内的自己対話-川の畔のささめごと

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カイロスとクロノス(4)― ヒポクラテスにおけるカイロスの定義について②「人生は短く、技術は長く、カイロスは逃れやすい」

2018-09-18 09:01:34 | 哲学

 手元には、ヒポクラテス医学論集の仏訳が二つある。De l’art médical (Le Livre de Poche, « Bibliothèque classique », 1994) と L’art de la médecine (GF Flammarion, 1999) である。後者の索引に « OCCASION (kairos) » が項目として採用されており、ヒポクラテスがカイロスあるいはその派生形を使っている箇所が五つそこに挙げてある。これらの箇所それぞれに懇切丁寧な後注が付されており、それが大いに理解の助けになるのもありがたい。それらの箇所を手がかりに、ヒポクラテスにおけるカイロスの意味を押さえていこう。
 まず、ラテン語の諺として人口に膾炙している « Vita brevis, ars longa » の出典であるヒポクラテス『箴言』の最初の断章の中に出てくるカイロスの意味を見てみよう。

ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ, ὁ δὲ καιρὸς ὀξὺς, ἡ δὲ πεῖρα σφαλερὴ, ἡ δὲ κρίσις χαλεπή. δεῖ δὲ οὐ μόνον ἑωυτὸν παρέχειν τὰ δέοντα ποιεῦντα, ἀλλὰ καὶ τὸν νοσέοντα, καὶ τοὺς παρεόντας, καὶ τὰ ἔξωθεν.

La vie est courte, l’art est long, l’occasion fugitive, l’expérience trompeuse, le jugement difficile. Or il faut non seulement se montrer soi-même accomplissant son devoir, mais aussi faire que le malade, les assistants et les éléments éxtérieurs accomplissent le leur (L’art de la médecine, op. cit., p. 210).

人生は短く、技術は長く、時機は逃れやすく、経験は誤りに導きやすく、判断は難しい。ところが、(医者は)ただ自分の義務を果たす者でなくてはならないばかりでなく、病人・アシスタント(看護師および付添い)・その他の外部のものたちもそれぞれそのなすべきことをなすように事を図らなくてはならない。(文意を汲んだつもりの拙訳)

 見ての通り、引用した仏訳は、この kairos の訳として « occasion » を採用し、この語に次のような後注を付している。

Contrairement à l’écriture ou à la lecture, dont le savoir est acquis une fois pour toutes, la médecine est définie comme un art dépendant de l’occasion, du kairos, le moment décisif où il faut agir, qui varie selon chaque malade et dure si peu que le médecin risque à tout moment de tomber dans l’akairiê, le traitement à contretemps (op. cit., p. 319).

 読み書きのように一度身につけてしまえばその後はいつでも運用できる能力とは異なり、医術は、時機つまりカイロスに依存した技術として定義されている。このカイロスとは、ある医療行為をまさにその時に実行すべき決定的な時機のことである。ところが、このカイロスは、病人によって異なり、瞬く間に過ぎ去ってしまうので、医療者はいつもアカイリエー(akairiê)つまり時機を失した処置に陥る危険に曝されている。
 つまり、ヒポクラテスにおいて、カイロスとは、それぞれの医療行為において、それが目指している望ましい結果がもたらされるために逃してはならない決定的な時機のことである。