内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

瓦礫と刹那 ― 吉増剛造と道元、寺田透を介して

2022-08-18 23:14:23 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた寺田透の『正法眼蔵を読む』(法蔵館文庫 2020年)の奥書き(つまり、1988年に刊行された『続正法眼蔵を読む』の奥書き)に、「古鏡講読」が刊行されるに至る経緯が述べられている。
 この講読は、1976年10月1日から11月12日まで、毎週金曜日に、平凡社の講堂を借りて開催された「日本の古典を読む」という連続講読会の一つとして実施された。この連続講演会を企画した平凡社の編集者二人のうちの一人の友人、詩人の吉増剛造氏がこの古鏡講読を聴講していたという。
 「かれの詩体が、変なところで文が切れ、……が始まり、さらに行頭に読点がおかれるなどといふ不思議なものに一時変つたのはそのあとのことである。つまり僕のきはめて奇妙な発語法がかれの詩的感興をひいたらしいといふことで、速記録の筆写篠原さんはさぞ、その手伝ひをしたであらうひとも苦労しただらうと思ふ。」(576‐577頁)
 寺田透がどのような発語法だったのかは知る由もないし、講読体書き下ろしとして出版されたテクストからその「奇妙な」発語法を想像するのは難しい。しかし、それが吉増氏に何らかの詩的感興を引き起こしたとすれば、吉増氏の詩の中にその奇妙さの痕跡を見出すことができるかもしれない。
 それよりはるかに大事だと私に思われることは、吉増氏が寺田透の古鏡講読から聴き取ったのはどのような〈声〉だったのか、ということである。それに近づく手がかりは吉増氏の自著の中にある。
 例えば、『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書 2016年)では、道元の「瓦礫」について、「発音は宋音で「ぐゎりゃく」と読むのですが、こんなことをいっています。「古仏心」とは何かと問われてそれは「牆壁瓦礫」(しやうへきぐわりやく)だ、……と。つまり仏の心とはありのままの土壁瓦礫だったのだと、……僕は宋音で考えていたらしい道元にも惹かれるのですが、「がれき=ぐゎりゃく」が、ありのままのかたちすがたをよくみれば、それぞれに多様かつ根源的な姿形に流動しているととります」と述べている(313頁)。
 『詩とは何か』(講談社現代新書 20年)にも道元に言及している箇所が数か所ある。例えば、「わたくしは道元がとても好きなのですが、道元の言葉に「朕兆未萌」(ちんちょうみぼう)というのがあります。「この世が萌え出る以前、その兆しに立つ」。つまり出来上がったこの「世界」、あるいは「自分」というものの、その出来上がる以前の状態に戻れと言うことです。わたくしが、必死になって、なんとかつかまえようとしているのも、このような状態なのかもしれません。この「朕兆」が道元が考えていた「刹那」なのだろうと想います。」(240頁)