内的自己対話-川の畔のささめごと

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樹木の哲学(一)― 地球上の諸存在の共生の可能的形態を探究する哲学

2020-10-26 10:43:06 | 哲学

 「世界樹」という神話的世界像は世界各地の古代神話に見られる。世界は、一つの巨大な樹であり、天上界・地上界・地下世界はその樹の部分として互いに繋がっているというのがその基本的なイメージである。巨大な樹木に人間的次元を超越する神聖性を感じたことが世界樹神話を古代人に創出させたのだろう。
 樹木に対するこの神話的感性を喪失した近代人は、樹木の神聖性をもはやほとんど感じることができなくなってしまった。しかし、樹木の「形而上性」までもがすっかり見失われてしまったわけではない。詩人や作家や画家たちは、樹木への崇敬の念を忘れたわけではなかったし、樹木は彼らの芸術的想像力の源泉であり続けた。
 樹木は、つねに沈黙のうちに佇みながら、近代における人間中心的世界像の根本的な見直しを私たちにずっと促し続けてきた。樹木の驚異的な生態を明らかにしつつある現代の科学者たちは、その根本的な見直しの緊急の必要性を訴えている。
 近現代の哲学者たちの中にも、樹木が近代的な思考の枠組みを根本から問い直す存在様態であることに気づいていた人たちがいる。例えば、バシュラールは、万物を構成する地水火風すべてを統合しているものとしての樹木の形而上性を敏感に感じ取っていた。それは、しかし、樹木を形而上的なものの象徴として捉えるということではない。樹木そのものの形而上性に彼は気づいていた。
 樹木は、太古から、太陽の光エネルギーを光合成によって受容し、地上の万物の構成要素である地水火風を繋ぎ合わせ、それらを共存させ、世界を支え、世界が自らの内に新しい形を生み出すための場所と媒介を無償で贈与し続けてきた。
 樹木の哲学は、樹木を隠喩として用いて、概念を操ることではない。人類の生態とも動物たちの生態とも異なる樹木の生態を思考の生ける範型として、地球上の諸存在の共生の可能的形態を探究する哲学である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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