内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

存在が心を持つとき ― ジルベール・シモンドンを読む(36)

2016-03-26 06:18:46 | 哲学

 蝸牛ペースの読解作業は今日も続きます。側でじっと観察しているとほとんど進んでいないように見えるが、観察した場所に数日後に戻ってみると、いつのまにか有意的に前進しているという風でありたいと思っています(それでも、大股で闊歩する人間たちからは、「なんだお前、まだそんなところにいるのかよ、ちっとも進んでないじゃないか」って言われちゃうでしょうけれど、知るか、そんなこと)。
 あれれ、前に進んでいると思っていたのに、実はまた逆戻りしてしまったなんてこともあるかもしれませんが、それでもまったく同じことを繰り返し考えているわけでもないでしょうから、落胆せずに続けましょう(って、自分に言い聞かせているわけです)。
 ああ、そうそう、このようなペースにまで落ち込んだ主な理由であった締切りの迫った原稿の方ですが、いざ書き始めたら意外なほどすらすら書けたというか、すぐに制限字数の倍以上の長さになってしまい、締切りまでの残りの数日間は推敲と分量削減に集中すればいいところまで来ています。明日日曜日は復活祭、翌日月曜日は全国的に休日なのですが、アルザス地方は復活祭直前の金曜日も休日なのです(Vive l’Alsace !)。つまり、今、四連休の真最中なのです。この間、市営プールもすべて閉鎖されるので、日課の水泳もお休みです。そんなわけで、朝から晩まで机に向かっています。連休明けには原稿も仕上がりそうです。
 それに、この原稿はそのまま使われるわけではなく、他国語の哲学書の仏訳史を扱う原稿と合わせて、哲学の章の編集責任者が章全体の調整を図るので、私の名前は執筆協力者の一人として章の冒頭にクレジットされるだけという気楽さもあります。つまり、ぴったり制限字数に収めなくても、むしろ少し長めの原稿を渡して、「あとは全体のバランスを考えて適当に削ってください」ってお願いすればいいわけです(こちらがこの膨大な企画の全体的プレゼンテーションです。よくやりますよね、こんなこと)。
 ちょっとおしゃべりが過ぎましたね。今日の読解作業を始めましょう。
 今日から31頁に入ります。最初の段落は六行と短いのですが、今日はそれだけです。

La même méthode peut être employée pour explorer l’affectivité et l’émotivité, qui constituent la résonance de l’être par rapport à lui-même, et rattachent l’être individué à la réalité préindividuelle qui est associée à lui, comme l’unité tropistique et la perception le rattachent au milieu. Le psychisme est fait d’individuations successives permettant à l’être de résoudre les états problématiques correspondant à la permanente mise en communication du plus grand et du plus petit que lui.

 「同じ方法」と言われているのは、昨日まで読んできた段落に詳述されていた反実体論的・反形相質料論的方法のことです。生命の起こりの説明に適用されたその同じ方法が心理の発生メカニズムにも適用できるだろうとシモンドンは言うのです。
 心理を問題とする場面で、以前もそうでしたが、 « affectivité » と « émotivité » という二つの術語が使われています。それぞれ「受感性」「情動性」と私は訳します。前者は外からの刺激を「受ける」こと、後者はそれに応じて「動く」ことに対応するからです。
 この両者が存在の存在自身に対する「共鳴」(« résonance »)を構成し、個体化された存在をその存在と繋がっている前個体化的現実に結び直します。最初から前個体化的現実に「繋がっている」(« associé »)いるのならば、どうしてわざわざまた「結び直す」(« rattacher »)必要があるのでしょう。この結び直しこそ心的空間を内的共鳴空間として開くからです。つまり、不定形だった前個体化的現実が或る仕方で内的共鳴空間として受容されるとき、個体化された存在は心を持つ、ということです。
 受感性と情動性とによる存在の内的自己関係と照応しているのが、向性的一体性と知覚が存在をその環境へと結び直すことで成り立つ外的関係です。
 「心理」(« psychisme »)は、ここで、存在が常に抱えている問題的状態に解決をもたらす継起的な個体化過程として捉えられています。存在にとって、それらの問題的状態が常にあるということは、己自身より大きな秩序とより小さな秩序との間に、つまり外的関係と内的関係との間に、恒常的にコミュニケーションを成り立たせようとすることに外なりません。





















































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