内的自己対話-川の畔のささめごと

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日々の哲学のかたち(20)― アリストテレス『ニコマコス倫理学』のフィリア論 ① 愛の広がり

2022-06-26 13:03:18 | 哲学

 パヴィの『精神的修練としての哲学』第六章は、「他者から学ぶ」ことを主題としていますが、その二つの主軸は共同体と友情です。共同体については昨日の記事で少し触れましたので、今日から何回かにわたって、友情をめぐるテキストを読んでいきましょう。共同体論より友情論のほうが精神的修練にとって重要だからというわけではありません。ただ、私たちにとってより身近な友情という主題に即して精神的修練としての哲学についての理解を深めていきましょうという一つの提案に過ぎません。
 いまいちおう「友情」という言葉を使いましたが、アンソロジーとして集められたテキスト全体の内実を覆うより適切な言葉は、ギリシア語の「フィリア」に相当する意味での「愛」です。現代日本語で一般的に使われている「友情」では意味が狭すぎるのです。
 この章の最初のテキストであるアリストテレスの『ニコマコス倫理学』第八巻(と第九巻)はまさにこのフィリアを主題としています。手元にある五つの仏訳はいずれも « amitié » と訳していますが、このフランス語のほうが確かに日本語の「友情」よりは広い意味をもっています。しかし、ギリシア語のフィリア、というよりも、アリストテレスの定義するフィリアは、もっと広く深く豊かな意味をもっています。全十巻のうち第八巻と第九巻とがフィリア論に割かれていることからもわかるように、フィリアはアリストテレス倫理学の根本概念の一つです。
 アリストテレスの本文読解のための準備作業として、二つの日本語訳に付されたフィリアの語義に関する注を読みましょう。
 まず岩波文庫版(1971年)の訳者高田三郎の注です。第八巻冒頭を「親愛ないし友愛という「愛」(フィリア)」と訳した上で、そこにかなり長い注がついています。

「フィリア」に該当する適切な邦訳語は見あたらない。[…]それは「友愛」と普通訳され、「親愛」とも訳しうるが、いずれも充分とはいいがたい。[…]その的確な意味は、けっきょく、アリストテレスの語るところからこれを読み取ってもらうほかはない。しいていうならば、それはアリストテレスが「フィリア」と呼ぶところの、最もひろい意味での「愛」なのである。つまり、アリストテレスにおいて「愛」とは何であったかという問いに答えるのがこの「フィリア」論なのである。これを逆にいえば、アリストテレスは当時「フィリア」と呼ばれたもの[…]をいわば現象学的に分析し、これによって「フィリア」の本質的なるものの把握に迫るとともにその諸相を体系的に叙述することを試みているのである。

 読み始める前にこちらで勝手にフィリアのイメージを拵え上げずに、虚心坦懐にアリストテレスのテキストをゆっくり読みながら、フィリアのイメージが徐々に形成されるのを辛抱強く待つ必要がありそうですね。
もう一つの訳は光文社古典新訳文庫版(2015・2016年)の渡辺邦夫・立花幸司訳です。訳者たちはフィリアを「愛」と訳し、注でこう言っています。

原語は philia で、友愛、親愛、愛と訳されてきた。中心的 philia は、徳(アレテー)を認めあう対等の友人(philos、複数 philoi)の「友愛」である。しかし「友愛」「友情」は、夫婦愛や家族愛、場合により国中の人々全員に及ぶ「愛」などを表すためには自然な表現ではない。そこで本訳ではこの意味の広がりを重視し、「愛」(まれに「友好」)と訳して、原語を示すルビをつける。恋愛や男女の愛が中心でないことに注意されたい。philos の訳語は「友人」と「親しい人」を併用する。

 今日のところはここまでにして、明日から『ニコマコス倫理学』第八巻を最初から読んでいきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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