(受苦)可能性の哲学」として包括するのが私の哲学の最終的な全体構想なのである。この構想にとって、西田哲学研究が要の位置にあることは、以下の要旨にもよく表れていると思う。

 本研究は、西田哲学を一つの「受容可能性の哲学」として読むことを試みる。そのために、私たちは西田哲学の2つの根本的かつ独創的な概念である「自覚」と「行為的直観」とから特に着想を得ている。その受容可能性の哲学の構想のための最初の粗描を以下に示す。
 意味は、それを受け入れ、迎え入れることができる身体において、その身体にとって、それとして経験される。そのかぎりにおいて、人間存在はひとつの受容可能的身体である。人間の身体は、この意味で受容可能的であり、その分だけ〈受容可能性〉の現実的な顕現である。この〈受容可能性〉において、そしてそれによって、相異なった時間性が様々な空間において展開されるが、これら諸空間は、その中で働く身体が描き出す種々の構成形態に応じて差異化される。自己身体は、その中で様々な仕方で自らが行動する空間に自らを描き出しながら、意味をその空間に〈書き込む〉。しかしながら、この意味は、自己身体がその中で行動する空間に先立ち、かつ超越するものとして存在するのではない。それどころか、意味は、自己身体が従属するある空間の構成形態と分節として生まれる。この自己身体は、知覚世界がそれに対して、そしてその回りに展開されるところの「配景的中心」である。一言で言えば、意味空間は、そこに自らを〈書き込む〉自己身体と同時に生まれる。


戦争と哲学者 ― 哲学的抵抗とその挫折 ―

2013-08-15 07:00:00 | 哲学

 今日が終戦記念日だから特に上記のテーマを選んだというわけではありません。13日から始まったことになってしまった(って、誰のせいでもありませんが)、このブログの「お盆休み中特別企画」の第2弾の内容がたまたまこの日に「相応しい」テーマだったというまでのことです。でも、このような物言いをしたからといって、今日という日を軽く考えているということではありません。因みに、カトリック世界では、8月15日は聖母被昇天祭。ヴァカンスのまっただ中の国民の祝日。

 このテーマについて、来月末、アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)で開かれるストラスブール大・京大共催の研究集会で発表することになっている。その日本語の発表原稿を9月8日までにストラスブール大側の集会責任者に送らなくてはならないのだが、まだ1行も書いてない……。しかも、恐ろしいことに(と言ったって、何ヶ月も前からわかっていたことだから、これもまた誰のせいでもないが)、昨年よりさらに1週間前倒しされたせいで、9月2日が大学新学年仕事始めなのだ(とうとう小・中・高と同じレベルになってしまった……)。その上、8月20日まで(って後5日しかないじゃないですか!)に仕上げなくてはならない仏語原稿が2つある(もうこれは月末まで締め切りを延ばしてもらうしかない)。どうしていつもこういうことになるのか。我ながら情けない。記録的な酷暑のせいにしても、誰も同情はしてくれないのである(当然です)。すべての原稿を書き始めるのはパリの自宅に戻ってからにするとして(つまり、差し迫る仕事の山から卑怯にも目を背けて)、5月前半に早々に日仏両語で書いておいた発表要旨(そこまでは調子よかったのに…)の日本語版だけをここに掲載し、自虐的に自分を精神的に追い詰めておくことにする。

 歴史教科書の国家による検閲に反対する32年に渡る民事訴訟「家永教科書裁判」と戦争責任論によって、国際的にもよく知られた家永三郎(1913-2002)は、フランスではその思想史家としての大きな業績についてはまだほとんど知られていない。この分野での家永の大きな仕事の1つに『田辺元の思想史的研究 戦争と哲学者』(1974)がある。田辺は、戦後、戦時下の日本帝国主義体制の理論的協力者として、拙速かつ表面的な仕方で批判されたが、家永は、田辺哲学の展開を、いつものように文献学的厳密さを保ちつつ丹念に追いながら、宗教的信仰と社会的実践とを弁証法的に統一しようとする理論的努力の中に田辺哲学の問いかけの真正性を認める。家永による田辺哲学のこの誠実な理論的復元は、しかしながら、まさにこの厳密に構成された哲学の只中に、哲学者が戦時中の超国家主義的支配体制に対して理論的な距離を保つことを妨げた一つの問題性がないのか、と私たち自身が自ら問うことなしにすませることを許してはくれない。家永の田辺解釈に対する態度を決定した上で、私たちは最後に次のように問うだろう。哲学者自らもまた一〈主体〉として国家に従属せざるをえないとすれば、その国家に対して、どのような条件において、いかなる仕方で、どこまで哲学的抵抗は可能なのか。


テキストの地層学序説(承前)

2013-08-14 07:00:00 | 哲学

12日深夜に車で東京を出発して、山中湖を見下ろす高台にある知人の別荘に遊びに行き、そこで2日間にわたって、経営学の大学教授である知人、哲学科学部4年生で卒論準備中のその子息、そしてその哲学科の助手の3人と、初日は暁方まで、2日目は午前2時半まで、実に様々な話題について議論、歓談、雑談して、これからの私の研究の方向性についていろいろと刺激を受けて先ほど東京の実家に戻ってきた。

 昨日の記事で予告したように、今日の記事は、「テキストの地層学序説」の発表プランの簡略版を公開します。


予備的考察 ー 事実の順序に従って ー


 1/ 京都学派の系譜の中で

 2/ 禅仏教から見られたマイスター・エックハルト

 3/ ストラスブール ー ライン河流域神秘主義の中心都市

 4/ 複雑な集合体としてのエックハルトのテキスト群と中世ヨーロッパの歴史・政治・文化的文脈

 5/ 方法論的問題


エックハルトをめぐる問題群 ー 理由の順序に従って ー


I. 方法論の問題 ー それぞれに異なった言語ゲームに属した多元的なテキストの集合体を適切な順序に従って読むための方法

 1/ 複雑なテキスト集合体を前にして

  a. 集合体の図式的区分:哲学/宗教・神学/神秘主義

  b. 言語的二極性:ラテン語(学問・学識・普遍性)⇔ 中高ドイツ語(現地語・民衆・宗教的教化)

  c. 機能的二重性・不可分性:「学匠」Lesemeister と「生の達者」 Lebemeister

  d. 認識と経験の二重性:神の認識と神の経験

  e. 言語活動の種的多様性

 2/ 根源的経験への様々な哲学的アプローチの試み

  a. 脱構築的考古学

  b. 自己批判的系譜学

  c. テキストの地層学

  d. テキストの地図作成法

  e. 言説の位相学

  f. 否定的言語

  g. 治療的実践

 3/ 独仏のエックハルト研究の現在

  a. 神秘性

  b. 思弁性

  c. 哲学的要素

  d. 形而上学性

  e. 神学的体系性

 4/ 説教 ー 1つの言語ゲーム

  a. ラテン語説教

  b. ドイツ語説教

  c. 文献学的真正性

  d. 説教という言説の固有性

  e. エックハルト的精神性

II. 予備的研究:テキストを位置づける

 1/ 文献学的諸問題

 2/ 歴史的文脈

 3/ 言説の諸志向性

 4/ 聴衆あるいは読者

III. エックハルト・ドイツ語説教86の上田閑照による解釈をめぐって

 1/ ドイツ語説教86

  a. ルカによる福音書第10章38節-42節

  b. 説教86の複雑な構成

  c. 上田閑照の解釈

 2/エックハルトの根本的テーゼ ー上田閑照の解釈に従って ー

  a. 「魂における神の子の誕生」

  b. 「離脱 (abegescheindenheit)」

  c. 「神性への突破 (durchbrechen)」

  d. 「真人」

 3/ 絶対無へと方向付けられた読み方への疑問

  a. 歴史的文脈 ―「自由聖霊派」との戦い

  b. ラテン語著作

  c. 神性の無 ― 三一性の彼方へ

 4/ エックハルトにおける無の概念の多義性

  a. 神的無

  b. 被造物的無

  c. 非在としての無 ― 純粋知性

  d. 神の魂における誕生へと至る1階梯としての無

  e. 離脱としての無

 5/ 比較宗教的あるいはメタ宗教的なアプローチの陥穽

  a. 比較論:共通性の捏造

  b. 間宗教的対話:擬似的類似性

  c. 接近: 差異・限界の曖昧化

  d. 共時的構造化:普遍主義の危険

結論 ー 言語活動における語りえぬものの現前


テキストの地層学序説

2013-08-13 07:00:00 | 哲学

 今日から16日までの4日間、お盆休み中特別企画として(って誰が決めたのでしょう?)、これまでとこれからの私の研究発表の中から、そのいくつかについて要旨あるいはプランを紹介させていただきます。

 「テキストの地層学序説」というタイトルで、パリではフランス語で一昨年、東京では日本語で昨年、それぞれ1回ずつ発表したことがある。副題を「上田閑照によるエックハルトのドイツ語説教86解釈をめぐる問題群を手がかりにして」として、発表の主要部分は上田解釈の批判的検討という形を取った。しかし、その背景となっている基本的な問いは、以下の発表要旨を読めばわかるように、非常に大きな問題である。

 あるテキストを哲学のテキストとして他種のテキスト群から区別して読むことは、1人の哲学者においてさえも必ずしも容易な作業ではないことがある。ましてや、その著作家が哲学者ではない場合、たとえその著述の一部分にだけ適用されるという限定付きであれ、そのような読解方法そのものがまずは批判的検討の対象とならなくてはならない。そこで最初に問われるのは、なぜそのテキストを哲学のテキストとして読むことができるのか、という問いである。
 この問いが先鋭化された形で今もなおその専門家たちによって問われ続けている思想家の1人が、中世最大のキリスト教神秘主義者と言われるマイスター・エックハルトである。それら専門家たちによるエックハルトのテキスト群の様々な解釈は、それぞれの哲学的あるいは非哲学的あるいは反哲学的な方法論の適用の結果にほかならない。時には相反するそれらの解釈を比較検討することによって、私たちは、哲学的テキストの解釈のための、より一般的な方法論をそこから引き出すことができるだろう。

 この方向での私の研究はまだ緒についたばかりなので、まだその要点を簡潔明瞭に示せるところまで考えが熟していないが、明日の記事では、当時の発表プランに若干の訂正を加え簡略化したものを掲げて、今後の展開の出発点としたい。