内的自己対話-川の畔のささめごと

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『古代において哲学することを学ぶ』(承前)― 古代において哲学者として生きるとは

2015-11-23 11:05:53 | 読游摘録

 昨日の記事にも書いたように、エピクテートスの『提要』は、エピクテートス自身によって書かれたものではない。その弟子のアリアノスが、エピクテートスの講義に出席しながら取っていた自分のノートから、エピクテートスの教えのエッセンスと思われる表現を抜粋したものである。手元にあるピエール・アドの仏訳で、わずか四十五頁に過ぎない小著である。アリアノスは、何のためにこの『提要』を作成したのだろうか。
 アリアノスは、講義と著述を生業とするいわゆる職業的哲学者ではない。国家の運営に関わる行政官の一人であった。しかし、これは古代ギリシア・ローマにおいて例外的なことではなかった。同時代人から哲学者と認められていた人たちの中には、同様の例をいくつも挙げることができる。ソクラテスの弟子クセノフォンは軍人、キケロは政治家、先日の連載で取り上げたセネカも政治家、そして、日本でもその『自省録』がよく読まれているマルクス・アウレリウスはローマ皇帝であった。これらの先人の顰に倣い、アリアノスは自らも哲学者として生きようとしたのである。
 では、アリアノスが哲学者として同時代人に認められたのは、彼が哲学的著述をしたからであろうか。それは必ずしもそうではない。というのは、コリントやアテネの人たちは、アリアノスに著述があることさえ知らなかったのにもかかわらず、アリアノスを哲学者として碑銘を刻んでいるからである。
 それと同様に、マルクス・アウレリウスが哲学者皇帝として同時代人に認められていたのは、自分のために書いていただけで、側近を除けばその存在さえ知られていなかった『自省録』によってではなく、マルクス・アウレリウス自身が、自分は哲学者として生きると公言していたからである。
 エピクテートスの愛弟子であったアリアノスが哲学者として同時代人に認められていたのも、国家の行政官あるいはその運営に携わる政治家として公的生活を送りつつ、ストア哲学の教えにしたがって生きようと努めていたからである。
 しかも、彼らがそう認められたのは、何か独創的な思想を抱いていたからではない。アリアノスの場合、師エピクテートスの講義で学んだストア哲学の教えによく従って生きたからである。アリアノスが『提要』を書いたのも、ストア哲学の要諦をまさに心に刻みつけるためであって、自分の思想を披瀝するためではなかった。

 

 

 


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