内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(四)

2014-05-30 00:00:00 | 哲学

1. 2 出来事としての生命(1)

 最後期西田の生命論について特筆すべきことは、機械論と生気論と間の対立を乗り越えて、「第三の道」を見出したことである。機械論は、生命活動を、すべての物理化学的現象と同様に、物質的メカニズムへと還元する。生気論は、生命過程を物理化学的諸現象から截然と区別し、物理化学的環境から独立した自律的要素にのみ生命としての価値を与える。ところが、機械論と生気論とは、生命現象は何らかの自己同一的な実体に基づいているという前提を共有しており、その結果として、生命現象固有の流動性と創造性をそれとして現実的に把握することができないという共通の弱点を有っている。生命は物質的基礎なしにあり得ないとしても、そのことは物質的基礎が必要条件であるということを意味しているだけで、その他の物理化学的諸現象のように、生命が何らかの物質の運動に完全に還元されてしまうということを意味しているわけではない。ホールデーンの有機体論は、機械論も生気論も乗り越えることができなかった上記の理論的困難を克服するための第三の道を見出すための出発点を西田に与えたのである(全集第十巻二三三頁参照)。西田は、ホールデーンの有機体論に依拠しながら、有機体の内的環境と外的環境との間に維持される「個性的全体」という動的平衡関係こそが生命だと考える。
 生命をそれとして成り立たせているものは、生命現象を構成する物質的要素そのものではなく、それら要素を一つの全体として形作る形成原理である。その限りにおいて、西田の言う「形」とは、物質に一定の秩序を与える作用そのものであり、秩序の形成をもたらす「情報」(information)にほかならない。この « information » というフランス語が、 動詞 « informer »から派生した名詞であり、この動詞の原義が「形を与える」であることをここで思い出すことは、西田の〈形〉の生命論のより深い理解のために無駄ではない。生命体は、自律的なシステムとして一連の情報を自ら産出する個体として環境においてそれとして分節化される。これらの情報によって形成される動的平衡というダイナミックな秩序が生命にほかならない。このような生命観が開くパースペクティヴにおいて、西田は、一個の生命体が絶えず情報を産出しながら一つの形を維持する活動を、「形が形自身を限定する」と規定しているのである。

私は絶対現在の自己限定として、形が形自身を限定する世界は、無限なる生滅の世界であると云つた、物質的世界も之に他ならないと云つた。生命に於て世界はその矛盾的自己同一形を現し来るのである。世界は生命に於て自覚すると云つてよい(全集第十巻四四頁)。

 〈形〉は、「無限なる生滅の世界」つまり恒常的変化のうちにある世界において、時間・空間的に限界づけられた現実存在形態である。情報によって形成された生命の秩序は、熱力学のエントロピーの法則によって、常に必然的に解体へと向かっている。生命は、この自然の解体原理に抗して一つの形を維持することそのことである。生命は、それゆえ、時間・空間的に限界づけられた同定可能な一つの形として存在し、自己解体と自己形成という相対立する作用の協働から発生する。一般的に、生命は、継起的に生起する形の生成と生滅を恒常的に繰り返すことを通じて、ある形を維持することからなっている。個々の形同士は非連続である。しかし、まさに自己形成と自己解体とを無限に繰り返す種々の形の非連続性を通じて、生命は己の自己同一性を維持している。この生命の根本的現実こそ、西田が「矛盾的自己同一」と呼ぶところのものにほかならない。この生命の「矛盾的自己同一」とは、異なった複数の種への差異化、さらには個別的な無数の個体への差異化によってのみ維持されうる、常に解体の危機に晒されている動的自己同一性のことである。












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