内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

翻訳を通じて原文から立ち上る香りのヴァリエ―ションを味読する―ラフカディオ・ハーンの場合

2018-09-11 23:59:59 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンの作品はすべて英語で書かれている。しかし、多くの日本人にとって、ラフカディオ・ハーンあるいは小泉八雲の作品に最初に触れる機会はその日本語訳によってであろう。異なった訳者たちによって何度も訳されてきた名編も少なくない。
 例えば、Glimpses of unfamiliar Japan(1894、その日本語訳は、角川ソフィア文庫では『日本の面影』というタイトルで出版されている)に収録された “Kitzuki: The Most Ancient Shrine of Japan” (「杵築― 日本最古の神社」)の次の一文を仏訳一つと日本語訳二つと比べてみよう。

There seems to be a sense of divine magic in the very atmosphere, through all the luminous day, brooding over the vapoury land, over the ghostly blue of the flood — a sense of Shinto.

Il semble y avoir un sentiment de magie divine dans l’atmosphère même, à travers toute la journée lumineuse qui plane par-dessus le pays vaporeux, par-dessus le bleu irréel des flots — un sentiment shintô.
« Kizuki le sanctuaire le plus ancien du Japon », trad. par Marc Logé, Gallimard, « folio2€ », p. 60.

この大気そのものの中に何かが在る――うっすらと霞む山並みや妖しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいものが感じられる――これが神道の感覚というものだろうか。(遠田勝訳、講談社学術文庫『神々の国の首都』、1990年)

まさにこの大気の中に――幻のような青い湖水や霞に包まれた山並みに、燦々と降り注ぐ明るい陽光の中に、神々しいものが存在するように感じられる。これが、神道の感覚というものなのであろうか。(池田雅之訳、角川ソフィア文庫、2015年)

 原文の味わいをそれぞれに異なった言葉遣いで映し出し、香らせようと試みているのがわかる。こんな風に比べてみることも、原文をより深く味読するために無駄ではないだろう。