内的自己対話-川の畔のささめごと

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「狂言綺語」小考(二)― 『平家物語』における間接的メタノイア、あるいは「讃仏乗の因」について

2018-09-07 00:04:16 | 読游摘録

 『平家物語』には、「狂言綺語」の語が二度見える。巻第三の「大臣流罪」の段と巻第九「敦盛最期」の段である。
 前者では、太政大臣であり、また当代随一の音楽家であった藤原師長が、昨日の記事で引いた白氏文集の一節を朗詠し、秘曲を琵琶で弾ずると、「神明感応に堪えずして、宝殿大に震動す」とある。清盛の企みによる配流の身の上にもかかわらず、平家の悪行がなければ、このような瑞相を恵まれることもなかったと、師長は感涙を流す。「政界の中央から追われても、その風雅な配所での生活をもって、逆に、精神的な価値観において、追放を企んだ権力者の上位にたった、隠遁的文人の理想を託した挿話である」(杉本圭三郎『新版 平家物語 全訳注』講談社学術文庫、二〇一七年)。
 後者は、熊谷直実が十七歳の敦盛を泣く泣く討ち頸をかいた後、敦盛の鎧直垂を切り取って、それで頸を包もうとしたとき、錦の袋に入った笛に気づき、その「小枝」という名の笛が直実の発心をうながしたといい、「狂言綺語のことわりと言ひながら、遂に讃仏乗の因となるこそ哀なれ」と結ばれる。
 「敦盛最期」においては、管弦の業そのものがそれを行う者その人の発心の機縁となったわけではない。管弦を聴いた者が発心したのでもない。戦場にも笛を携える風雅を心得た美麗なる十七歳の若武者敦盛の凛々しくも儚い命の形見としての笛が、その少年を討った直実の心に深い哀れの情を生ぜしめ、その発心の機縁となった。したがって、ここでの「狂言綺語」と発心との関係は直接的な因果関係ではない。直実の身に起こったのは、二重に間接的な「因」に感応した心にもたらされた「メタノイア」である。