内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「わたしは踊るときは踊るし、眠るときは眠る」― 『エセー』第三巻第十三章「経験について」より

2023-05-22 13:41:17 | 読游摘録

 昨日あたりからようやく初夏らしい天気がやって来てくれた。それまではジョギング・ウエア上下も冬場と変わらずほとんど長袖とタイツで、朝方まだ寒い時間帯に走るときなどは、さらにジャケットを着ていた。それがようやく半袖・ショートパンツで走れるようになった。耳が冷えないようにと頭に被っていた毛糸のボネも必要なくなり、強い日差しを避けるキャップや汗が目に流れ込まないようにするヘアバンドがそれに取って代わった。身が引き締まる寒さの中を走るのも、それはそれで気持ちがいい。が、太陽の暖かみを肌に感じ、爽やかな風の中、流れる汗をハンドタオルで拭きながら走るのは、やはり格別な気持ちよさを恵んでくれる。
 モンテーニュの『エセー』を論じる諸家がこぞって引用する第三巻第十三章「経験について」の次の美しい一節がふと思い合わされた。

Quand je danse, je danse : quand je dors, je dors. Voire, et quand je me promène solitairement en un beau verger, si mes pensées se sont entretenues des occurrences étrangères quelque partie du temps : quelque autre partie, je les ramène à la promenade, au verger, à la douceur de cette solitude, et à moi. Nature a maternellement respecté cela, que les actions qu’elle nous a enjointes pour notre besoin, nous fussent aussi voluptueuses. Et nous y convie, non seulement par la raison, mais aussi par l’appétit : c’est injustice de corrompre ses règles.

わたしは踊るときは踊るし、眠るときは眠る。いや、ひとりで美しい果樹園なんかを散策しているときだって、ふと上の空になって、別のことに気をとられたりする時間もあるけれど、それ以外は、わが思考を、この散策に、果樹園に、ひとりでいることの幸福に、そしてわたし自身に連れもどしている。自然は、われわれに必要だとして、さまざまな行為を命じると、それが快楽にみちたものであるようにと、まるで母親のように、しっかり見守ってくれている。そして、理性だけではなく、欲望によって、われわれをそうした行為へのいざなうのであるから、こうした自然の定めにそむくのはまちがっている。(宮下志朗訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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