内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

歴史・文学・思想 ― 日本学科で教えていること

2016-12-25 18:49:10 | 雑感

 今日はクリスマスですねぇ。でも、昨日同様、それとはな~んのカンケイもないお話をいたします。ただ、昨日の話題とはちゃんと繋がりがあります。
 勤務先のストラスブール大学言語学部日本学科(もう日本学学科なんて言いませんよ、私は)の学部の授業では、自分の専門ではないどころか、それとは非常に隔たった分野を担当しなくてはならないことがしばしばあります。これは、私だけのことではなく、同僚すべてについて言えることです。修士の演習では、それぞれの教員が自分の専門分野に即した演習をもつことができます。
 弊学科では、学部必修科目が歴史と文学とに極端に偏っています(因みに、私はこの化石のようなカリキュラムを大胆に改変すべきだと思っております。私が学科長在任中にカリキュラム改変があるので、その機会にそれは実行されます)。歴史は、古代史(縄文・弥生から奈良時代まで)、平安時代、中世史、近世史がそれぞれ一セメスター、近代史が通年。文学史の方は、上代、中古、中世、近世、近・現代、それぞれ一セメスター。これらが学部二年と三年に配分されているのです。ところが、教員の方は、皆が歴史や文学の専門家ではありません。だから、仕方なしに、皆で分担してそれらの分野をカヴァーしているのです。
 授業のレベルは、日本の高校程度ですから、それほど専門性の高い内容にする必要はないわけですが、やはりちゃんとそれぞれの分野を専門に研究している先生が語る内容と、自分の専門外について語らざるを得ない教員が話す内容とでは、自ずと中身の濃さや深みに違いが出てしまうのはやむをえないところです(私はこれを学生たちにとって大変申し訳ないことだと思っています)。
 私自身の例で言えば、赴任一年目は、文学史を上代から近世まで独りで担当しました(それプラス古代史)。むか~しむか~し日本でまだ最初に学部生だったころに上代文学を専攻していたとはいえ、中古以降はただ授業を取っていたというだけですからねぇ、授業の準備は毎回それは大変でした。授業の前日は、一年を通して睡眠時間二三時間でした。
 でも、そのおかげで随分勉強しましたよ。それに毎回綿密なパワーポイントを作成しましたので、翌年からは、それをちょっと訂正・増補すればいいだけになり、どの時代でもすぐに担当する準備ができています。
 今年度は、後期に、初めて平安時代を担当します。中古文学史は、一昨年昨年と二年連続で担当したので、平安時代のおおよその流れについてはすでに押さえてありますが、この授業では、政治史・社会史・文化史を中心に話さなくてはなりませんから、毎回ちょっと準備に時間がかかることでしょう(この機会に勉強させていただきます)。後期には、もう一コマ学部の授業を担当するのですが、これは三年連続の近世文学史。一昨年と昨年とでは、少し重点の置きどころを変えたのですが、基本的には教科書通りに全分野を通覧しました。しかし、今年度は、もう少し自分の専門に引きつけて、教科書では扱いが軽くなっている江戸期の思想家たちにより多くの時間を割こうと思っています。












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