内的自己対話-川の畔のささめごと

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父母未生以前本来の面目あるいは「そのうちなんとかなるだろう」― ジルベール・シモンドンを読む(37)

2016-03-27 08:02:01 | 哲学

 今日日曜日午前二時に夏時間に切り替わりました。時計を一時間進めます。夏時間、日本との時差は七時間に縮まります。今日だけ一時間「損」したことになりますが、これは十月の冬時間への切り替えのときに「得」した一時間のつけを払うようなものです。毎年この繰り返しです。時計上は急に一時間日没が遅くなり、八時近くになります。それだけ午後の明るい時間が長くなり、春の到来をゆっくりと楽しめるようになるばかりでなく、夏遠からずと、少し浮き立つような気持ちにもなります。
 さて、今日も一段落だけ読みましょう。昨日読んだ段落より若干長いですが、内容的にはさほど難しくありません。

Mais le psychisme ne peut se résoudre au niveau de l’être individué seul ; il est le fondement de la participation à une individuation plus vaste, celle du collectif ; l’être individuel seul, se mettant en question lui-même, ne peut aller au-delà des limites de l’angoisse, opération sans action, émotion permanente qui n’arrive pas à résoudre l’affectivité, épreuve par laquelle l’être individué explore ses dimensions d’être sans pouvoir les dépasser. Au collectif pris comme axiomatique résolvant la problématique psychique correspond la notion de transindividuel.

 この段落で言われていることは、これまで読んできた「序論」の中ですでに論じられていたことのほぼ繰り返しですが、個体としての私たちが抱く「不安・苦悩・苦悶」(« angoisse »)というものの性質が個体化論の概念空間の中で解き明かされているところに注目しておきたいと思います。
 心理は、個体化された存在のレベルに留まるかぎり、己が抱える問題群あるいは問題性を解決することができません。心理は、個体的存在がより広範な個体化つまり集団の個体化に参加する基盤です。しかし、個体的存在だけでは、自分自身を問題化はしても、不安の外に出ることができません。なぜなら、不安・苦悩・苦悶は、「行動なき作用」(« opération sans action »)だからです。つまり、不安・苦悩・苦悶とは、外から受けた刺激(その中には、いわゆる心的外傷も含まれる)が引き起こす問題に解決を与えることができないままにあるときの恒常的な情動のことです。不安・苦悩・苦悶を抱えているということは、個体化された存在が自分の存在次元の中であれこれ四苦八苦するだけでその次元を乗り越えることができないでいる状態だということです。
 個体の心理レベルでは解き難い問題群に解決をもたらしてくれる公理系(一つのシステムとして構造化された自明性)が集団的なものです。その集団的なものに対応している概念が、すでに3月15日の記事で取り上げた「通・超個体性」(« transindividuel »)です。
 こんな風に言うとなんか難しげですけれど、これをもっとくだけた言葉で言い直せば以下のようになります。
 心の問題は心の中では解決できない。心を持った個体が属している集団にとっての「当たり前」を前提にするときはじめて、その問題に解決がもたらされる。その「当たり前」は、諸個体に共有されかつそれらを超えるものである。
 「なあんだそんなことか。だったら、なんで七面倒臭い御託を並べる必要があるんだよぉ」とご不満に思われる方も少なくないでしょう。無理もないことです。
 その点につき、一言だけ私見を付け加えておきます。
 「当たり前」は、いつでもどこでも同じ「当たり前」ではありません。可変的かつ可塑的です。崩壊する危険も排除できません。新たな問題を前に「当たり前」を根本的に見直す必要に迫られることもあります。複数の異なった「当たり前」同士が葛藤や抗争を引き起こすこともあります。そのとき、私たちは、自分の心の問題をしばらくは抱えたまま、解決不可能な状態に置かれます。それはとても不安な状態です。いつこの状態が終わってくれるのかもわかりません。
 そんな状態に置かれていても揺るがぬものがあるでしょうか。シモンドンなら、それは、私たちが個体的存在になる前の「前個体化的現実」だと答えるでしょう。唐突ですが、道元なら、「父母未生以前本来の面目」と答えるかもしれません。
 不肖私めは、「『そのうちなんとかな~るだろ~おぅ』の心じゃ」と答えておきます。
















































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