昨年九月にストラスブール大学で開催されたシンポジウムの発表原稿の準備のために参照したいと思って贖った寺田透の『道の思想』(創文社、叢書「身体の思想」Ⅰ、1978年、「道」はドウと訓む)は、日本から送ってもらうつもりがその機会を逸し、結局発表のために参照することができなかった。今回の帰国でその本を手に取ってところどころ読んでみたが、来月十五日が締め切りの論文集の原稿に取り入れるまでもないことがわかった。今回の私の論文の問題意識とは重ならないからである。
それはそれとして、寺田透の文章にはかねてより強く惹かれるものがあった。今回もそのことを再確認することになった。とはいえ、寺田のフランス文学関係の著作にはまったく触れたことがなく、また今更そうしようという気も起こらず、私が惹き寄せられるのは、もっぱら日本の古典文学・思想を対象とした彼の著作である。
特に、和泉式部と道元である。『和泉式部』(筑摩書房、叢書「日本詩人選」8、1971年)はすでに数年前にフランスに持ち帰っているが、今回、『道元の言語宇宙』(岩波書店、1974年)を買い戻し(というのは二十六年前の渡仏前に売り払ってしまったから)、新たに『正法眼蔵を読む』(法蔵館文庫、2020年)を購入した。前者は中古本(状態はとても良い)、後者は新本である。後者は、法蔵館から出版された『正法眼蔵を読む』(新装版、1997年、原本 1981年。本書については、2018年8月28日から30日までの記事を参照されたし)と『続正法眼蔵を読む』(1988年)の合本である。前者と後者で重複しているのは、「正法眼蔵都機講読」と「眼蔵参究の傍」の長短二篇である。
『道元の言語宇宙』が「透体脱落」(1950年)から1972年までに様々な機会に発表された道元関連の長短の文章を集めたものであるのに対して、『正法眼蔵を読む』は口頭での五つの講読を前提として成り立っている本ある。しかし、講読の録音テープを起こしただけのものではなく、むしろそれを基に書き下ろされた著作と言ったほうがよい。特に最後の二篇「観音講読」と「古鏡講読」がそうである。つまり、講読スタイル(語る言葉)によって書かれた文章体なのである。寺田はそれを「講読体書き下ろし」と呼んでいる(「奥書き」)。この文体の表現としての固有性と可能性については後日論じたいと思っている(が、いつのことになるかはわからない)。
今日書き留めておきたいのは「都機講読」の最後の段落の以下の一節である。
どうもテクストに即しての話というのは、餘程長時間、ときどき黙りこんでしまうのを許してもらって、得手勝手に続けないと、かえって上滑りするばかりで、著者の思想の深みを取り出して見せる機会を摑みそこなったまま終わるという缺点もなくはないんですけれど、逆にそういう思想の根源の核とでもいうものに近づく道は、テクストの言葉の密林をかき分けて進むやり方に対してしか与えられないと思われます。局部的な鋭い分析で、そういう核を明らかにすることも出来なくはありませんが、そういうことの可能なのは文章を書く場合で、声に出してやるのでは、第一そう繊細なことは出来ませんし、あえてやっても、なかなか聞きとってはいただけまいと思います。(266‐267頁)
この一節を読んで、「ときどき黙りこんでしまう」ことの大切さに気づかされた。この沈黙は、話し手がその場でテキストの言葉にあらためて向き合う時間でもあり、聴き手にもそうする時間を与えることでもあり、テキストから立ち上がる「声」をそれぞれに聴き取るために必要な沈黙の時間でもある。この沈黙を確保することは書かれたテキストでは難しい。話が止まり、沈黙が降りてきて、その沈黙の持続の中ではじめて可能なテキストへのアプローチがある。それは、テキストの言葉の密林の中を探索しつつあるとき、あるところで立ち止まり、口を閉ざし、沈黙の中で密林の「声」に耳を傾けることであり、そうすることではじめて明かされるテキストの秘鑰があるということだ。「解説」ばかりを聞いている耳にこの秘鑰が明かされることはない。