南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
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主権者の自覚

2010-04-30 15:35:09 | 政治
民主主義とは素晴らしいものだと思いますが、常時素晴らしいものにさせておくための努力を欠かせてはなりません。
日本国憲法の書き出しには「主権在民」が明確に謳われています。
主権在民とは、国民が自らの意思で正当に選挙された代表者を通じて国政を行なうことです。
仮に夢を失った政治を眼前にみて呆れたとしても、国民が国家の主人としての主権を棄て去ることは許されません。
主権とはすなわち自らの意志で自らが国政を任せることのできるであろう政治家に1票を投ずることです。
その主権を放棄したとき恐ろしいことが起こります。

ヒトラーは民主主義政権下における選挙で選ばれた一議員でした。
1921年にヒトラーがナチ党の代表者になってから破竹の勢い(1928年:12人、30年:107人、32年:230人、33年:661人)で党勢を拡大していきました。
当時は、第一次大戦後の経済混乱期でもありましたし、少数連立政権のため政局は不安定でした。
勢力を拡大したヒトラーは、当時の民主政治を衆愚政治とみなし、絶対的な指導者の下での独裁政治の利点を追求していきます。
それまでの政治に辟易としていた国民はヒトラーの下に駆け込んでいきました。
この当時のドイツ国民の心理を今は“自由からの逃走”と呼んでいます。

民主主義政治が“衆愚政治”に陥りやすいことは事実でしょう。
だからこそ大人たちはそうならないように心しなくてはなりません。
日本における民主主義は欧米諸国と違い、国民が血を流して勝ち取ったものではありません。
敗戦と同時に占領軍から与えられたものであり、日本人のDNAに馴染んだものでもありませんでした。
ですから本当に民主主義をこの日本に根づかせるためには、日本の教育システムの中に民主主義の根幹に関わる何者かを組み込む必要があります。
そのひとつがディベートであり、権利と義務の教育だと思います。

人間はそれぞれ違う考え方や生き方をしていますから、お互いに対立する意見を言い合う場面が出てきます。
そんな場面になって意見が対立していてもお互いを受入れ、それぞれの立場を理解し、共有そして共同することのできる姿勢の涵養が大切です。
対立の中から議論して、そしてひとつの結論を導き出し、合意し、協働して目的を達成していくプロセスを学ぶ必要があります。
それは学校教育だけではなく、家庭や地域や組織の中で永続的に行なわれていかねば定着しません。
そしてそれは民主主義を維持するための最低限のコストですから決して怠ってはなりません。