内的自己対話-川の畔のささめごと

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蝸牛的遅読の成果、恵まれた収穫を天に感謝する農夫の気持ち ― ジルベール・シモンドンを読む(56)

2016-04-16 05:26:01 | 哲学

 二月末から数回の休息を挟みながらも延々と蝸牛ペース(あるいはそれにさえ劣っていたかも)で続けてきた L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information(=ILFI)の「序論」の読解も最後の一段落を残すのみとなりました。
 小さな活字で各頁五十行近くぎっしりと小見出し一つなく文章が組まれているとはいえ、たった十四頁読むのにこれだけ時間が掛かった頭脳の遅鈍さには我ながら呆れ果てるほかはありませんが、後悔はしておりません。このような超低速の遅読によってしか私には得られなかったであろう理解とその理解に応じて見えてきた世界の「景色」とに喜びと満足とを感じているからです。掛けた時間に見合うだけの収穫を恵まれたことを天に感謝する農夫の気持ちに少し似ているかも知れません。
 さあ、それでは最後の段落を読んでいきましょう。

Ainsi, une étude de l’individuation peut tendre vers une réforme des notions philosophiques fondamentales, car il est possible de considérer l’individuation comme ce qui, de l’être, doit être connu en premier. Avant même de se demander comment il est légitime ou non légitime de porter des jugements sur les êtres, on peut considérer que l’être se dit en deux sens : en un premier sens, fondamental, l’être est en tant qu’il est ; mais en un second sens, toujours superposé au premier dans la théorie logique, l’être est l’être en tant qu’il est individué.

かくして、一つの個体化研究が根本的な哲学的諸概念のある改革を目指すこともできる。なぜなら、個体化を存在についてまず初めに知られなければならないことと見なすことができるからである。諸存在について様々な判断を下すことの正当性あるいは非正当性如何について問う前にさえ、存在は以下の二つの意味で語られると考えることができる。第一の意味では、それは根本的な意味でということだが、存在は在る限りにおいて在る。しかし、第二の意味では、それは論理に関する理論においてはつねに第一の意味に重なり合っているが、存在は個体化される限りにおいて存在である。

 個体化研究は、存在についての特殊研究ではなく、根本的な一般存在論を目指しているのです。

S’il était vrai que la logique ne porte sur les énonciations ralatives à l’être qu’après individuation, une théorie de l’être antérieure à toute logique devrait être instituée ; cette théorie pourrait servir de fondement à la logique, car rien ne prouve d’avance que l’être soit individué d’une seule manière possible ; si plusieurs types d’individuation existaient, plusieurs logiques devraient aussi exister, chacune correspondant à un type défini d’individuation.

論理が存在に関する諸言明を対象とするのは個体化以後に限られているということが正しいとしたら、あらゆる論理に先行する存在理論が確立されなければならないはずである。この理論は、論理に対して基礎の役割を果たすであろう。なぜなら、存在がただ一つの可能な仕方で個体化されるということを予め証明するものは何もないからである。もし複数のタイプの個体化が存在したとすれば、個体化の或る限定されたタイプにそれぞれ対応する複数の論理もまた存在しなければならないはずである。

 私たちがすでに受け入れているいずれの論理も、あるタイプの個体化を暗黙の裡に前提して構成されているとすれば、その論理に従うかぎり、その個体化以前の〈原存在〉にまで遡行することができません。個体化理論は、個体化の結果として成立した諸個体及びその間の諸関係とそれらを支配する論理だけを研究対象にする個体理論ではなく、なによりもまず、「あらゆる論理に先行する存在理論」なのです。論理の生成過程をもその存在論的考察対象としている〈原存在〉論、それが個体化理論なのです。



















































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