内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

休暇であって休暇でない非常時の日常、迅速・的確・柔軟な判断と対応が日々求められる

2020-04-21 12:21:53 | 哲学

 先週土曜日から一週間の復活祭の休暇に入ったのだが、昨日「日本の文明と文化」の今年度最終講義の録音を行い、すぐに大学のサイトにアップした。四部構成でそれぞれ別々にアップしたが、総計三時間になった(休暇中にじっくり聴きたまえ学生諸君)。火曜日と木曜日の残りの講義はパワーポイントと文章化した講義を大学のサイトにアップすることで終えた。それぞれまだ課題提出が残っており、特に、「近現代日本文学」の方は、四十名近い学生たちそれぞれに別々のテーマを選ばせ、それについてのレポート提出を義務づけており、それとは別に指定された作家たちの中から一作品を選び、その読書ノートを提出することも評価材料にするので、まだ仕事が終わったわけではない。どちらも五月七日が締切りだ。大学閉鎖前に実施した中間試験の採点もまだ終わっていない。その採点と並行して、六百通を超える来年度入学志望者の願書にも目を通し、順位づけを行わなくてはならない。つまり、休暇などないのである。
 休暇を潰してまで(もちろん学生たちの暗黙の同意は得た上でのことだが)講義を早めに終えたのは、五月以降の雑務に備えてのことだ。私自身の三つの講義についてはもう試験は行わないことにしたが、学科の他の科目の多くは五月上旬に試験を行う。すべてオンラインで行われるが、みな初めてのことであり、不測のアクシデントが発生しないとも限らない。それに備えて自分の身を軽くしておきたいのである。六月半ばには追試も行われるが、その準備も五月中に完了させておく必要がある。多くのことを試運転・実験期間なしにぶっつけ本番で行わなくてはならないが、それはどこも同じであり、今はそれについて文句を言っているときではない。
 不確定要素が確かな見通しを立てることを妨げている流動的な状況に応じて、その都度、迅速・的確・柔軟な判断とそれに基づいた対応が求められる。できないことはできない。無理は理性の欠如だ。緊張を強いられ、ストレスも溜まりやすく、感情のコントロールも容易ではない条件下、それらの悪条件が引き起こしうる心理的悪影響を明確に計量し、精神のバランスを保ちつつ、ポスト・コロナの世界への展望を開く。これだけ難度の高い「ゲーム」には一生のうちにそう何度も出遭えないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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