南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

ベートーヴェンの生涯

2012-03-26 22:39:52 | 読書
ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店


日曜日のラジオ番組で26日がベートーヴェン没後185年と知りました。
その番組ではロマン・ロラン著「ベートーヴェンの生涯」をも紹介していましたので、書店で購入し命日読書を楽しみました。

ロマン・ロランは序文でこう述べています。
「理想もしくは力によって勝った人々を私は英雄とは呼ばない。
私が英雄と呼ぶのは心に依って偉大であった人々だけである。…
とにかく彼らは試練を日ごとのパンとして食ったのである。
そして彼らが力強さによって偉大だったとすれば、それは彼らが不幸を通じて偉大だったからである。
だから不幸な人々よ、あまりに嘆くな。…
われわれが彼らの眼の中に彼らの生涯の中に読み採ることは、・・・・・人生というものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で実り多くかつ最も幸福でもある、というこのことである」

ベートーヴェンは辛い子供時代をおくっています。
彼の音楽の才能を父親は食いものにしました。
11歳の時に劇場のオーケストラの一員となり、13歳でオルガン弾きとなります。
17歳になると一家の生計をすべて背負うこととなりますが、彼の肉体も精神もどんどんと病んでいきます。
25歳過ぎたころから夜も昼も絶え間ない耳鳴りに悩まされて作曲家にとってこれ以上の苦しみがないほどに追い込まれ、さらには愛する恋人も彼の元を去っていきます。
(この彼女に捧げた曲が有名なピアノソナタ「月光」です)
病気で弱った魂に追い打ちをかけるようなこの事件で彼は破壊寸前まで追い込まれます。
彼のそんな呻きは一通の手紙(ハイリゲンシュタットの遺書)に書き綴られていますが、彼はなんとか絶望の危機を乗り越えました。

しかし彼の難聴はますます進行し、45歳(1815年)になった時には他人との会話も筆談に頼るしかなくなりました。
自己の内部へ閉じこもり一切の人々から切り離された彼はただ自然の中に浸ることだけを慰めとしました。
そんな彼から素晴らしい音楽が紡ぎだされていきます。
どうしてそんな奇跡が起きたのでしょうか?
「現在があまりに辛ければ、魂は過去の追憶によって生きる。
それらの日々の輝きはすでにそれらが無くなっている現在にもなお長く残って照り続ける。ウィーンにいて孤独な不幸なベートーヴェンは生まれ故郷の追憶の中にその隠れ家を求めたのである」
すべての音を無くしたはずのベートーヴェンだったが、彼の心の中にはライン河畔の田園風景とともにすべての音が残されていたのでしょう。

1824年に完成した「交響曲第九番」は、日本でも年末の風物詩となっている彼の代表作です。
この曲を指揮したとき、会場全体に響き渡った雷鳴のような喝采も、彼の耳には届きませんでした。
「交響曲第九番」の演奏を聴いた聴衆は気狂いじみた感激を巻き起こして、多数の聴衆が泣き出していたといいます。
歌唱者のひとりが彼の手を取って聴衆の方へ向けさせたとき、初めて彼はそのことを知り、感動のあまり気絶してしまったとのことです。

あらためてベートーヴェンの名曲「交響曲第九番」を聴いてみましょう。
その素晴らしい楽曲が生まれてきた奇跡をぜひ感じとってみましょう。