内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

リヨン学会出張顛末記―もう、来たくないかも

2016-12-15 22:22:50 | 雑感

 今日の記事はちょっと砕けた調子で書きますね。
 今朝六時台のTGVでストラスブールを発ち、リヨンに十時に到着しました。SFEJ(Société Française des Études Japonaisesフランス日本学会)の二年ごとのシンポジウム・総会のパネルの一つの司会を頼まれていたからです。役割は無事果たしたと言えば言えるのですが、このパネルが実はまったく予定通りに行かなかったんですねぇー。
 今回のシンポジウムの総合テーマが「イマージュをめぐって」なので、それに沿って応募要旨が選考され、私も選考委員一人としていくつかの応募書類を数ヶ月前に読みました。私が担当したのは、宗教に関する表象をめぐる三つの発表が組まれたパネルでした。一つが江戸期の儒学の釈奠(せきてん)について、一つが中世における空海のイマージュ、一つが古代日本に伝えられたマニ教とネストリウス派の教説の表象でした。それぞれに興味深いテーマであり、しかもシンポジウムのテーマにピタリと沿っていました。それだけに、私も司会者としてそれなりの準備をするつもりでいたんですよ。
 ところが、空海のイマージュの発表者は、ハーバード大で研究中なのですが、同じく研究者の奥さんが妊娠したとかで、十一月半ばに発表を辞退し、釈奠についての発表者は、十一月末までに発表原稿或いは少なくとも草稿をパネルの責任者である私に送るべきであったのに、原稿を送ってきたのは発表前日の昨晩(しかも発表自体、締まりがなく、制限時間を思いっきりはみ出すし)、そして、誰とは言いませんが(ってたって知っている人はすぐに誰だかわかる碩学です)、マニ教とネストリウス派の教説の日本への導入についての発表者からは、昨日の朝になって、「病気だから行けない、原稿も間に合うかわからない」というメールが届いちゃったんですねぇ、これが。
 それらに対する私のその都度のリアクションは、「ああ、そうですか。これだからねぇ。日本学研究者ったって、フランス人だからねぇ、日本人だったら死んでも守るルールなんて関係ないだよねぇ。こういうの、もうゼーンゼーンありなんだよねぇ。はいはい、わっかりました、こっちでなんとかしますから、Ne vous inquiétez pas (心配シナイデ、ダイジョーブでーす)」って感じですかね(腹立てたってしょうがないんですよ。これって、もう完全に、暖簾に腕押し、糠に釘ってやつです)。
 その病欠の碩学は発表前日の夜遅くに原稿を送ってきて、「会場で君が読んでね。頼りにしているよー。後はよろしくぅ」って感じですからね(しかも、原稿慌てて作成したんでしょうね、フランス人にあるまじき打ち間違いがあるし。それ直したの、異国人の私ですよ)。
 今朝になって(四時起きですよ)、その原稿をプリントアウトし、TGVの中で読み、ホテルに着いてから、別便で送られてきた画像(メールの本文内に全部ベタで貼り付けてあるだけ)をパワーポイントに起こして、会場では、本人の代わりに私が原稿を代読したのでした。メデタシメデタシ、パチパチパチ。
 過去にも何度かリヨンには来ているのだけれども、いいことないんですよね。な~んか、鬼門なんですかね。
 明朝、さっさとストラスブールに帰ります。