内的自己対話-川の畔のささめごと

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カイロスとクロノス(10)― 近代における救済論の可能性

2018-09-24 21:54:59 | 哲学

 アガンベンが『残りの時』で試みていることは、パウロ神学の単なる新解釈ではなく、近代における救済論の可能性を証明することだと言えそうだ。それは、ブルーメンベルグの『近代の正当性』(1966年)とレーヴィットの『世界史と救済史』(1953年)とに対して、両者の立場の違いと対立を認めた上で、両者がそれにもかかわらず共有している前提を批判するところを読むとわかる。
 アガンベンによれば、ブルーメンベルグもレーヴィットも近代性と終末論は両立不可能だという前提に立っている。終末論的救済、つまり最終的な終末へと方向づけられた時間というキリスト教的世界観は、近代にあってはもはや決定的に廃れてしまっており、近代的時間意識とも近代的歴史観とも相容れないと両者とも考えている。
 しかし、そのような前提は、救済論と終末論、つまり終わりの時と時間の終わりとを両者が混同していることに由来するのだとアガンベンは批判する。その結果として、パウロ神学の核心が見逃されてしまう。つまり、メシア的時間が世俗の時間とその終焉後の永遠との截然たる区別そのものの問い直しであることが見逃されてしまう。