内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

テキストの地層学と精神史的アプローチ(1)

2016-06-29 14:48:25 | 哲学

 先週の三泊四日の日本滞在中は、プログラムに朝から晩まで参加したので時差ぼけになっている暇もなかったが、こちらに帰って来て、休む間もなく仕事に戻って、その時点ではあまり疲れを感じなかったが、今日はなんとなく体がだるい。昨日の朝も今朝も泳ぎに行ったが、今朝のほうが体が重く感じられ、全然水に乗れなかった。
 日曜日の和辻哲郎ワークショップでの発表は、発表時間が20分と短かったので、用意していった原稿をただ読んだのでは最後まで読み上げることさえできそうもなかったので、結論以外は、原稿の要点を取り出したパワーポイントを見せながら、即興を交えながらの駆け足での発表になってしまった。ただ、発表者二人ないし三人で一つのパネルが組まれ、パネルごとに議論の時間を一時間取るという、通常の研究発表では考えられない「贅沢な」プログラムだったおかげで、その議論の時間に出された質問に答えることでかなり発表内容を補うことができたのは幸いであった。

 この発表原稿は、日本語ではどこにも発表される予定がないので、このブログに今日から四回に分けて載せておくことにする。ただし、本文と同量に近い脚注は、本文の内容を補足するか参考文献からの引用がほとんどなので、これらはすべて省略する。
 まずタイトルと目次。

テキストの地層学と精神史的アプローチ
― 将来の倫理学のための方法序説 ―

1 一九二〇年代の文献学的転回
 ―『ホメーロス批判』「序言」を手掛かりにして

2 テキストの生成過程の内在的解析
 ―『源氏物語』テキスト群の非連続性の理由を問う

3 時代精神の抽出方法
 ― 本居宣長「もののあはれ」論批判を通じて

4 精神史研究に内包された倫理学の方法序説
 ― 将来の倫理学のためのプロレゴメナ

 第一章は、手掛かりとするテキストとそこから引き出しうると考えられる仮説、その仮説を実証するするために取り上げるテキストの提示である。手掛かりとする和辻のテキストは、『ホメーロス批判』(1946)の「序言」であるが、これはここに引用するにはちょっと長すぎるので省略する。発表の際も、「序言」のコピーを会場で配ってもらい、読み上げることはしなかった。

1 ― 一九二〇年代の文献学的転回 ―『ホメーロス批判』「序言」を手掛かりにして

 本発表は、和辻が昭和二十一年に刊行した『ホメーロス批判』の「序言」から、1920年代に和辻の文化研究において起こった方法論的転回について一つの仮説を立てることから出発します。
 この「序言」は、1920年代に発表された諸論文・諸著作において和辻が実践しようと試みた方法的探究の内実とその方向性について、私たちにいくつかの示唆を与えてくれます。本発表では、特に次の二点を指摘したいと思います。
 第一に、和辻が当時学んでいたヨーロッパの古典フィロロギーは、ドイツのヴィラモーヴィッツ=メレンドルフと英国のギルバート・マレーのそれだったわけですが、前者がニーチェの『悲劇の誕生』の激烈な批判者だったことです。その哲学的処女作が『ニーチェ研究』であった和辻が、ニーチェの不倶戴天の敵とも言えるヴィラモーヴィッツの古典文献学に学び、その方法に基づいて自身の当時の研究を方向づけたということは、自らの哲学の出発点にあった「ニーチェ的なもの」に対する和辻の自己批判という意味をもっていたのではないでしょうか。
 第二に、当時の和辻は、自身の研究方法におけるフィロロジカルな転回のもたらすであろう方法論的帰結について十分には自覚できていなかったということです。より詳しく言えば、文化研究においてフィロロギーにその基礎を置くことは、フィロソフィーに背を向けることではなく、むしろその基礎づけのために不可欠な作業だというところまでは当時すでに和辻は自覚していたことがこの「序言」を読むとわかるわけですが、その作業が後に倫理学の体系的思索に見られる解釈学的現象学的態度へと繋がっていくことまでは当時はまだまったく予感さえされていなかったということです。
 以上から、本発表で私たちは次のような仮説を立てます。それは、1920年代の和辻の諸論文・諸著作の中に、本人にも十分には自覚されない仕方で、ヨーロッパ古典文献学に基づいたテキスト研究(それを和辻は「文学」と呼びます)から後年の独自の倫理学構築へと至るための一つの方法序説が準備されつつあった、ということです。
 もちろん、1927年に刊行されたばかりのハイデガーの『存在と時間』をちょうど留学中のドイツで読んだときに受けた衝撃がなければ、解釈学的現象学的態度を身につけることもなく、後の和辻倫理学も生まれることはなかったとは言わなくてはならないでしょう。しかし、それでもなお、和辻倫理学の一つの暗黙の方法序説は、『存在と時間』との出会い以前にすでに用意されつつあったという仮説は維持できるだろうというのが本発表の明らかにしたいことです。
 以下、この仮説を具体例に基いて実証するために、1926年に刊行された『日本精神史研究』に輯録されている、相互に密接に関連した二つの論文、「『源氏物語』について」(初出1922年12月)、「「もののあはれ」について」(初出1922年10月)を考察対象とし 、そこで和辻が実際に適用している文献学的方法を抽出することを試みます。


































































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