内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

新しい社会存在の哲学の構想のために(補遺)

2013-10-27 00:15:00 | 哲学

 昨日までで「新しい社会存在の哲学の構想のために」の連載はひとまず終えた。しかし、その結論部には書けなかったが、その背景にある自分の問題意識を短くフランス語で記した覚書のようなものがある。これもまたこれから考えていくべき問題の一つとして、ここに訳して記録として残しておきたい。

 個人と個人は互いに対立する。国家と国家も同様だ。〈民族〉もその例外ではない。それら相異なった対立項の間の創造的な相互理解のためには、それらの間の媒介項が必要だろう。この中間項は、けっしてそれ自体が実体化されてはならず、優れた意味での媒介者にとどまらなくてはならない。つまり、それ自身は受け入れる〈場所〉として働き、そこに受け入れた者たちをそれぞれ価値あらしめることにつねに努めるものでなくてはならない。このような媒介者が今の私たちの時代には致命的に欠けている。私たちに他者へと自らを開く仲立ちとして機能しうるのは、このような〈場所〉としての動的・中間的・可塑的な新しい種ではないであろうか。このような種は、ベルクソンが言うような生命の躍動が前進することを妨げる障害となるだけの種ではない。それは、その種に属する成員として私たちに生命の現実形態として前進させることを可能にするような新しいカテゴリーであり、しかもその種自身が自らに与えた他の種に対する境界線を、必要あるたびごとに、成員である私たちに乗り越えることを許すことをその内在的条件とするものだ。このような種は、動的で可塑的で自分自身を乗り越えていくことをその目的とするカテゴリーとして機能することを止めるときには自らに適用すべき自己解体の論理を備えていなくてはならないだろう。











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