内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

抜書的読書法 ― フランス語の哲学的エッセイを読もう

2015-05-04 04:13:52 | 読游摘録

 日本で出版された新刊書を高い送料を払ってまで取り寄せることは、研究上どうしても緊急に必要な場合でもないかぎり、まずしない。それに、私が研究上必要とするのは、古典やそれに準ずるような本がほとんどだから、そういう必要が発生することはかぎりなく零に近い。
 日本の新刊書には、だから、どうしても疎くなりがちだ。ネットでも新聞各紙の書評は読むことができるし、多種多様なサイトやブログでも実にたくさんの書評があるから、その気になれば、今の日本でどの分野のどんな本がよく読まれ、評判なのかは簡単に知ることができる。でも、そのような興味は特にない。年に一回か二回の一時帰国中に神田に行くことはあるが、それは古本探しのためで、比較的最近出た本の場合は、ネットで注文してしまい、フランスに戻るときに持ち帰る。
 フランスに来て最初の何年間かは、毎週ル・モンド紙の書評欄はすべて読み、自分の専門の哲学に関しては、他紙や雑誌の書評も毎週読み、お気に入りの本屋にも足繁く通い、いつも新刊に「目を光らせて」いた。そして、自分でも呆れるくらいたくさん買い込んだ。しかし、いつしかそういう興味もなくなった。仕事が忙しくなったということもあるが、そういうことに費やしている時間もお金ももったいないと思うようにもなったのである。それでなくても読まねばならぬ本はいくらでもあるのだから、新刊に手を出している暇はほとんどないはずではないか。
 とはいうものの、広い意味での哲学的エッセイというジャンルには、やはり食指が動く。その中には、ちゃんとした訳で日本でも出版されるといいのになあと思う本もいくつかある。何人か気心の知れた人たちと読書会で一緒に読んでみたいと思う本もある。しかし、残念ながら、どちらもすぐには実現できないことである。
 そこで、そんないつになるとも知れない機会を夢想しつつ、ここ数年間に出版されて、私が関心を持った本の「抜書」を作っていこうかと思う。最新刊とばかりはいかないし、中には古典的名著の新装版というのも含めてということになるが、それらからの「抜書」がいつかどこかで誰かの役に立つかもしれない。自分にとっては、「抜書」に限らず、こうして毎日ブログの記事を書き続けることが思考の持続の一つの実践となっているので、たとえそれが誰の役にも立たなくても、書き続けること自体にすでに意味がある。
 書評・紹介・解説ともなると、それなりに準備も訓練も素養も必要だし、客観性、公平性、情報の正確さ等を心がけなくてはならないが、「抜書」はそれらとは違う。もっと気楽に考えて、パラパラとめくっていて目に止まった箇所、「気になる」箇所を書き留めておこうというくらいのつもり。
 取り上げる本は、読了した本とはかぎらない。読んでいる途中、読み始めたばかり、あるいはちょっと覗いただけなんて場合もあるだろう。ジャンルとして「哲学的エッセイ」と書いたが、あまり窮屈に定義を考えずに、私にとって哲学的思考を刺激してくれるものすべてというくらいの、ごくゆるい括りである。
 この「抜書」シリーズを始めるにあたって、形式に関する原則を決めておく。一回の記事は、四百字から八百字の間に収める。フランス語原文を引用する場合、その和訳は示さずに、前後の説明でその内容がわかるようにする。
 明日から、「抜書的読書法(哲学篇)」を始める。