内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

抜書的読書法(哲学篇3)― 「魂の医学としての哲学」

2015-05-07 00:09:21 | 読游摘録

 グザヴィエ・パヴィの本の本文は二百四十頁余り。その三分の二は古代哲学に割かれている。そこでピエール・アドに次いでよく引用・参照されているのがミッシェル・フーコーである。コレージュ・ド・フランスでの1981-1982年度の講義録 L’herméneutique du sujet(« Hautes études », Gallimard-Seuil, 2001)は特に頻繁に引用されている。日本の読者にとって幸いなことに、これには立派な邦訳(『ミッシェル・フーコー講義集成11 主体の解釈学』筑摩書房、2004年)があるから、ここでわざわざパヴィの記述を介して間接的にフーコーを引用・紹介するには及ばないだろう。
 パヴィの本では、古代ギリシア・ローマ哲学に通底する「精神的実践」(« exercice spirituel »)の基礎的要件を九節に分けて説明している章が全体の三分の一を占めている。そのうちの一節は、「魂の医学としての哲学」、より限定的に言えば、「魂の治療法としての哲学」をその主題としている。この主題については、ピエール・アドが高く評価し、その「前書き」も書いている André-Jean Voelke, La philosophie comme thérapie de l’âme. Études de philosophie hellenistique, Éditions du Cerf, 1993 という、見かけはほんの小著だが大変な名著がある。パヴィの本でももちろん引用・参照されている。この Voelke の本は、ウィトゲンシュタインの『哲学探究』に触発されて書かれたものである。しかし、ウィトゲンシュタインにおいては、哲学的困難の原因はその誤った問題の立て方にあるという理由で、そこから人間の思考を解放するための治療法として哲学が実践されているのに対して、古代では、哲学そのものが端的に人間の病める魂の治療法であった、というのが同書の主張である。
 魂が不安に苛まれ、不幸に懊悩するのは、無知に由来する。古代ギリシア・ローマの哲学では、こう考える。悪は諸事物のうちにあるのではなく、それについて人間が下す判断の中にある。哲学の目的は、それゆえ、それらの判断を変える、あるいは変えさせることであり、この意味において、人間の魂を治療することである。

Toutes les philosophies hellénistiques reconnaissent avec Socrate que les hommes sont plongés dans la misère, l’angoisse et le mal parce qu’ils sont dans l’ignorance. Le mal n’est pas dans les choses mais dans les jugements qu’ont les hommes sur les choses. La philosophie a pour but de changer ces jugements, de soigner les hommes (X. Pavie, op. cit., p. 85).