内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

個体が在ることそのことの内に個体の意味はある ― ジルベール・シモンドンを読む(55)

2016-04-15 05:34:03 | 哲学

 昨日の記事の最後の段落で述べたような仕方で「形」の立ち現われを理解するとき、「どのようにして形は形に成るのか」という問いがその根本問題になります。この根本問題は、「或る形はどうしてその形として認識されるのか」、「その形はどのようにして他の形との関係に入り、それを維持するのか」、「形の意味はなぜどのようにして生まれ、そして変容するのか」等の問いへと分化・展開されます。
 つまり、「形」(« forme »)をめぐる問題は、「形成」(« information »)の問題に他なりません(« information » を「形成」と訳す理由については、一昨日の記事で説明しました)。この「形成」問題が、一定の基礎単位を前提とした情報生成伝達理論の問題とは別問題だということは、もう縷説するまでもないでしょう。
 個体は必ず形を有しています。形のない個体というものはありません。逆に、個体化されていない形というものもありません。形ある生きた個体とは、恒常的に動的な「形成」過程の一齣ですから、非時間的あるいは形而上学的な自己同一的実体とは無縁であり、つねに同一の価値を持った単位に還元されうる情報の集合体でもありません。
 ここで、私自身の関心に基づいた付随的なコメントを挿入します。
 生きている個体は、つねに「形成」過程にあり、すっかり出来上がってしまって固定された物に成ることは決してありませんから、それをあたかもそのような「固体」として取り扱うことは、生きている個体に対して本質的に不当な態度だということになります。これは、生きている個体としての自分自身に対する態度についてもそのまま妥当します。したがって、個体化理論はそれ固有の倫理学的要素を必然的に内含していると言うことができます。
 個体化理論の倫理的含意を展開するというこの問題は、私自身にとっては、この夏の集中講義のテーマ「技術・身体・倫理」に直接関わるだけでなく、主要な哲学的課題の一つですが、ここでの主題からは外れますので、これ以上それについての言及はいたしません。
 さて、この準安定的・動的平衡状態にある生きている個体の意味・価値は、どこにそれを探さなければならないのでしょうか。この問いに対するシモンドンの答えははっきりしています。生きている個体の意味・価値は、その生きている個体が在ることそのこととその在り方の中に探さなければなりません。個体がそのようにして在ることそのことに個体の意味・価値が内在していることを個体化作用そのものの中に探求すること、その意味・価値を私たちの眼から覆い隠してしまう既存の概念の替わりに、その探究に適した諸概念を組織的に導入することによって新しい哲学的思考システムを構築すること、これこそシモンドンの哲学探究の核心です。






















































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