鳩山政権の命運を握るやも知れない普天間問題。
その問題の本質は、米軍基地を日本のどこに置くのかなどという生易しい話ではないはずです。
きっとどこかで、そんな国民的議論が起こるのをじっと待っている何かがあるはずです。
戦後の日米関係の起点はどこにあるのだろうか、そんな疑問から児島襄(のぼる)の「講和条約」 全3巻と格闘しています。
この本は壮大なスケールで書かれた歴史ドキュメントであり、絶版となっているので図書館で借りて読むしかないと思います。
ようやく第1巻(昭和20年9月1日~昭和23年12月31日)を読み終えたところです。
まずは昭和20年9月1日、横浜沖の戦艦「ミズーリ」でおこなわれた降伏調印式から語られていきます。
日本が受諾した「ポツダム宣言」には次のような降伏条件が列挙されていました。
①日本軍の完全武装解除
②日本国民を世界征服にかりたてた勢力の永久除去
③戦争犯罪人の処罰
④日本国民の民主主義的傾向の復活強化
⑤言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重
ドイツは最後まで戦い、首都は攻略され、元首のヒトラーは自決して、降伏時には政府は存在しませんでした。
日本は原爆を落とされて本土決戦の前に降伏したので、元首も政府も存続していました。
ですから「ポツダム宣言」の1週間後に発表された占領軍(米軍)総司令部の日本管理方針は次のような内容でした。
「天皇および日本政府は、マッカーサー元帥の指令を、強制されることなく実施するためのあらゆる機会を提供される」
その意味するものは、国家元首・天皇と政府を認め、それを通じた間接統治型の占領方式を明らかにするということです。
(つづく)