南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

東日本大震災1周年に思うこと

2012-03-11 17:39:28 | Weblog
昨晩は自己啓発セミナーでしごかれて朝方の帰宅。
ぐったり疲れていても帰る家や、待ってくれる家族がいる私は幸せです。
ほぼ徹夜でしたから午前中は熟睡し、お昼ご飯で起こされました。

今日は東日本大震災追悼記念式典があります。
午後2時46分、テレビに合わせて黙祷を捧げました。
映像で流れる被災地の姿を見るたびに切なくなります。
私の頭の中には、陸前高田小学校の高台からこの目で見た、地獄的な光景がいつもあります。

高台手前はなんの被害も感じないような普通の光景ですが、ある一線を越えると瓦礫の山です。
日常生活が滅茶苦茶な様が見て取れ、まさに1歩先は地獄です。
一線を画して生と死が隣り合わせで、家族が離れ離れになってしまった一線でもあります。

追悼記念式典での遺族代表3人の言葉に思わず涙してしまいました。
息子に先立たれた母親は、なぜ自分だけが生き残ったのかと自分自身を責めます。
そんな絶望の中から、母親として恥ずかしくない生き方をしようと彼女は立ち直り、息子の死後生まれたという孫に希望の灯りを見出します。

これ以上テレビを見続けることに耐えられなくて散歩に出ました。
いつもと同じ平々凡々な故郷の光景です。
でも、この平和な光景が永遠に続くとは思わないほうがいいね、とふと思いました。
そういえば私が6歳の頃、隣町に大火がありました。
記録を調べたら昭和32年2月28日午後7時のことです。
なぜか家の外で真っ赤な夜空を見ながら泣きじゃくっている私がいました。
両親は消火の手伝いや炊き出しで家には誰もいない模様です。
そんな私を優しく抱きしめてくれていたのは疎開していたお婆ちゃんです。
今でもはっきりとそのシーンを思い出します。
誰かが傍にいてくれることで人は救われるんですね。

東日本大震災から1年が経ちました。
まだまだ被災地では私たちの支援を必要としています。
私たちにはたいしたことはできないかもしれませんが、心理的にも物理的にも、ただ傍にいてあげることだけは続けてあげたいと思いました。