内的自己対話-川の畔のささめごと

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主体的な不安のゆくえ ― 三木清「シェストフ的不安について」を手掛かりに

2017-02-22 21:37:47 | 哲学

 1933年以降に日本の知識人たちに目立った影響を及ぼした翻訳の一つとして、1934年に出版されたシェストフ『悲劇の哲学』河上徹太郎訳を挙げることができるだろう。ロシア語原書単行本初版は1903年にロシアで出版されている(その前年に『芸術世界』誌上に六回に渡って連載されたのが初出)。河上が訳したのは、その原書ではなく、1926年刊行の仏訳, La philosophie de la tragédie. Dostoïevski et Nietzsche (traduit par Boris de Schoezer, Éditions de la Pléiade) だと思われる(この仏訳は、その新装版が2012年に Romona Fotiade による序論と注、George Steiner による後書きを伴って、Le Bruit du temps という出版社から出版されている)。
 本訳書の出版をきっかけとして、このロシアの異能の哲学者について、シェストフ・ブームと呼ばれうるような非常な関心の高まりが日本の知識人たちの間に巻き起こった。『三木清全集』第11巻の桝田啓三郎の「後記」によれば、「文壇および論壇において不安の問題をめぐって「シェストフ論争」として知られるものがもちあがった」(490頁)。
 三木清がこの論争のさなかに書いた論文「シェストフ的不安について」は、『改造』1934年9月号に掲載され、後に『学問と人生』(1942年)に収録されている。この論文の中で、三木は、当時のシェストフへの関心が単なる「不安な流行」を日本社会に作り出すだけに終わる危険がありはしないかとの懸念を示している。
 ここで注目したいのは、その文脈の中で、「主體的」という言葉が特徴的な使われ方をしていることである。

不安な流行、不安な好奇心の機能は、我々を日常的なもののうちに埋れさせ[...]、我々自身の主體的な不安から目をそむけさせることにある。(全集第11巻、394頁)

 三木が言う「主體的な不安」とはどのような不安なのだろうか。この問いに対する答えは同論文の終わりの方に見出すことができる。

 ところで人間がエクセントリックであるといふこと、その客體的な存在的中心から離れるといふことは、人間が主體的にその存在論的中心ともいふべきものを定立しなければならぬといふこと、またこれを定立する自由を有するといふことを意味してゐる。彼が周圍の社會と調和して生活してゐる間はその必要は感じられないであらう。なぜならそのとき彼が主體的に定立すべき存在論的中心は世界における彼の存在的中心に相應していはば自然的に定められてゐるからである。このやうな場合人間はエクセントリックでない。彼の生活は平衡と調和を有し、死の不安も顯はになることがない。これに反して彼自身と周圍の社會との間に矛盾が感じられるとき、彼の右の如き自然的な中心は失われ、不安は彼のものとなる。かくして不安が社會的に規定される方面のあることは明かである。この不安において彼が主體的に自己の立つてゐるところを自覚するとき、彼がもと無の上に立たされてゐることが顯はになる。中心は如何にして新たに限定され得るであろうか。(405頁)

 己自身の個としての存在の無根拠さが顕となり、それが自覚され、それを己自身によって引き受けざるを得ないときに生ずる存在論的不安、それが主体的な不安である。この考えがシェストフ解釈として妥当かどうかは、しかし、ここでの問題ではない。「主体」という概念を日本の哲学界に導入した三木が、どのような意味でそれを使っていたかがここでの私の関心なのだ。なぜなら、この概念の三木固有の使い方の中にこそ、三木の哲学的立場を京都学派の他の哲学者たちのそれから截然と区別する哲学的要素を見出すことができるからである。













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