先週木曜、松竹座に行ってきた。
昼の部、「修禅寺物語」のみの幕見。
天気も悪く、幕見席の客は私を含めて2人だけだった。
我當の面作り夜叉王、扇雀の姉娘、吉弥の妹娘、
海老蔵が頼家。
最初の姉妹の会話、
この姉娘の「職人」への忌避や高貴なものへの憧れが出る場面。
まあまあ出ていたようにも思うが、
如何せん扇雀が歌舞伎らしくない。
喋り方と言い、歩き方と言い。
吉弥とえらい違い。
ここに職人の弟子である進之介が出てくる。
これも歌舞伎らしくない言動だが、
まあ、一本気なところを出せば済む役だからどうにか見られた。
夜叉王の出。
扇雀や進之介に比べれば余程聞けた。
ただ、冷静に見ればその腹の薄さは否めないわな。
足の具合があまり良くないらしく、そこは気の毒ではある。
頼家が出てくる。
一遍に舞台の空気が変わるところは流石。
声や間など、癇症なこの役によく合っていると思う。
我當が面を渡さなかった説明をするが、
「死相が出ている」ことは言わないんだな。
面を受け取った頼家と姉娘が歩き、
北条方の侍とのやり取り。
このあたりの海老蔵の雰囲気は良かった。
面を着けた姉娘が戻ってきての話、
死に瀕した姉娘の表情を描こうとする夜叉王、
このあたり、テキストの緊迫感が全く伝わってこない。
扇雀の話し方・動きは、死にかけているように感じられない。
技術がなさ過ぎるのかも知れない。
我當の夜叉王も、自分の娘が死にかけている、
しかし「職人」「芸術に生きる者」として
それを受け止めつつ自分の技芸に生かそうとする
業に塗れた者だと思うのだが、
そのような腹・内面が伝わってこない。
台本面からはこの芝居が良い芝居だと確認でき、
海老蔵については、まあ満足できた。
ただ夜叉王などは、他の顔ぶれで見たいと思う。
昼の部、「修禅寺物語」のみの幕見。
天気も悪く、幕見席の客は私を含めて2人だけだった。
我當の面作り夜叉王、扇雀の姉娘、吉弥の妹娘、
海老蔵が頼家。
最初の姉妹の会話、
この姉娘の「職人」への忌避や高貴なものへの憧れが出る場面。
まあまあ出ていたようにも思うが、
如何せん扇雀が歌舞伎らしくない。
喋り方と言い、歩き方と言い。
吉弥とえらい違い。
ここに職人の弟子である進之介が出てくる。
これも歌舞伎らしくない言動だが、
まあ、一本気なところを出せば済む役だからどうにか見られた。
夜叉王の出。
扇雀や進之介に比べれば余程聞けた。
ただ、冷静に見ればその腹の薄さは否めないわな。
足の具合があまり良くないらしく、そこは気の毒ではある。
頼家が出てくる。
一遍に舞台の空気が変わるところは流石。
声や間など、癇症なこの役によく合っていると思う。
我當が面を渡さなかった説明をするが、
「死相が出ている」ことは言わないんだな。
面を受け取った頼家と姉娘が歩き、
北条方の侍とのやり取り。
このあたりの海老蔵の雰囲気は良かった。
面を着けた姉娘が戻ってきての話、
死に瀕した姉娘の表情を描こうとする夜叉王、
このあたり、テキストの緊迫感が全く伝わってこない。
扇雀の話し方・動きは、死にかけているように感じられない。
技術がなさ過ぎるのかも知れない。
我當の夜叉王も、自分の娘が死にかけている、
しかし「職人」「芸術に生きる者」として
それを受け止めつつ自分の技芸に生かそうとする
業に塗れた者だと思うのだが、
そのような腹・内面が伝わってこない。
台本面からはこの芝居が良い芝居だと確認でき、
海老蔵については、まあ満足できた。
ただ夜叉王などは、他の顔ぶれで見たいと思う。