内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(五)

2014-05-31 00:00:00 | 哲学

1. 2 出来事としての生命(2)

 形とは、情報によって形成された秩序であるとすれば、この情報は、混沌からある一定の秩序を形成するための選択の規則として差異化作用を実行する一連の命令であると定義できるだろう。形を維持するためには、秩序を混沌へと引き戻す自然の傾きに抵抗しなくてはならない。自己形成的な生命においては、葛藤と競合は片時も止む時がない。だからこそ、生命は恒常的に対立と矛盾をうちに含んでいる。対立と矛盾が新たな差異化をもたらすからこそ、形は維持され得る。つまり、絶えず自己差異化作用を実行し続けるかぎりにおいて、形は自己同一性を維持する。これがまさに自己否定を通じての自己保存である。
 「生命の矛盾といふのは、自己を否定することなくして、自己を否定するものを否定することができないと云ふことである」(全集第八巻七五頁)と西田が書くとき、「自己を否定するもの」とは、物あるいは物質、つまり、生命の内に含まれた矛盾的要素である死の契機を指している。 「生命は外に環境を有つと共に内に環境を有つのである(ホルデーンの云ふ如く)。故に生命は否定を含む、生命は死を含むとも考へられる」(同巻一八九頁)。
 「生命は到る所に自己矛盾である」(同巻七七頁)と言うとき、西田は、私たちの生命において絶えず生じ続けている事実、つまり、生と死、健康と病気などの相対立する契機を内に含みながら、生命体が形として己自身を維持しているという事実を指し示そうとしている。「生命は生産が消費であり消費が生産であり、消費と生産との矛盾的自己同一にあるのである」(同巻二〇五頁)。西田の生命論において、矛盾的自己同一とは、生命が己の内に相矛盾する契機を内包しながら自己同一性を確保するために維持する動的平衡のことである。しかも、この動的平衡は、現在する自己に常に内在する矛盾を解決するために、或る形から別の或る形へと、或る差異から別の差異へと、自己を否定し続けることによってはじめて保持される。
 或る形から別のある形への移行は、実体の属性の変化ではなく、物質の質的変化でもない。生命の世界には、自己同一性の基礎になるような同一の基体や物質はない。形は、自己同一的な基体という基礎なしに、矛盾的自己同一性の現実的形態として変容し続ける。生物学的知見から打ち出したこのテーゼを、西田は、物理現象一般にまで拡張して適用しようとする。












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